【明治維新150年】なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 反"薩長史観"本が相次ぎ刊行 [無断転載禁止]©2ch.net
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最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。
ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。
来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。なぜここに来てブームになっているのか。このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。
■「薩長史観」により偽装された幕末維新史
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。
だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。
それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
(続きは 東洋経済オンライン で)
https://news.nifty.com/article/magazine/12208-20170908-187322/
2017年09月08日 13時35分
https://i.imgur.com/YaJJqxw.jpg
敗者となった会津藩をはじめとする「旧幕府側」からの、「もう一つの幕末維新史」とは?(写真は会津若松城:shira / PIXTA) >>806
テロリストって現代の価値観に照らし合わせた用語だからレッテル貼っても意味ないよ
それを言ったら歴史上の国家の興亡史のほとんどがテロリストによるものだからね >>840
世間知らずの江戸人らしい中国に夢見すぎな勘違い。 幕末の三大不細工の坂本竜馬は漫画やアニメになると目がパッチリのイケメンに描写されている
そしてグラバーは出て来ない
どうしてもプロパカンダを感じる 反国連史観もしてほしいね
戦勝国側はいまだに戦争犯罪を裁判にかけられてないぞ? 大政奉還で合議制にするつもりが
イギリスユダヤのスパイ政治家独裁になったのが明治維新 だいたい、死姦とか、後にも先にもこのときの長州だけだからな
恨まれて当然よ
実際、会津では男性より女性からの「長州だけは絶対許さない」ってのが多いしな 日本を良くしようよ。
敗戦国になったのはしかたない。
しかしいつまでも朝鮮族に支配されていていいのか?
本当の敵は誰なのか。
みんなで討論しよう。
それは朝ナマではぜったいにやらないから。 >>836
おそらくそういう人は、「江戸幕府のままでも外国とやりあえた、むしろより上手くやった」と考えてる
維新肯定派は「外国に対抗しえたのは薩長の功績、幕府は無能」と考えてる
歴史のifなんざ、いっても詮無いことなんだけどもね まあ、維新の結末・結実が、敗戦と日本国憲法だとは言えるわなあ。 革命で歴史が進展するという厳然たる事実がアジアの日本にも適用出来ることを認めたくないネトウヨのあがき 君らにちょっと説明しておかなければならないことがある
単純に天皇を入れ替えるとか、そういう野蛮なことは単純に実行できない
彼らには理由が必要だったんだ
当時、南北朝の正当性を争う議論があって、正当な血筋に戻そうという運動があったんだ
その論調を言い訳として、血筋が残っているとかいういい加減な証拠もないものを頼りに
天皇の入れ替えが実行されてしまったんだよ >>889
それはちと違う
勝って官軍になったわけじゃないし
負けて賊軍になったわけじゃないからね 政府、明治維新150年で記念事業
2016/10/7 10:42
菅義偉官房長官は7日の閣議後の記者会見で、2018年に明治維新150周年を迎えるのを
受け、記念事業を検討すると発表した。近く関係省庁で連絡会議を設け、関連施策を検討
する。菅氏は「日本にとって大きな節目だ。明治の精神に学び日本の強みを再認識して次
世代に残すことは極めて重要だ」と述べた。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H0I_X01C16A0EAF000/
↑
こういう気持ち悪いことへの反発でしょ >>819
江戸幕府のシステムって合理的でよく考えられてるよな
非情は面も多いけど戦国時代の血生臭い状況からよくたった三代であれを完成させたわ
プレーンも相当優秀だったんだろう アヘン戦争の黒幕であるイギリス東インド会社、特にジャーディン・マセソンが
その長崎支社のグラバーを通じて薩長のバックアップをしていたのは事実
重ねていうが、ここまでは全て事実で陰謀論でも何でもないからね
グラバー商社のグラバーは香港に拠点をおいていたイギリス東インド会社のひとつ
ジャーディン・マセソン商社の社員(これは事実)で、グラバー紹介っていうのは
ジャーディン・マセソン社の日本支社なんだよ
で、グラバー=ジャーディン・マセソンを通じて、薩長はアメリカ南北戦争に使われる
はずだった武器を輸入したり、「維新の十傑」とやらを欧州に留学させたりすることが出来た
これまた事実
要するに、世界史的には明治維新はアヘン戦争を起こしたイギリス帝国主義が
