>>794
そのあたりは、良くわからん。
 俺の親族にも、沖縄戦の遺族がいた。摩文仁の丘に慰霊施設ができた何年か後に、
慰霊の団体ツアーがあり、生きているうちに息子の慰霊に行けて嬉しいと言って、
晩年の病身を押して行った頃は、まだ沖縄が本土に復帰していなかった。
息子の遺骨さえも帰ってこなかった遺族として、たとえ一片でも喉から手が出る
ほど遺骨が欲しいと言って出発したが、さすがに、誰のものかわからない遺骨を
見ると、遺骨の主の遺族も自分と同じ思いであることが痛いほどわかるだけに、
本当の遺族の手に渡るべき遺骨を自分が持ち帰りたいとは思わなかった・・・と言っ
ていた。戦死した肉親の遺骨すら戻らなかった遺族の偽らざる本心だろうと思う。
 陥落から本土復帰までの沖縄が米軍の占領下にあったことを忘れてはいけない。
戦時中の米国兵が、日本兵の頭蓋骨や大腿骨製のペーパーナイフを恋人に贈ったり
したことを思えば、終戦後に米軍兵や家族の保養地や観光地になった戦跡で、米軍
兵の手柄を誇示する感覚で遺骨を見世物にして冒涜し、その過程で誰の遺骨なのか
わからなくなってしまった可能性も十分にありうる。地元の人たちにとって、地元
民と日本兵のどちらの遺骨か不明の無縁仏については、地元側と日本軍側のどちらの
合同慰霊碑に移すべきか決めかねて、故人が亡くなったガマを墓所と定め、本当の遺族
が遺骨と巡り会える確率を少しでも高めようとした可能性もあるから、地元民を責める
わけにも行かない。