【明治維新150年】なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 反"薩長史観"本が相次ぎ刊行 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。
ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。
来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。なぜここに来てブームになっているのか。このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。
■「薩長史観」により偽装された幕末維新史
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。
だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。
それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
(続きは 東洋経済オンライン で)
https://news.nifty.com/article/magazine/12208-20170908-187322/
2017年09月08日 13時35分
https://i.imgur.com/YaJJqxw.jpg
敗者となった会津藩をはじめとする「旧幕府側」からの、「もう一つの幕末維新史」とは?(写真は会津若松城:shira / PIXTA) 太平洋戦争まえの昭和恐慌はデフレーションが原因との説もあり
それはいまも危険をかかえたままだ
アベノミクスにも財務省にも出口戦略は見えていないようだ 明治維新は、百済や新羅の反政府朝鮮人が山口県、鹿児島県に部落を作って。
黒船を利用して日本を乗っ取った。 >>145
清和会(福田派)…旧藩閥系
木曜クラブ(田中派)…旧反藩閥系
乱暴だけどこういう流れもあると思う。 >>174
だから徳川が政権維持してたら
そのまま開国だったよ
政権あけわたしたから明治政府が
開国になっただけで >>168
分かりやすい!
国家神道とかもそうなの? >>187
だからさ、その馬鹿にしてる朝鮮人にやられた日本人ってどんだけアホなんだよと 東条は陸士から長州出身者を追放したんだよな たしか >>151
慶喜の有能さはもっと評価されて良いよな
薩長や幕府内に入り込んだ外国に付け入らせなかった >>164
普通に島津斉彬とか幕府に軍事力で圧力かけて改革しようとしてたじゃん
それで薩摩に先越されそうになって発狂しただけでとしか >>171
対米開戦を誘導した海軍は軍令部が実質的に作戦立案したんだが、開戦時は薩長ばかり。
対ソ戦しか考えてなかった陸軍は海軍に騙されて孤島にばら撒かれただけ。
「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみるとーーーーー
軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、
沢本 頼雄(海軍次官)、
岡敬純(軍務局長)、
中原義正(人事課長)、
石川信吾(軍務第二課長)、
藤 井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、
高田利種(軍務第一課長)、
前田稔(軍令部情報部長)、
神重徳(作戦課員)、
山本祐二(作戦課員)が鹿児島県出身。
これに父が鹿児島県出身の大野竹二(戦争指導班員)を加えれば、薩長閥の左官クラスのそろい踏みなのである。
藤井茂中佐は昂然としてこういうのを常とした。
『金と人とをもっておれば、このさき何でも出来る。予算をにぎる軍務局が方針を決めてその線で押し込めば、人事局がや ってくれる。
自分たちがこうしようとするとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる。』
荷風が言うように、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたといえるのである。」
半藤一利『永井荷風の昭和』 単純に山口県選出の総理大臣になるとやけに長期になるから
未だに薩長なのかと陰謀論的な所な意味で面白がって書いているだけでしょ チョンだけで勝ったわけじゃない
海外勢力、傍流日本人と組んだから勝った
勝ったあとに海外勢はビジネスに、傍流日本人は殺され、チョンだけが残ってアベチョンの今につながる 維新は若い連中が先頭にたってドラマチックに遂行したってことになってるが
いまの日本社会でさえ四十五十でガキ扱い
老獪な六十七十の重鎮独裁な訳で
封建社会の幕末にたかが手駒の若造が時代など作れるはずないんで
明治になってから随分と話盛ってるよな
維新三傑も対立構図もサルディニア王のイタリア革命の筋書きまんまってあたり踏まえて
明治政府が国民に信じさせたいスターシステムだったんだなと思うな
太閤記で蜂須賀正勝を周倉に準えたり竹中半兵衛を三顧の礼で孔明チックに描いてんのといっしょ
よくあること 大戦中、安倍の祖父である岸はグルー米国大使とゴルフをしていた。
下記は「CIA秘録」で公知だよ。知らんの?
