ものごとをよく知らぬトンチンカンが書いた文章のようだ。
まず、憲法9条で戦力不保持にまで踏み込んだのは日本人の発案とわかっている。
いつまでたっても、占憲法史観の宣伝マンでありたい人のようだ。
軍事力保持を施錠と同列視するのも、たとえにならぬたとえで為にする論の典型。
国家の軍事力を個人にたとえるなら、個人も銃保持ということだ。アメリカのように。
ではそれで、アメリカは日本より安全な社会なのか。逆に毎年何万人も銃で殺されている。
戦後70年間は牧歌的だったなんて、吹き出さずにはおれないほどトンチンカンだ。
1962年のキューバ危機では米ソの全面核戦争の寸前にまで至った。在日米軍も臨戦体制に入った。
沖縄には今の北朝鮮の比ではないほど強力で多数の核兵器があり、共産諸国への発射寸前になった。
当時沖縄にいた元米軍兵士は、ソ連の核ミサイル反撃で沖縄は消滅するだろうと思ったと証言した。
冷戦期には、ソ連機が日本周辺を飛行し、本土周辺領空への領空侵犯も頻発した。今の中国の比ではない。
その時代でも、日本は平和憲法のもと、ソ連とも平和外交を基本にして平和国家に徹してきた。
その結果、戦後の日本は一度も戦争せず、平和を維持できた。明治憲法下では戦争を繰り返したのに。
平和憲法があるから絶対に戦争にならないとは保証できるはずがない。
だが、平和憲法のもとで日本が平和を維持し続けられたのはまぎれもない歴史的現実だ。
それは平和憲法に浅はかな人知を超えた知恵があったからだと見なしてよかろう。
それに対して改憲論は、浅はかな人知を過信して、平和憲法をやめて戦争解禁憲法のほうが平和になると言う。
かつて人知を過信して理想社会を目指した共産主義は、理想に反して抑圧国家に堕してしまった。
いま人知を過信して理想の国防なるものを目指すという改憲論は、「こんなはずではなかった」にならないだろうか。
人間は浅はかな人知を過信して何度も過ちを繰り返した。歴史で証明された平和憲法の知恵にまさるものはなかろう。