「臣はそれ中才なり・・」

嘘か真か中国大返しのとき、正に「信長死す」という訃報が羽柴勢に伝わったとき
秀吉ことサルは、余りに有り得ないことに、そしてその衝撃が強すぎて呆然自失となったとある

そこに黒田官兵衛が
「さてさて天の加護を得させ給ひ、 もはや御心のままに成たり」と妙なことを言ったという
これは正に信長の仇を取れば実質織田家での発言力は各段に上がり、場合によっては天下を望める・・と

その意味を即座に察したサルは「官兵衛、己は言わざることを言った」と、たしなめたそうだ
主君の死を前にして家臣として嘆かず、即座に権力争いを考えるとは、人の道から外れると・・・

後にサルが太閤になったときでも黒田官兵衛は、
その功績に見合わないほどの九州の小名としてしか扱われなかったそうだ

人は黒田官兵衛の働きを大きく評し後に大才の人物として敬意を表したが
黒田官兵衛自身は自嘲しながら、こう答えたそうだ
「臣はそれ中才なり」と
大才なれば、あの時あの瞬間に、非常時な時にも即座に天下を狙う・・などと口走って
サルに警戒心を持たれずに済んだであろうと
そこまで警戒されなければ九州の片田舎の小名で抑えられる事もなかっただろう
というわけだ