1 日米開戦後の1942年、岸は軟禁中の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた(聖戦中に岸はなんと、敵性スポーツのゴルフをしていた。それも鬼畜の大使と!)。
二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、
グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった。
2 岸は巣鴨から釈放されると、まっすぐ首相官邸に向かった。官房長官の弟、佐藤栄作がスーツを用意して待っていた。
「なんかヘンだね」と岸は佐藤に言った、「いまやわれわれは民主主義者だ」
3 岸は「ニューズウイーク」誌の東京支局長、ハリー・カーンから英語の手ほどきを受け、米国の政治家を紹介してもらった。
カーンはアレン・ダレスの親友で、CIAの対日パイプになった人物だ。
4 1954年5月、岸は東京の歌舞伎座で政治家として復活を果した。岸は歌舞伎座に、米国大使館でCIAの情報・宣伝担当をしていたビル・ハチンソンを招いた。
幕間、岸はハチンソンを連れ、日本の特権層の友人たちに彼を紹介して回った。それは岸の政治的な劇場となった。アメリカの後ろ盾があることを公的にアナウンスしたものだった。
5 その後、1年にわたって、岸はハチンソンの自宅の居間で、CIAや米国務省の担当者と秘密裏の会合を続けた。ハチンソンはこう証言している。
「彼(岸)は明に、アメリカの少なくとも暗黙の支持を欲しがっていた」。この会合で、その40年間の日米関係の土台が築かれた。
岸は支配政党の「自由党」を躓かせ、名前を変えて再建し、それを運営したいと言った。
彼はまた、日本の外交をアメリカの欲望とフィットするかたちに変更することを誓った。その代わり、米国の秘密の支援がほしいと岸は頼んだ。
6 ダレスが岸に会ったのは、1955年8月のことだった。ダレス国務長官は、一対一で岸に、支持を期待していると言った。日本の保守層が一体化し、共産主義と闘うアメリカを支持できるかどうか
聞いた。
7 岸は米国大使館の高官であるサム・バーガーに言った。若くて地位の低い、日本で知られていない人間を、連絡役にするのがベストだと。
お鉢は、CIAのクライド・マカヴォイに回った。マカヴォイは沖縄戦の経験者で、フリーで新聞記者の仕事をしていた。クライドが来日してすぐ、バーガーは彼を岸に紹介した。
これにより、CIAの外国政治指導者との関係のなかでより強固なもののひとつが生まれることになった。
8 CIAと自民党の間の最も重要なやりとりは、情報提供に対する金(マネー)の支払いだった。
マネーは自民党の支持の取り付けと、その内部の情報提供者のリクルートすることに使われた。アメリカ人たちは、若い将来性のある自民党政治家に金を支払っていた。
彼らはのちに、国会議員や大臣、長老政治家になっていった。 >>173
現代におきかえるのは無理があるよ
徳川は民主政治でトップになったんじゃあるまいし
徳川も豊臣とかほろぼして力で政権
とったんだからそこから政権奪うのに
テロだの力で奪って何が悪いという
話にしかならない
徳川が当時の人民が選んだって話なら違うがね >>177
あいつは埋まれたのが長州なだけで岡山。ついでにルーピー家も 薩長の行状と幕府の行状をみれば
「勝ったから正しいのではない、正しいから勝ったのだ」
といいたくもなる
合理性、勇猛果敢さ、そして日本は日本人のもので外国人に渡してはならないという観念
幕府でまともだったのは慶喜だけ
佐幕派が賛美する土方も会津も自分たちが助かるために
日本をドイツに売り渡す気満々だった _.. ..‐::´/
_/::::::::::::/
_/:::::::::::::/ ____
,..::::´::::::::::::::::::::: ̄:::::::::::._/
/:::::::::::::::::| ヽ、:::::;::::::::::::/
/:::::::::::::::::::::|´|ヽ |/_:::.::/
_ .. -─':::::::::::::::、::|`' , .!::∠ オッス!オラ日本の総理大臣!
