>>887
戦力は毛利は後詰入れて4万そこそこ、秀吉は宇喜田軍入れて3万そこそこで戦えないこともない。
高松城は水攻めで孤立して、後詰は直接救援することができず、城兵は餓死寸前の状態。

秀吉の側は後方は宇喜田が心配ではあるが居城の姫路城までほぼ勢力圏で、
光秀は京都、近江、美濃あたりの制圧で手一杯で、信長の息子たちや細川藤孝らを打ち破って秀吉へ攻撃することは
当面できそうもない。
逆に毛利は主力を備中に置き続けてたら山陰や周防を攻撃される恐れがあり、補給も心もとない。

当然正確な分析は秀吉も毛利もできなかっただろうけども、このまま戦いを継続しても秀吉を撃破できる
はっきりした見込みはなく、仮に秀吉を撃退しても光秀を倒した信長の後継者がしばらくすればやってくるだろう。
あるいは備中・美作・伯耆の確保や義昭の要請に答えるために東方に戦力を派遣し続けなければならなくなるかもしれない。

講和を打ち切った場合の利益:備中・美作・伯耆と清水宗治の命
講和を成立させた場合の利益:城兵の命と東方の安定

を天秤にかけて、後者を選んだというような推測がたたなくもない。

講和の条件が毛利に厳しすぎるようにも見えるが、元々がその条件で折衝していたわけで、妥協すれば
そもそも高松城城主の宗治が講和をひっくり返す恐れがあり、また双方密約の存在を疑われたりなど
後々面倒なことになるので妥当な線だと思う。

根拠の薄い憶測なのだが、逆に「秀吉はすげーラッキーだったんだぜ!」「光秀はチョンボで全て台無し」
という話も嘘くさく、秀吉の中国大返しと光秀の滅亡が歴史の必然だったと考える方が個人的にはすっきりする。