■学ぶスキルや意欲がない学生も、不合格にならない

この期に及んでもまじめに取り組もうとせず、「せんせー、俺の代わりに志望動機書っていうの書いてよ。どうせ、ばれやしないし」などと言い出す。教師はこうした生徒を指導しながら、心のどこかで「このいい加減な態度を面接では隠しきれないだろう。書類の内容も中身がないので、さすがに大学側も落とすかもしれない」という思いが頭をよぎる。しかし、意外にも、彼らが不合格になることは皆無といってよいのだ。

まだ社会に出たくないので大学に行くという「モラトリアム」的な進学は、数十年前からあった。しかし、ペーパーテストによる入試の存在が、そうした人も受験勉強へと必然的に向かわせ、その過程で学ぶスキルが結果的に身に付いたことが多かったと思う。

だが、上述のような流れで大学に進学する学生たちに、学ぶスキルは備わっていないし、大学で学びたいという意欲がない。そのうえ、これまでの学校生活の中で、教員の指導は無視してよいもの、自分の気持ちは教師の指導よりも優先するべきもので、それを教員が抑制しようとする場合にはキレてよい、という価値観を持っている。

しかし、彼らは大学生活では授業の場面でキレることはさほど多くはない。高校までのように服装や態度を直接注意されることがほとんどないからだ。大学と高校では、教職員と生徒との関係とは距離感が違う。授業を休んでもそのつど電話や家庭訪問があるわけでもないので、このようなタイプの学生にとっては、大学生活は天国のように思えるに違いない。しかし、そのままではやがて単位が取れず、中退という道が待っていることに彼らは気づかない。

以下のエピソードは、「教育困難大学」に勤務する教員から最近聞いたものである。彼は、日頃から「大学生は社会に出る直前の段階なので、社会常識を身に付けさせるべき」と考え、実践している教員だ。ほかの多くの教員とは異なり、授業中に寝ることや、人の話を聞く態度なども、気になった際にはそのつど学生を注意している。

安倍晋三首相は3月29日、ついに給付型奨学金の導入を発表した。これまで、日本においては民間や大学によるものを除けば、純粋な給付型の奨学金は存在せず、長らく批判を受けてきた。文部科学省も検討チームを立ち上げて本腰を入れており、給付型の実現に向けて本格的に前進していくだろう。

誰しもが経済的負担を感じることなく、自分の望むままに教育を受けられることは理想だ。しかし、もし高等教育を公費で賄うことを目指すなら、学費を売り上げとして計上している大学が、学生にどのような教育サービスをおこなっているのかを、改めて検討する必要があるだろう

■大学はATMが設置されたパチンコホール?

しかし、「大学」と一口にいっても様々な形がある。教育現場の実態については、必ずしもよい話ばかりが聞こえてくるわけではない。今回、取材に協力してもらったのは、埼玉県上尾市にある聖学院大学。経済学部の柴田武男教授は、次のように話す。

「日本の大学経営が、奨学金という名の借金で支えられていることは、まぎれもない真実。パチンコホールにサラ金のATMが設置されて批判を浴びましたが、今の大学はこの状況と重なる部分がある。大学に進学したかったら奨学金を借りてこい、というのですから。何とも気が重いことです」

柴田教授は、埼玉奨学金問題ネットワークの代表を務めており、これまでも奨学金問題に積極的に取り組んできた。大学とパチンコホール、奨学金とATMがパラレルで語られているというのは、一体どういうことなのだろうか。

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