一家の葬儀は、この8月、友人葬で行われ、300人ほどが参列した。
島さんは、喪主として胸を張って挨拶した。

「…私の心は、どん底に落ちていくようでした。けど、私は、ほかに、もっと大変な遺族もいるのだからと思い、思わせ、何もないつもりでいました。
なぜかというと、創価学会の人は、なぜか、泣く時も笑う時も怒る時も悲しい時も必ず一緒に思い、必ずそばにいるのです。
…この苦しみ、悲しみを乗り越え、入会間もない私は、最愛の人たち、そして人が幸せになっていく姿を、心から思えるように、広宣流布の人材に成長してまいります」

寿仁君は、亡き家族への手紙を読み上げた。
「創価家族の人たちと出会い、僕は全然、さみしくありません。泣きません。僕は、幸せを少しづつ頂いて、今は幸せがあふれ過ぎています。
今度は、幸せを頂き過ぎた人にいっぱい返す番です。僕は人の役に立つ、心の命を救える人に必ずなります。

…毎日、近くで題目をあげています。今まで育ててくれて、ありがとうございました」

島さんと暮らすようになって一緒に学会の会合に参加していた寿仁君は、手紙にあるように、今、創価家族の一員だ。
たくさんのお父さん、お母さんがいる。皆が、寿仁君がわが子以上に立派に成長することを願っている。

島さんと何度か出会いを重ねた後、10月に家を訪ねると、台風の被害を受けた和歌山に、ついこの間までボランティアに行ってきたと言う。

「石巻が助けられたから、今度は、逆の立場で恩返ししてみたかったんです。
車で20時間ぐらいでした。石巻から来たというので、とても感謝されて」