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名誉ケンモメン、初代創価学会会長牧口常三郎

1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となる[7]。
(平凡社『世界大百科事典』1998年・日立デジタル平凡社)
6月、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口と戸田らは、管長鈴木日恭と堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受取けるようにしてはどうか」と申し渡されるが、これを拒絶する(神札問題)[8]。
(池田大作著『人間革命』第11巻204-205頁)
その後、創価教育学会は登山を禁止された。

同年7月6日、伊豆下田での座談会開催直後、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で下田警察署に連行される。
同日、戸田らも検挙。この一連の弾圧で21名の幹部が検挙された。
牧口は獄中においても転向を拒否し、1944年11月18日、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去した。