糸を引いたクーデターと見るのが正しいと思うよ 武田鉄矢は特に注意して話を聞くようにしてる
あの人危ない >6.「白河以北一山百文」と侮辱された
これって、江戸時代にはもう言われてたそうだよ
それを長州が言い出したと嘘ついてる >>884
団塊の世代は司馬遼太郎は嫌う。
司馬遼太郎史観で生きてるのは、それよりは少し上の世代だな。 家永三郎《日本の歴史4・明治維新》
>若松城が落城すると、200余年の長いあいだ役人の圧制に苦しんでいた会津の人民が、
>いっせいに『世直し』一揆に蜂起した。10月3日、大沼郡ではじまった一揆は、
>11月下旬の南会津郡の一気におよぶまで、2か月近く、全領内で、しかも、まだ、
>政府軍の砲火のおよばないところでもおこった。かれらは、『徳政』あるいは、
>『肝煎(庄屋)征伐』と書いたむしろ旗をかかげ、『村役人の農民による選挙、土地を
>平均に所有する、高利貸から借りた金は、徳政としてかえさない、3か年の無年貢』などを
>要求した。農民は、役場・肝煎・高利貸などをおそって打ちこわし、土地台帳や借金証文を焼き、
>村役人を新しく選挙した。」
会津農民や領民は会津藩を見放したのである。領民たちは会津武士の死骸から衣服や金目のものを
剥ぎ取って売り、藩士の死体収容すら拒否したのである。 おまいら年表とか覚えるのは得意そうだけど、人物像とか語れないの? 攘夷を決行するバカ
京都焼き討ちしようとするバカ
これが長州 今の価値観でテロリストとか言ってる時点で議論にもならんわな >>1
あの時代をそんな単純な見方する人間が
日本にいるとは思えない
なんかの工作活動ですか東洋経済さん >>728
食い物の規模が違うよな。
アヘン戦争をきっかけに,中国に欧米列強が進出し,最終的にドイツ、イギリス、ロシア、日本に方々が占領される始末。
イージスを買わされるのとはスケールが違う。 日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東条英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。 >>866
大政奉還自体は「薩長の討幕準備に先手をうった慶喜の決断」って評価が通説じゃね
それまでの幕府独裁から転げ落ちた経緯は燦々たるものだが 幕府が勝ってたらイギリスが乗り込んで来たのかも…? 会津プロイセン(ドイツ)との
提携を模索していたことが東京大史料編纂所の
箱石大准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は
会津が北海道などの領地の譲渡を提案したが
宰相ビスマルクは戦争への中立
などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で
10年ほど前にドイツ側の研究者が
存在を紹介したが詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは
1868年の文書3点。いずれも、ボン大の
ペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読
日本語に翻訳した。
会津による国土売却未遂事件!これが史実の会津!!!
天皇の忠臣でも幕府の忠臣でもない!ただの売国奴!
会津プロパガンダで美化してるキムチ脳だっ! >>861
は?西洋医学とか普通に全国に普及してたけど何を言ってるの? >>893
そして占領、武装解除され、生きることを許された代わりに
従順で勤勉なアメリカ様のおフェラ豚になった(笑) >>900
半島に頭の中支配されてるのはネトウヨくらいのもんだ。 徳川幕府体制のままなら白人による植民地に日本はとっくの昔になっていたよ
徳川体制でこのままだと技術的な遅れや軍事的にも白人にはかなわず
日本が植民地化されてしまうといった危機感がその当時の人々にはあり
革命を起こし富国強兵で日本を強く立ち直らせていくしか方法がないと考えて実行にうつしたのだろう
この時期から第二次世界大戦で日本が敗戦国になるまですべて一本の線でつながっているんだ
白人による日本支配を断固阻止するという線でね 戦前はイギリス人のスパイ、戦後はアメリカ人のスパイの薩長では
アメリカに勝てるわけがない、占領されて死を待つのみにされる
2chのはずれでどっかの誰かが言ってたとおりではある >>900
世襲政治=薩長政治=チョン支配政治
世襲政治やめるのは議論なんて要らない
投票で世襲議員を全員落とせばいいだけ
欧米では数パーセントの世襲が自民党では7割
これが根本原因なのはサルでもわかることだ
あと野党のチョンどももいらねえな
朝鮮維新とかな >>906
これだな。
バカサヨ分かりやすwwwwwwww 安倍は長州なんだよ。
これは軽からんことなんだよ。
長州人の血を引いているということは、
””なんちゃって””、、、、てのは無しってことだわ。
そのことを会津は良く知っている。 >>836
私もそう思う。
あとリベラルの幼稚さと劣化ね。 幕藩体制が崩壊させたのは大正解。
明治政府の評価はまぁいろいろ。
維新はあんなもの。もっと内戦をすべきだったとか
いう人もいるけど、万一長期化でもしたら
えらいことになりそう。 朝鮮からやってきた方々が
日本で成功して、クーデターして政権取って、
故郷を見返すor助けるためにやったのが
日韓併合だったのかしら?
