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【東名夫婦死亡事故】「(車の)前照灯が左右に何度も動くのをミラー越しに見た」通行者証言
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0001豆次郎 ★ そうだ5ちゃんねるしよう!
垢版 |
2017/10/12(木) 11:21:58.75ID:CAP_USER9
朝日新聞デジタル
 神奈川県大井町の東名高速で6月5日夜、停車中のワゴン車が大型トラックに追突され、夫婦が死亡し娘2人がけがをした事故で、現場付近を当時車で通った人が神奈川県警に対し、「(車の)前照灯が左右に何度も動くのをミラー越しに見た」と証言していたことが、捜査関係者への取材でわかった。

 自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)などの疑いで逮捕された福岡県中間市の建設作業員石橋和歩容疑者(25)は、事故直前にワゴン車の前に割り込んで進路を妨害し、車線変更をしても同様の行為を繰り返していた末に、停車させた疑いがある。前照灯の動きがどちらの車のものかは現時点で不明だが、県警は今回の証言から、こうした妨害行為があったことを裏付けるものとみている。

 この事故では、静岡市清水区の車整備業萩山嘉久さん(当時45)と友香さん(当時39)夫婦が亡くなった。県警は2人の娘のほか、石橋容疑者の車に同乗していた女性から話を聴いた。さらに、現場付近を当時走行していた車を洗い出し、260台以上の運転者らに聞き取りを重ね、一部の車からはドライブレコーダーの映像も回収。石橋容疑者が停車前、一家のワゴン車に極端に接近したり、進路をふさいだりしていたことを確認したという。

http://www.asahi.com/sp/articles/ASKBC779DKBCULOB02M.html?iref=sp_new_news_list_n
0190名無しさん@1周年
垢版 |
2017/10/17(火) 03:24:11.41ID:8V0U1BCC0
2016年1月、わが国でもマイナンバー制度が開始された。先陣を切って半世紀前には隣国の韓国では住民登録番号制度が開始されているが、前者は社会保障の公平性を目的としているため、韓国の住民登録番号制度とは似て非なるプログラムである。
一方、後者は日本同様に年金や社会保障の管理はもちろんだが、加えて本人の犯罪歴や徴兵歴までもが管理されるという。すなわち、言い換えれば「監視国家」とも感じ取れる仕組みだ。『だれが・どこで・なにをした』とまではっきりとプライバシーを監視さ
れるような圧迫感を感じざる負えないが、近年になってこれ以上にプライバシーを侵されるツールがご存知Twitterである。本件の事件を顧みても、事実が表ざたになった直後、犯人の住所や家族構成はもちろん、交流関係や勤務先までインターネット上に開示さ
れる事態に陥った。情報の真偽は度外視すると歴史を遡ってもここまで到達力が高いことに感心してしまう。近い将来、犯罪者を処罰するのは警察や司法機関ではなく、我々のような一般市民が情報の開示という匿名の正義によって私刑を下す日が近づいているのかもしれない。
〜 〜
本件の事故は国民に大きな衝撃を与えた。やや古いデータだが2013年現在、国内の自動車保有台数は約8億台と発表されている。「一家に1台」と唄われた時代は忘却の彼方。今では「一人1〜2台」が当たり前となっている。この事件が大きく取り扱われるのも
そうした時代背景があることは確かだ。事故が起きたのは今年の6月であるが、今日に至るまで事件の糾明に時間を要したのは警察の捜査に大きな欠陥があったと指摘したい。事故発生からその間まで身勝手な男を法治国家であるこの国に野放しにしたということは、
言い換えれば本件以外でも死傷事故を誘発させる危険性が十二分にあったことを意味する。何よりも一番の被害者は目の前で両親を失った少女2人であることは忘れてはならないだろう。
しかし、私個人の見解を述べると危険を回避できなかったワゴン車のドライバー
側にも責任はあるように感じる。無論、死人を責めるつもりはないことを冒頭に置いた上での発言だが、路上トラブルに巻き込まれたときに生身のまま車外に出ることは極めて危険だということ。これについては近年、教習所でも教わる内容であり、巻き込まれた