`'' ‐-.._:::::::;-‐.,,,=≡, ,≡=、 |::::`::-、
=ニ二::::::::::::::::|゛.,/・\,!./・\ | -──` 少子化を加速、財政規律は崩壊、北方領土の割譲と、
‐=.二;;;;; :⌒ノ/.. i\:⌒ .|:::::i
(i ″ ,ィ____.i i i // 日本を完全に潰しちゃったけど、なんかワクワクしてきたぞ!wwwwww。
ヽ / l .i i /
lヽ ノ `トェェェイヽ、/´
|、 ヽ `ー'´ /
/\/ ヽ ` "ー−´/、
・あと1,2年で、日本を確実に消滅させるためにも、安倍自民をしっかり支持していくしかないだろwwwww。
・日本の借金1,100兆円とかwww。アベノミクスwwww。アホ安倍は、日本を取り壊しすぎだからwwwwww。
・アヘの希望出生率1.8とかwwww。仕事人内閣wwwww。仕事をしたことなんかないだろwwwwwww。
、 >>134
でも田中義一だの松岡洋右だの寺内寿一だはの
やっぱ長州人が日本を対米戦に導いたとしか言いようがない 数年前に偶然、萩市長と会津若松市長が会議で一緒になって、記者の勧めで握手という運びになったんだが
ニコニコしてた萩市長に対し、市民感情を考えてそれだけはできないって固辞した若松市長が印象的だった http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up110362.png
百済や新羅の反政府なやつらが、日本に来た。
そいつらが九州や山口県で部落を作った。
チャンスが訪れたのは明治維新という革命。
その時の登場人物、西郷、龍馬、大久保利通。
大久保利通は朝鮮貿易の通訳やってたオヤジの息子らしいから、朝鮮語が流暢にできたにちがいない
そんで欧米留学で英語もできた。
麻生は大久保利通の子孫だよ。
あと吉田茂、鈴木善幸、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、麻生太郎などの総理大臣経験者は全部縁戚で、宮沢喜一も縁戚。
要するに今の日本は明治維新で生き残った大久保利通の子孫に支配されている。 明治維新は長州薩摩の下級武士(テロリスト)が藩を乗っ取り、イギリスの援助を受け、
最新の武器でもって幕府を倒した革命である。その行為は、偽勅(偽物の錦の御旗・偽物の天皇の命令)や
天皇の囲い込みやなりふり構わぬ暗殺・テロ活動など、ルール無視の野蛮な所業で勝ち取ったモノである。
そして明治維新をやたら賛美し、世界遺産にゴリ押しする安倍晋三はエゴ丸出しの人間のクズである。 >>193
東條ではなく一夕会な
永田鉄山や牟田口も同じ会の人間
ここが長州派閥追い出したのに自分たちで内ゲバしまくって日本を混乱させた 薩長の影響は今でもあるしな。いい加減薩長土肥の連中には今からでも責任をとらせるべきだよ >>69
鹿児島は全国最下位レベルでザイニチは少ないぞ >>191
国家神道はまさに根幹だろ?だからいまだに批判も多い
それだけじゃないよね、情報、教育テロ後に何が起きたか検証すべきだね。
民主主義とは程遠いともうわ。変だもん外国との関係がすっぽり抜け落ちた日本史とか。 >>200
幕府にもフランスの支援があり、莫大な資金力あっただろ。
純粋ジャップはなぜ、チョンごときにやられちゃったのかな〜 >>173
それは各々の見方の見方だよね。
自分は吉田松陰先生はテロリストと思わないし
坂本龍馬は詐欺集団のボスというか武器商人のイメージが強い。
詐欺師というならインサイダーで儲けまくった岩崎弥太郎かな。
今も三菱は大企業で日本の勝ち組だが創業者は時代が違えば
捕まってる人だからね(笑) >>208
日米戦になったのは満州進出
したからだからなあ
満州進出からてったいしない限り
戦争不可避だしどうにもならん 明治維新の帰結は敗戦。
薩長の朝鮮帰化人によるマイノリティ支配はかわらないまま、戦後はアメリカの属国化。
征韓論から韓国併合、
満州国までは薩摩や長州の帰化人による清やロシアに対する故地回復の一種のレコンキスタ。
因みに、半島と一衣帯水を主張する一水会の会報は「レコンキスタ」w
現在長州帰化人の安倍と薩摩帰化人の大久保の子孫の麻生がまた、レコンキスタとして集団的自衛権で半島統一戦争をしようとしている。
日本人こそ被害者なんだ。 いまアメポチで権力牛耳ってるから外国利用して特権維持したいだけだな。
調子こいて世界進出して特権めざして頓挫したが明治よりもコネで結びいてると思うわ。