また同じことが繰り返されないといいなあ。
心配。
戦後レジームからの脱却って
それやりたいという意味だったらやだなあ。 >>769
チョンと日本の近代史観が一致してんのに
なんで朝鮮人を忌み嫌うのか? 白河似北一山百文。
東北を蔑視する言葉。
河北新報の題号の由来でもある。
旧盛岡藩出身の平民宰相原敬は
自らを「一山」と号した。私も小学校の先生に
教えられた。東北を蔑む言葉だが
自らその表現を伝えるわが東北人には
中央中心の日本の見方に対する明確な
外交意識を想起させる言葉でもある。
この蔑称はどのように生まれたのか。
戊辰戦争で官軍が発したとも言われるが
実証されていない。今のところ『近事評論』の
記事「白河以北一山百文」(1878年8月23日)
を起源とみるのが最も信頼できる説だ。
■出典 河西英通『続・東北 異境と
原境のあいだ』中央公論新社(中公新書1889)
会津プロパガンダ洗脳者は会津の嘘に気づきましょう。 >>920
原敬をかって取り立てたのは山縣有朋だぞ いつになっても、左翼は戦前の日本は悪って決めつけて譲らないな >>917
当時の価値感でもテロリストだから取締まられたんだろw >>844
楽観的すぎる
中国がどうなったか
たしかに全土の植民地化まではされなかったが列強がそれぞれに勢力圏を持つ半植民地状態になったよね >>819
>江戸は貿易を統制して情報を出島から一元管理していただけ
それを鎖国と言うんだよ。
諸外国との交流は限りなく停滞した。 会津軍は周辺の地を焦土にしながら敗走を続けた。
慶応四年に始まった戊辰戦争は塩原温泉をも巻き込んだ。
旧幕府軍の形勢が不利になると、会津藩や凌霜隊などが塩原を焼き払おうとした。
この時焼き払われた民家は149戸といわれる。
妙雲寺も焼き払われるところだったが、住民の渡辺新五左衛門が会津に嘆願したため
妙雲寺の天井に描かれた菊の御紋に×印をつけることで焼失を免れた。
松楓楼松屋の歴史 バッサリ言えば、安寧の世が江戸時代の泰平を連想させるからだろ 欧米列強がことごとくアジアを植民地にしてたのに
日本だけは江戸幕府でやれたとかイージー過ぎでしょ >>664
坂本龍馬を研究している、まともな日本史学者なんていないのでは?
徳川光圀(=水戸黄門)や鼠小僧次郎吉を研究している日本史学者がいないのと同じだw >>854
それはどうかな(・_・;)
日露戦争までは日本の戦略は正しかったと思うよ。
川上操六や児玉源太郎、陸奥宗光、その他たくさんの
綺羅星のような政治家官僚、そして市井の人々が
一致団結した日本史上一番日本人が一番格好良かった時代だった。 明治政府は極めて理性的だったな。西洋の良いところだけ吸収している。
普通、榎本武揚とか斬首だろ。慶喜や篤姫はギロチン台。 >著者の原田伊織氏は69歳で
>作家のほかクリエイティブディレクターとしても
>活躍する人物。なぜこんな刺激的な歴史本を
>書こうと思い立ったのか。
>「子供の頃から、自国の歴史を否定する風潮に
>疑問を感じていました。洋の東西を問わず
>戦争に勝った方が自分たちに都合のいいように
>歴史書を書く。ただし、どの国も戦後100年も
>経てば必ず当時を検証するものです。
>ところが明治維新後に生きた日本人は
>その検証をやってこなかった。
>そこで明治時代以降の歴史を一冊に
>まとめておくべきだと思ったのです」
歴史家でも何でもない老人ですね。
検証されてないとは何を根拠に?
