>>788
根拠はないんだな?


高麗(紀元前37年 - 668年)または高句麗

ツングース系民族による国家。

現在の中国東北部の南部から朝鮮半島北中部の、最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。
三国時代に新羅や百済と共に朝鮮半島を割拠し、隋や唐等の中国王朝や倭国と勢力を争った。

『三国史記』や『三国遺事』によれば朱蒙(東明聖王)が紀元前37年に高句麗を建てた。考古学や史は高句麗は紀元前2世紀の古朝鮮の滅亡時期の周辺に既に存在したとする。
疲弊と内紛の後に668年に新羅と唐の連合軍に滅ぼされるまで、高句麗は東アジアにおいて強い影響力を持つ帝国であり軍国主義国であった。

滅亡後

遺民の一部には倭へ逃れた者もいる。例えば『続日本紀』によれば、武蔵国高麗郡(現在の埼玉県日高市・飯能市)は高句麗の遺民たちを移して設置したとされており。
高麗神社・高麗川・日高市高麗本郷などの名にその名残を留めている。

(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。
(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。
(687年)、高麗56人を、常陸国に居住させ、新羅人14人を下野国に配する。又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に移住させる。
(690年)、新羅の韓奈末許満等12人を武蔵国に居住させる。又、新羅人等を、下毛国に居住させる。
(716年)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1799人を武蔵国に移す。
(760年)、新羅人131人を武蔵国に置く。