60年安保闘争のときには、樺(かんば)美智子さんが犠牲になった。
あまり知られていないが、70年安保闘争のときにも山崎博昭くんという死者が出た。
時は1967年10月8日、ベトナム戦争が熾烈(しれつ)な時期だった。

日本国内の基地から次々に北爆(北ベトナム爆撃)のための米軍戦闘機が飛び立つ。
当時の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止するための羽田闘争で、かれは亡くなった。

あのころ……戦争はもっと身近にあった。ベトナム帰りの米兵が、日本のあちこちにいた。
日本はアメリカの戦争に「参戦」していた。山崎くんたちは、アメリカの戦争に反対していただけではない。
アメリカの「共犯者」だった日本にも反対したのだ。

こんな世の中に誰がした……と言って、当時の若者は親世代に詰め寄った。
政治も、経済も、学問も、オッサンばかりで占められていたから、オッサン、うざい、と対抗した。
なのに、自分たちがオッサン、オバサンの年齢になってみると、なにが変わっただろうか? 

どんな社会を後続の世代に手渡したいのか、手渡せるのか……と思うと、呆然(ぼうぜん)とする。
何もしてこなかったわけではないが、こんな世の中をつくってしまった非力に、内心忸怩(じくじ)たる思いだ。

原発事故を起こしたのに、原発ひとつやめられない政治、博打(ばくち)のような金融政策を続けて借金がふくらみつづける政府、
戦争ができるようになる憲法改悪……

どれもこれも「人災」なのに、なぜ止められなかったの?とあとの世代に責められたら、どうすればいいのだろう?


上野千鶴子・東京大学名誉教授

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