この老人は何を根拠に検証したのか? >>917
錦の御旗を得るまでの薩長土肥は当時の価値観でもテロリストだよ。 大久保が霞が関システムを作り上げ
そして竹馬の友の西郷等を西南戦争で切り捨て
自身も西南戦争の生き残りに暗殺される
自分的には反薩摩藩史観は納得できる 歴史は近現代の方が面白いのに、学校では触れたくないからかさっさと終わらせてたな 田原坂で斉藤一が大活躍するやつ見たい
るろうに剣心て馬鹿馬鹿しいけど明治の雰囲気があると思うわ 遅れてるな 薩長は去年で終わり
俺のマイブームは応仁の乱なんだがな 山名宗全いいよね 保守や排外主義の立場からすれば戦前の日本はろくでもないよな。
・自国民が餓死してるのに無視して血税を使って植民地を近代化
・朝鮮人を大量に日本国内に入れた
・朝鮮人、台湾人を日本人にして民族をごちゃまぜにしようとした
まあこの辺の主張は有門大輔が論客だよな。
興味ある人はブログを読むべし。 現政権が薩長閥の末裔だからとかいう共産党の斜め上キャンペーンだろ >>870
日本の近代産業の発展に尽くしたのは島津斉彬だが、西郷大久保がいなかったら
お前は今頃おかゆぐらいしか食うもんがなかったと思うぞ
あと、薩長が幕府軍に勝ったのも薩摩が独自に武器を改良、輸入してたおかげ
10倍の敵に勝ったわけだが、この軍隊を動かした中心人物が西郷と大久保
これを無能というのかすごいな >>949
薩長が研究予算決めてるんだから、グラバーに踏み込むと失職だしなw 斗南藩史の作者である葛西冨夫は
「飼い犬に足を噛まれるとはこのこと……
会津戦争に追いうちをかけられたようなこの一揆は
敗戦にうちひしがれた会津藩士にとって
大きなショックであったろう」と記している。
何なの?会津系の奴って。領民を犬くらいにしか見てないのか!
会津が最終的に領民から見放されたのがよく解るわ! >>934
今日は薬が効いてるの?逆にきれてるの? 近代化は徳川幕府が進めてた既定路線。
薩長は基地外じみた攘夷を叫んでそれに反対し、
クーデターを起こして国を乗っ取っただけ。
明治以降の日本の近代化は、すべて旧幕臣が担ってる。
福澤諭吉も言ってるように薩長は邪魔者なんだよ。 >>953
テロリストと言わないまでも、反政府軍だったのは間違いないわな。 >>953
あれ、岩倉が皇室に無断でつくった偽物の錦旗やで
日本が道を誤ったのだとしたら
薩長なるクソ土人が政権取っちまったのが原因じゃけえの
会津の遺体埋葬の問題について思うところがある。
新政府が会津藩兵を賊徒とみなして戦死遺体の埋葬を
禁じたというのは真っ赤なウソだ。
こうした虚構を言い広めるのは、たいがい善意に基づいてのことだろう。
そんなやり方は許せないという正義感は、裏返せば
新政府の側にあった(主として薩長の)人々への悪意になる。
もちろん悪意を向けられる歴史上の人物たちにしてみれば
まったくの言いがかりでしかない。
歴史学者大山格 >>933
そういうことは明治に外国に売られていった日本人婦女子20万人の墓前で言ってごらん >>928
洋服着てオーベーデハーオーベーデハーと白人様崇拝して
ミサイルが上空飛んでも自国じゃ何も解決できないなら
無駄な戦争せずに白人様に支配されてても大差ないよね(笑) >>924
医学だけは例外的に認められてたって知らない? >>920
日独伊とか対米開戦に反対したのが
東北人だったことを考えると異論があるね。 とりあえずね、>>908の事実だけは維新の前提知識としてあるべきだし
この知識があればどう考えても明治維新はイギリスの重商主義者が
絵を書いたクーデターなんだよ
今まで「グラバー」が「なんの背景もなく」「全くの善意で」
日本人を欧州に留学させたり、南北戦争に使われるはずだった武器を薩長に
融通したと思い込んでいた事って、おかしいと思わないか?
