>>723
秀吉軍は、実にすばらしい名将であったと、ぜひ九戸周辺の住民に聞いてみてはいかが?


九戸政実の乱
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合計6万5千の兵に包囲された九戸城ですが、政実はわずか5千の兵で籠城し、互角以上の戦いをみせます。
業を煮やした中央軍は、長興寺の薩天和尚を仲介として、偽りの和議を申し入れました。この和議に対して
謀略ではないかと反対する者もありましたが、一人でも多くの一族郎党を救おうという思いから、政実は中央軍に
投降します。
しかし、その後中央軍は開門した城内になだれ込み、火が放たれ、城内の者は撫で斬りにされたと伝えられています。
連行された政実は、中央軍総大将豊臣秀次の指示により、三ノ迫(さんのはざま)にて斬首されます。政実は
享年56歳であったと伝えられています。言い伝えでは、斬首された政実の首は家臣が密かに地元まで
持ち帰り、九戸神社近くの山中に埋めたと言われています。

これ以降、豊臣秀吉に対して組織的に対抗したものはおらず、この「九戸政実の乱」こそ、
「豊臣秀吉 天下統一最後の戦い」でした。