1992年、自民党金丸副総裁(当時)が佐川急便からヤミ献金を受け取っていた事実が判明。
非自民の受け皿となるべく熊本県知事の細川護煕が新党を立ち上げた。

■細川連立内閣

日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、
社会民主連合、民主改革連合

1994年細川内閣が短命で倒れると、新政党党首であった羽田孜が
衆参両院で首班指名を受けた直後、民社党委員長の大内啓伍が統一会派の
結成を発表した。
社会党の影響力低下を狙う小沢は大内の提案に賛同し、新生党、日本新党、
民社党、自由党、改革の会の5会派は大内の提案に賛同し衆議院で統一会派「改新」を
結成した。これによって74議席の日本社会党の倍近い130議席を持つ
衆議院第二会派が誕生した。しかし、これに対して社会党と新党さきがけが反発。
6月には、羽田内閣は総辞職し、社会党委員長の村山富市が自民・さきがけの
支持を受け首班指名され村山内閣が発足し、非自民勢力は下野する。
9月、非自民勢力は新・新党の結成を目指して「改新」に代わり、
公明党を含めた院内会派「改革」を結成。後の新進党につながる枠組みとなる。