>>903
だよな。
朱子学が幕府の公式イデオロギーだったので、倒幕は朱子学を批判する立場の陽明学と親和性があった。
まあそれはちょっと単純すぎる図式理解であって、内的な論理の違いに重要な意味があり、

朱子学は自然や社会の根底にある理(ことわり)をまずはちゃんと勉強して、そして孔子や孟子の説いた
思いやり(仁)などを実践しなさいという理屈である一方、陽明学は、勉強が終わらないと正しく実践できない
というのはおかしいんで、自分の立場で正しいと思ったことを実践しながら考えていけばいいと説いた。

つまり朱子学にもとづけば幕府の偉い学者からお前ら勉強が足らんからダメだと言われてしまう事に対して、
陽明学を使えば俺は自分が正しいと思うことをやったまでよ、そもそも偉い学者が何を分かっているのか
と反論することができた。だから幕府に対して反乱を起こした大塩平八郎は陽明学を使った。

で、そのほかに日本では、陽明学の理屈は、親に対する孝行(孝)や、主君に対する忠誠(忠)だけを一生
懸命やればいいというふうに理解されていった。日本人にとって身近な善を実践すればいいんであって、
孔子が言ってるような中国文化臭い倫理観に従う必要はないということで、これは武士の素朴な道徳観を
儒教風に「武士道」として確立することになった。

それでこの忠孝の考え方と、日本の歴史は永遠不変に天皇を中心とする歴史であるという歴史観が水戸藩
のなかでミックスされて、天皇家の支配が永遠に続くなら、人々が天皇を忠誠の対象とすることは親から子に
永遠に引き継がれていくものであり、子と親が別の王に仕えるということはない、したがって親孝行と王への
忠誠が矛盾することは無い、ということで「忠孝一致」が日本人の道徳として唱えられる。

これで尊王と武士道と忠孝一致、そしてのちに生きてくる倒幕のための理屈もそろった。
ちなみに攘夷は神話の中で神がかった天皇がつぎつぎ敵を負かして従わせたことなどにもとづく。