実は、 満州国と大日本帝国は、
長州が廃帝を担ぐという同じパターンで作られた。

満州は、溥儀を傀儡にして政治も経済も
岸一族の支配下にあった。岸一族の野望だった満州のため日本は開戦し敗戦した。
今また、日本は天皇制下の
岸一族による国家私物化の道を歩もうとしている。

実は、実権を失った廃帝再利用という満州建国は明治維新による大日本帝国建国のコピーだった。

特に鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも呼ばれ、東條内閣を倒閣するなど、最終的には力があった。
3人共山口県周防地方の生まれ・育ちであり、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の間
には姻戚関係もある。

松岡の妹の夫は、岸の母方の叔父である。岸の実弟である佐藤栄作は、叔父夫妻の長女で松岡の姪の寛子と結婚して婿養子となっている。
のちのことになるが、岸の長男の妻は、日産の鮎川の従兄の娘である。

東條は満州三角同盟が使った表向き用のコマでしかなかった。