最澄は日本仏教界のホープで無名の私度僧の空海がなぜ共に遣唐使に加われたのか謎が多い。4隻の内2隻が遭難してこの2人と橘逸勢の乗った船は難を逃れた。20年の予定をわずか2年で切り上げたのは20年もいると布教前に昇天しかねないからだが、結果的に正解だった。