光秀としては、柴田、羽柴、滝川ら軍団長クラスが遠国にいて急には取って返すことも出来ず、
石山、堺、住吉、岸和田に兵を集結させていた惟住長秀、三七信孝の傘下兵についても
本能寺の変を聞くと大半が逃げてしまい、流浪の兵団と化していた