>>17
京都周辺をいくら掌握しても、
「亡君の仇討ち」を名分にした織田配下諸将の連合軍が四方から攻めよせてきたら、
たとえ秀吉の「大返し」がなくても明智勢は結局ひとたまりもなかったのでは。