0001記憶たどり。 ★
2017/09/09(土) 14:10:19.70ID:CAP_USER9捕虜だった英国人兵士と日本人少年の2人が仲良く肩を組んだ写真がある。
1945年8月の終戦直後、米軍が福岡市内で撮ったとみられ、英国人の遺族が所有。
「捕虜だった頃、この少年にとてもお世話になったと聞いた。ぜひ感謝を伝えたい」。
名前も分からない日本人を捜すため、遺族たちが来日し、支援者たちと一緒に
手掛かりを求めて歩き回っている。
英国人は、2004年に81歳で亡くなったバーソロミュー・ゲイソンさん。
元英海軍2等水兵で、42年3月、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦で撃沈された
重巡洋艦の乗組員だった。
漂流中に日本の駆逐艦に救助され、捕虜として日本へ。長崎市香焼町にあった
福岡捕虜収容所第2分所に入れられ、終戦時は福岡市東区にあった同収容所
第1分所にいたとみられる。
来日したのは、長女のバーバラ・モターショーさん(69)とその家族。
戦時中の捕虜問題を調べている市民団体「POW研究会」(東京)が支援し、
4日から2人の写真を頼りに収容所跡地などを訪れている。
モターショーさんによると、ゲイソンさんは終戦後、米国経由で帰国し結婚。
ユーモアにあふれ、日本人への悪口は一切語らなかったという。捕虜時代の詳しい話は
一度だけ聞いた。満足な食事がなかった頃、日本の15、16歳の少年とその父親に、
とても親切にされた。「少年が弁当を一緒に食べようと言ってくれ、捕虜のご飯を
そっちのけで食べた。翌日から毎日、弁当を分け与えてくれた」
POW研究会は当時の状況から、ゲイソンさんが労役として福岡市内の家族経営の
工場に派遣された際、交流が生まれたと推測。日本人が捕虜に優しく接するのは
許されない時代で「写真のゲイソンさんの表情から、2人に友情が育まれていた
ことがうかがえる。捕虜と日本人の親しげな写真は極めて珍しい」と驚く。
写真は、ゲイソンさんが終戦後に英国の弟に送った1枚で、裏に原爆でうちひしがれた
日本人に対する同情の言葉もあったという。
モターショーさんは9日、長崎市香焼町の連合国軍捕虜の追悼記念碑前である集会に
参加し、16日に帰国予定。「私が生を受け、今の人生があるのは、優しくしてくれた
日本人の少年のおかげと思う。小さな手掛かりでも集めたい」と話している。
日本人の少年(右)と肩を組む英国人のバーソロミュー・ゲイソンさん(遺族提供)
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20170909/201709090003_000.jpg