そんなわけがない。グラバーは、全く事実として、イギリス東インド会社の社員なんだよwww >>942
慶喜が水戸出身で水戸学の影響受けてたから丸く収まったが
他の将軍なら新天皇擁立で南北朝の再来も有り得たからな。 会津藩士は「他国の農民は虫けら」と見ていたのである。
たとえば、慶応四年八月二十一日
会津直撃を目指して、三千人の征討軍が
殺到した母成峠戦いのことだ。
会津側は、ふもとから頂上まで三段の陣地を
構築し、頑強に抵抗した。
勝敗を決したのは、征討軍右翼隊である。
彼らは、道なき深山を迂回し
会津守備隊の側面を奇襲したのだ。
この奇襲部隊の道案内をしたのは
峠のふもとの石筵集落(郡山市熱海町石筵)の農民たちだった。
その前日、会津藩兵は
敵が隠れる所をなくすために
放火して集落を焼き払ってしまった。
家を焼かれた農民たちが、恨みを晴らすため
道案内を買って出たのである。
会津盆地から流れ出す阿賀野川の下流
新潟県安田町でも、会津藩兵は六野瀬という
集落を焼き払った。その翌日の八月一日
会津藩兵は、阿賀野川に面した砦を
守っていた二十四人のうち、二十三人が
戦死したのだが、六野瀬集落の人々は
「会津のやつらは……」と言いながら
遺体を阿賀野川に投げ捨てた。 日本が植民地にされなかったのは清のこと学んでたからだ
武装国家に脱皮し舐められない状態に持って行った
不平等条約はあったにしろ 歴史とは戦勝国が決めてしまう
その史観になんの疑いもなく信奉する平和脳
度しがたい洗脳モルモットだね 靖国の成り立ちとか長州ありきだもんな
まるで国の神社かのごとく広めてるが
あれただの長州の神社だろ >>961
共産党をつくって日本の赤化をたくらんだのは長州人と朝鮮人だぞ。 会津という神話―〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 田中悟[著]70年生まれ。神戸大学助教(政治学)。
[掲載]2010年4月25日 asahi.com
[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)■呼び戻された「悲劇」の死者
「いまだに長州への怨念(おんねん)を抱いている」
お酒の席でそんな思いを吐露する会津の人と、私はこれまで何度も出会ってきた。
幕末の戊辰戦争で長州軍にさんざん痛めつけられた会津は、いまでもその時の恨みを忘れていないというのである。
しかし、本書の著者はそのような感情は戦後になって高揚したもので、戦前・戦中の会津では、長州人と同じ「勤皇精神」の持ち主だという思いが大勢を占めていたという。
「長州への怨念」は、戦後に「無垢(むく)な敗者」「近代日本の被害者」というアイデンティティーを獲得する過程で、あらためて喚起され直した感情だというのである。
戊辰戦争の死者は、明治政府によって「賊軍」とされ、国民の物語から排除された。
しかし、会津の人たちは勝者による物語の独占に異を唱え、自分たちこそが真の勤皇の志士だったと主張する。
そして、国民の物語への吸収を悲願とした。
この願いは、1928年に会津松平家の節子(勢津子)と秩父宮雍仁(やすひと)の縁組が実現することで果たされる。
さらに30年代後半、徳富蘇峰が各地で行った講演で、「会津は逆賊などではない」と強調し、その「尊王の大精神」を称揚したことによって達成された。
そして会津の「勤皇精神」は「大東亜戦争」中に国民が見習うべき規範という地位を確立し、絶頂期を迎える。
しかし「大東亜戦争」の敗戦によって、会津の人々はこの物語をリセットし、司馬遼太郎による「悲劇の会津」という新たな物語に飛びついた。
会津人は「軍国主義の寵児(ちょうじ)」という側面を「忘却の淵(ふち)に沈め」、好都合な「司馬史観」に乗り換えたのである。
その過程で白虎隊の「非業」や「純粋さ」が神話として再設定され、会津の観光化の中で利用されていったと著者は主張する。
会津にとっての二度の敗戦経験は、どのような記憶を紡ぎだし、何を忘却していったのか。
本書の問いかけは、会津という空間を越えて、靖国神社に象徴される「国家と死者」の問題に鋭いメスを入れている。 次スレです。
【明治維新150年】なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 反"薩長史観"本が相次ぎ刊行 ★2 [無断転載禁止]©2ch.net
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1504874315/ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。