今も政治闘争で国民のこと考えてない片鱗ががみえる!ww 世界最速で移民ができまーすとかほざいてるしwww 策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦 徳川家や江戸幕府だって同じじゃねこれw だが支配秩序を重んじて新しい事を忌みする朱子学から脱皮する構造改革は必要だった。
旧来指向の徳川幕府ではそれが出来なかった。それだけの事だ。
御一新、今これが必要な時。 会津だけど、今さら薩長批判はないよ。お互い意地かあったということで、日本の危機のときに分裂の策動に乗るのは最悪。 >>194
降りたタイミングがよく叩かれるけど、絶好のタイミングだった。
あのタイミングで降りたから戊辰戦争が内戦で済んだ。
もう少し前だと英仏の代理戦争、もう少し後だと英国(もしかすると米国も)介入しまくりだったと思う。 越後の越には何の意味があるんやろね。本当の歴史って実は教えられてないんちゃうんか。 第2次大戦やって敗北やってのは越前、東北の連中なんでしょ
【終戦の日】「日本が失敗するパターン」とは 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/14/michifumi-isoda-01_n_17754754.html
>やがてナチス・ドイツがヨーロッパを席巻した時には、それに乗ってしまった。そういう外交方針をとるんですよね。その時に、しばしば飛びつく国を間違えることがある。
維新後に越後や東北から出てきた新しい陸軍の官僚の人たちは、日英同盟を結んだ旧薩長側の人たちに対抗した。
彼らは真新しく世界を制覇するとみたドイツに幻惑されたという点もあると思います。 >>215
現在の基準で在日扱いになるのが少ないだけで
朝鮮出兵で連れ帰った陶工の末裔は結構いる >>222
そういうこと。
朝鮮人は日本人を利用して戦争始めた。 GHQが徹底的に処罰すればよかったんだが温かったのが今に尾を引いてるね ネットの普及他云々で、「勝者の正義」に疑問が持たれ始めてるのの一環でしょ >>13
はっきりいって影響ないよ
長州とイギリスさえいれば薩摩さえ不用だったのは
西郷隆盛の最期をみれば明らか ローマ帝国滅亡後の暗黒の中世って
今でいうと中国人が大量に入ってきて文明が崩壊して生活水準が江戸時代レベルまで退行
というイメージ 警察官僚はずっと薩長閥て噂あるけど
どうなんだろうね 明治維新のアドバンテージが150年経った日本にまだあるんだよ。世界の評価と同じように明治維新は偉業だったってこと。
しかもいまさら否定したかってしょうがない。要するに安倍が長州系の人間だから否定したいんだよ。あと中韓は嫉妬から日本の明治維新を否定してるからそれと連動した動きだよ。 >>235
そのかわり、CIAとチョンの植民地になってしまった 少なくとも、長州については妙な殺人事件があったりしたからな。
平成八つ墓村:田布施のタブーにふれ、殺されかけた山口連続殺人犯
ttp://rakusen.exblog.jp/20861026/ >>218
それもおかしいんだよ、吉田松陰ってなにもしてねぇんだもんw
歴史的には全く意味ない人だよ。 >>192
当時は日本も朝鮮もなかった。
簡単に海を渡れるからね。
山口県では今でもウォンが流通している。
安倍のお膝元。 >>209
萩市長が土下座して「戊辰戦争の東軍兵を靖国神社に合祀してください」と願うまで、その態度でいい。 確かに明治維新はアジアにおける英国とロシアのグレートゲームの産物であるが、
薩長は英国が後押し感があるのに対し、幕府はフランスを薩長英への対抗上歩み寄った感がある。
一応、幕府は日本を形式上統治していたから、薩長と違って準国家としての振る舞いは出来た。
日露戦争で日本が勝ってからは英国としては一段落が付き、ロシアやドイツそして北米等での黄禍論も相まって、
明治維新から一貫して支えられた日英同盟のスキームが維持されなくなった。
アングロサクソンは防共的意味合いで、朝鮮併合と満州までは黙認したが、それ以降は許さなかった。 >>235
長州に近代国家の知識を与えたのはイギリスだけど >>231
ドイツと同盟くんだのは失敗だが
アメリカは日本がドイツと同盟くんで
ようがいまいがとにかく満州から
排除したいだけだから
満州からてったいしない限り
日米戦だよ >>230
チョンのが優秀なんだな。
日本人よりも。 時代は伊達家よ、太平洋航路でローマ派遣とか
家康に重んじられるとか、遅すぎた天下なわけだよ。
薩長なんか国際金融資本の影響だろう
伊達は自ら考えた行動よ 関東とうほぐの負け犬はみっともないなぁ。
歴史を捏造するなよ!