場合は車外へ出ずに警察へ通報するよう教えている。また、車中にいれば本件のように対格差・体力差がある相手でもアクセルという最大の武器を使用できるという利点がある。例え相手がどれほどの猛者でも自動車の力に太刀打ちできるわけがない。今回の
場合、追い越し車線ではなく路肩に停車し、相手が降りてきた隙をついて逃げるという策を講じるべきだったという声も聞こえるが、私はそれだけでは犯人の脅迫に屈しただけであり、何よりも子供2人の前で親としてのプライドを立てることができない。私であれ
ば、同様の事象であれば犯人を轢き殺してでも逃げるというスタンスが最善ではないかと思える。無論、利己的な判断で相手を轢死させることを肯定するつもりは毛頭ないが、自分の家族を守るため、家族に危害を加える犯人を轢くという正当防衛並びに緊急回避の
理論から説く『殺人肯定理論』の提唱である。
<img src="https://dl1.getuploader.com/g/takaaki1522/24/img001.jpg";>
以上のような対処方法が合法化されれば、同様の事件を再び惹起させる恐れがある犯人をいち早く処罰できることは間違いない。また、本件のように警察の手を惑わせ、結果4か月も犯人を野放しにすることも無かったはずだ。路上トラブルの多くは一個人の感情
が発端となることが大多数であり、決定的な交通違反が無い限り法の介入もグレーゾーンのままというケースが多い。そうした中で、本件は法の目を掻い潜ったことを基盤に、犯人によって惹起させられた多重事故と私は捕らえる。これについて、自動車運転
免許証に殺人履行証明(仮称)の付帯が強く求められるべき事件だと思う。
0191名無しさん@1周年
垢版 |
2017/10/17(火) 03:25:30.27ID:8V0U1BCC0
多くの学校で子供たちは『命は平等』と学ぶであろう。私も、私の両親も一つの社会道徳として知識付けられた。昨今では加速する自殺対策としてテレビCMでも命の大切さをアピールしている。しかし、平等であるはずの命でありながら人間と他の動物とでくっきり
と扱い方が区画されている。同じ命が失われた事件でも、人間の場合は殺人や事故として取り上げられるが、相手がペットであった場合は器物破損・損壊といったモノ同然に扱われてしまう。これは法治国家である
日本社会が生み出した一種の矛盾で、その結果、動物達の命をあたかも機械のように扱っている。数年前、私は旅行で北海道へ渡った。北海道特有の雄大な景色に目を輝かせていたが、移動中に自動車を運転していると峠道に差し掛かった。国道とはいえ尾根道の
ような道路を慎重に運転していると、あちこちにキタキツネやエゾシカの死体が転がっていたことが印象に残った。専門家の話を問うと動物の多くは身に危険がを察知するとその場から逃げるという回避行動よりも先に相手は何者かを推察するために立ち止まるという。
その他にも、車のライトに幻惑されて距離感を測りかねている間に撥ねられる。或いは哺乳類の場合、前進はできても後進はできないなど自動車と衝突事故を起こすに至っては諸説があるが、これほどまでに動物たちの死体が点在しているのに法的介入がされない
のは些か疑問ではないだろうか。一般常識で考えればそんな事柄は疑問に思うまでもないと思う。しかし、本項で筆頭にも述べた命は皆平等であるという理屈を前提に考えるとここにも大きな矛盾が発生する。例に挙げた北海道では内地とは異なる自然環境から
野生生物の宝庫であることは確かだが、命は公平かつ平等という理屈を考えると道路のあちこちに彼らの死体が点在していることは、生身の人間の死体が道路脇にゴロゴロ転がっている様子と変わらない。
非常に不気味で想像したくない光景だが、理屈としては合致する。
<img src="https://dl1.getuploader.com/g/takaaki1522/25/img002.jpg";>
0192名無しさん@1周年
垢版 |
2017/10/17(火) 03:25:52.40ID:8V0U1BCC0
それではなぜ、地球上に存在する生物と人間で平等の命が備わっているのにも関わらず、人間だけが特別扱いされるのかというと、人間は誰しもが“人権”を有しており、その思想を抱くことが社会的権利となっているからである。荒唐無稽な話だが、例題と同じく
北海道でキツネを轢いてしまった状況と、キツネのコスプレを着た人間。または、人面をしたキツネを轢いてしまった場合とを想像し比較してほしい。無論、後者が警察や事故処理として手続きを済ませようと急ぐ状況であろう。それは、読者の皆様に人権思想が備
わっており、これがある種の常識だからというのが何よりの理由だ。それでは、本件の事故を惹起させた犯人はどうだろうか。自動車運転免許の交付に託けて普段から危険運転を行っていたという証言も多い。そのような人物に“人権”を与えては法治国家で
ある我が国の秩序はたちまち乱れるであろう。そのような一種の危険人種を排除しなかった社会にも本件の大きな責任があると私は思う。それと同時に、前項で示した殺人肯定理論を提唱したまでである。
〜 〜
現代社会で違法性阻却ができる権利は大きく2つあり『正当防衛(刑法36条1項)』と『緊急避難(刑法37条1項)』である。似て非なる条文だが、自分の身を守るためにやむを得ず行動するという点は同一視できる。本件でも、私の持論同様に犯人をみだりに撥ね
飛ばし逃走するという回避術を考える読者はいるかもしれないが、残念ながら現行の法律でそれは認められていない。しかし、私としてはその法の一線を越えてでも被害者の両親には我が子を守るために同様の行動をしてほしかった。そして、警察に逮捕される
日が来れば「父ちゃん(母ちゃん)、お巡りさんに捕まっちゃうけれどあんたたち2人は頑張って生きていくの―[後略] 」などと広い背中を見せる。これこそが親としてのあるべき姿であったと思う。子供たちに
とっていつまでも両親はスーパーヒーローであるべきではないだろうか。わが国でも個人番号制度が開始され2年経過しようとしている。加えて情報網の発達で犯罪者を追い込むことも容易となった。そうした中で国は秩序を乱す人物をを把握すると共に、

我々国民にも私刑制度の権利を与えるべきではないかということを最後に主張し、これからの日本社会発展に期待する。

以上をもって私の記述を終わることにする。
<イメージ画像出演者>
哀川翔、その他
吉岡里帆
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