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明治時代に突然でっちあげられた日本の伝統でもなんでもない「国家神道(天皇のために戦死し、靖国神社に祀られると英霊<神>になれる)」
国民奴隷化と戦争を推進した
「国家神道」を政教分離の例外とする改憲をして復活させようとしているカルト集団が安倍自民&日本会議
森友・安倍晋三小学校はそのモデルケースだろう


神社の政治利用から初詣ラッシュまで 「ル・モンド」紙がみた“神道のいま” | クーリエ・ジャポン
http://courrier.jp/news/archives/71942/2/
そして、2つの神社が神聖な場所とされた。1つは伊勢神宮という政治(天皇制)と
宗教の融合の中心地であり、もう1つが、国に殉じた戦没者と神格化された天皇を祀る靖国神社である。
しかし、実際には明治時代以前において、天皇が神格化されたことはなかった。フランス国立東洋言語文化大学の 
名誉教授、フランソワ・マセは、月刊誌「シアンス・ユメーヌ(人文科学)」でこう語っている。
「(明治時代まで)天皇は神ではなかった。天皇が他界したときの儀式は、仏教にのっとっておこなわれていた」
「日本の神髄から発生したとされる神道は、他の宗教(仏教やキリスト教)より上位に置かれたのである」
つまり、国家神道とは「伝統のでっちあげ」であった。国家神道は民間信仰としての神道と大きく異なっている。
それでも国家神道は、アイデンティティを形成するイデオロギーの源になり、天皇を中軸にした大衆の
結束を強固にし、やがて1930年代の国粋主義につながっていく国家権力に、国民を従属させたのである。