薩長のお陰で明治近代化に成功して今の先進国日本があるんだ。
ちょんまげでも結ってろボケ。 安倍は本当に初心に帰るんなら、まず白虎隊士の墓前で線香をあげるべき で
た
w
こ
れ
が
最
近
2
c
h
で
噂
の
朝
鮮
系
日
本
人
に
つ
い
て
の
ネ
タ
か
w あんまりやりすぎて保守を二つに割ってもなぁ
明治維新から近代日本を全て否定する事は韓国と左翼の史観と一致するところで連中を利する事になるがその点はどう思うんだ? >>235
フィリピン並みに対等に渡り合えてるかもしれない。
とにかく敗戦国はもう元には戻れないんだ。 長州は一貫してるから嫌いではない
薩摩は反吐がでる プーチンに涙流しながら日の丸振ってた山口県民を見て、やっぱりな、と思た
真性の売国奴だ で
た
w
こ
れ
が
最
近
2
ch
で
噂
の
朝
鮮
系
日
本
人
に
つ
い
て
の
ネ
タ
か
w >>224
世界の同時代の動乱見ても、単に人類が野蛮なだけってことがわかる。 今こそ、もう、日本人は維新の真実を知るべき。明治の原動力になった長州や薩摩は日本の朝鮮化した地域だったんだよ。
実は、明治維新自体が、イギリスがロシアと対抗するために朝鮮人を操って
実行したクーデターだった。
まず、薩長がイギリスと戦争して負けて藩内クーデター起きてるだろ。
イギリス人は陶器貿易で、朝鮮人が下級武士になっているのを知ってたんだよ。
そいつらを利用した。
長州は、戦国時代まえから守護や戦国大名自体からして、百済王の子孫を称する大内氏や陶氏など帰化人だらけだった。
何しろ長州人は本人たちが朝鮮人の子孫と思っていたから、安土桃山時代に朝鮮出兵した際に降伏した朝鮮人捕虜を連れて帰ってきてどんどん仕官させている。
だから、江戸時代の長州藩士も帰化人だらけ。
例えば、長州藩の御典医の「李家」は、李氏朝鮮の武臣李慶甫の子孫が御殿医として長州藩に仕えた。
子孫の李家 隆介(慶応2年8月(1866年) - 1933年7月23日)は、日本の内務官僚となり、県知事、錦鶏間祗候、下関市長となった。
下関にリトル釜山がありウォンが通用するのも当然だ。
薩摩の奴らは大久保やら鹿児島市高麗町出身がいる。
で、現在、西郷隆盛の子孫の西郷隆文は日置市で窯元を営み、鹿児島県陶業協同組合初代理事長なんだ。
信じがたいだろうけど、大久保利通や西郷隆盛の嫡男の西郷寅太郎も朝鮮出兵の時に連れてきた薩摩焼の陶工を集めた鹿児島市高麗町の出身。生家は百メートルも離れていない。
1600年代の半ばから後半には高麗町の陶工は郊外の日置市に集団移転した ことになっているが、その最後のタイミング(1680年代)で大久保の先祖も高麗町から郊外に移転している。しかし100年後後にまた高麗町に戻っている。
http://ichikikushiki...2013/05/post-18.html
また、西郷も大久保も1600年代半ばに薩摩藩に先祖が仕官しているが、先祖は仕官前の数代は不明。
大久保利通の父の利世は、琉球貿易のための琉球館の通関職員だった。
薩摩は漂着を偽装した朝鮮との密貿易もしていたから朝鮮語か広東語を話せただろう。
天保13年(1842年)、この年までは高麗町に住んでいたことが、『鹿児島城下絵図散歩』で判る。後に琉球館付役に就任、琉球館内の屋敷に転居。
彼らの家系図は、適当に繋いだ偽物の可能性が高い。 東北人ってなんでこんないつまでも恨み続ける「恨の文化」を持ってるんだ?
「征韓論」を唱えた西郷への憎しみも異常だし
どこぞでは焼肉なんていう何処かの国そっくりな食文化をアピールしてるし
ほんとに日本人が住んでるんだろうか? >>205
プロイセンに領土を渡そうとしていたのは
ちょっとあり得ないね。
それだけ追い詰められてたのだろうけど。 >>252
チョンは日本人にはできない汚いことができるからな >>249
?
幕末明治にいろいろ学びにいったじゃん 薩摩藩に朝鮮通詞が存在し、活動していたことはあまり知られていない。
朝鮮通詞の制度は朝鮮との貿易を幕府から許可された対馬藩以外にみられないと思われていたからであり、薩摩藩に朝鮮通詞が存在していたことは驚くことであるが、
意外にも薩摩藩朝鮮通詞はその職制や役料、漂着朝鮮船への派遣など制度として確立していたといえるのである。
朝鮮通詞という職掌自体、苗代川という地域に付随した職能集団から派生し、ある一人の人物の熱意が朝鮮通詞という職を興し、
それを受け継ぐ形で指南家ともいえる家柄が生まれた。それは朝鮮通詞の系譜とも呼べる李家の努力によるもので、
その功なって苗代川の朝鮮語は維持され、同時に藩も漂流民救助の必要から朝鮮通詞の確保の目的に合致した結果、
朝鮮通詞の養成や継承が藩の全面的支援のもとでなされた。そのため、李家の継承者が代々通詞を務めたことで歴代通詞と呼ばれ、世襲的な通詞制度が堅持された。
朝鮮通詞の役割は通訳という補助的職務であるようにみえるが、貿易や漂流民救助において重要な職掌であったことはいうまでもない。
頻繁に往来する唐船とは違い、極めて稀に漂着する朝鮮船を対象とするものではあったが唐通事同様に朝鮮通詞への藩の命令系統や対応する諸役、
漂着現地での対応や聴取内容の報告の手順などは漂着唐船に準じた体制であった。
また、藩の学問の殿堂造士館講堂での年2回の朝鮮語対談をはじめ、藩は異国方書役の役人2名に朝鮮語学習のため苗代川に30日の長期にわたる出張を命じるなど藩庁の力の入れようも窺われる。
このように限られた状況史料から推察することになるがこれらの事情を勘案すると、朝鮮漂流漁船だけに対処する組織体制というより、
もっと広汎な朝鮮船の往来を物語っていることが考えられるのではないだろうか。
http://www.toyo-keiz...re/2009/post_146.php 鉄矢の坂本推しの影響で洗脳状態だったが最近解けてきた
よく大河になったな 薩長には朝鮮さも漂うしな。薩長とは本当に日本人で構成されてるのか? 日韓併合してなかったら
満州進出もなかったのかな?
緩衝地広げる必要ないもんね。 >>259
ナポレオンとスターリンは成り上がりだけど、フランスもロシアも元々大国だからな
悪く言えば彼らはそこに乗っかっただけ
一方ヒトラーは莫大な賠償をせびられ借金だらけで破綻寸前のドイツからスタート
そこから回復してイギリスを除く欧州をほぼ征服したのだからこっちの方が難易度が高い 功罪両方あるのは当たり前かつタラレバは無意味
明治維新は成功した内部大変革と言っていいよ
これを失敗とするなら世界の歴史のあれもこれも失敗ばかりになるわな
明治維新全肯定と全否定の論説はどちらも頭悪い
少なくともあの時代に明治維新なしに緩やかに変革できたとは到底思えない
日本は急速な変化を求めない国であるし、それでいながら当時は急速な変化なくして植民地化を避ける道なしだった >>253
スペインに日本遠征を持ちかけてたろう
伊達政宗こそ売国奴じゃね? >>237
長州だけで維新が出来るわけねえだろw
薩摩のほうが圧倒的に軍事力も兵隊の数も何倍もいたのに >>187
今頃その話をしても,何も動き出すでもない。
で、鹿児島にはどうやって朝鮮人が入ったんだ?
ルーツがわからん。 米国の南北戦争も再評価の動きがあるくらいだからな。日本も明治維新を再評価する時期だな >>241
日本人には理念がなかったからな。
朝鮮人は、百済や羅漢を見返してやろうって思いがあった。
なんせ、反政府主義者だったから。
日本に来て、自分たちの国を作って百済(今の韓国)を攻撃することが夢だったのかもしれない。
その名残がネトウヨの嫌韓。 >>194
慶喜は有能なのは認める
慶喜じゃなかったら、日本は内戦に
突入して、外国勢力が介入してきて
バラバラになってただろう
だから、よく辞めてくれた
普通なら出来ないよ
ただ、慶喜の徳川政権が改革できてた
というと、それは無理でしょ
一回ガラガラポンする必要があったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています