ワイルドな風貌と数々の過激な発言で「暴言王」の異名を取るフィリピンのドゥテルテ大統領(72)が10月末に来日し、
天皇、皇后両陛下と会見した。

 実はドゥテルテ氏はかつて天皇陛下について「神のような存在として尊敬いたします」と語っており、会見を切望していたが、
2度に渡って直前に“キャンセル”になった経緯があった。
「三度目の正直」で念願がかなったドゥテルテ氏は帰国後、地元メディアに宮中での“感動体験”を語った。

言動から、天皇陛下との会見を懸念する向きも一部にはあったようだ。だが、筆者はその点は心配していなかった。
 というのも、かつてドゥテルテ氏は日本メディアの取材に対し、天皇陛下に対する深い尊敬の念を語っていたからだ。

ドゥテルテ氏の初来日に先立つ2016年10月25日にFNNがインタビューした際のやりとりを掲載している。

 それによると、日本滞在中に最も会いたい人物を聞かれたドゥテルテ氏は「それはもちろん天皇陛下です。
どの国のリーダーでも天皇陛下にはお会いしたいと思うでしょう」と答えた。さらに「お会いしたら何をお伝えしたいか」と問われるとこう語った。

 「恐れ多くて言葉が出ないかもしれません。神のような存在として尊敬いたします。なんと申し上げようか…。
『敬愛なる陛下、このように直接お会いできることは人生で最上の喜びです』とか…」

 ところがインタビューの2日後に予定されていた会見は、当日朝に三笠宮さまが薨去(こうきょ)され、取りやめとなった。
 滞在先のホテルで宮内庁側から中止となったことを伝えられたドゥテルテ氏は「いつか陛下とお会いする機会があると確信しています」と話し、
哀悼の意を表したという。
 次のチャンスは今年の上半期に訪れかけた。ドゥテルテ氏の2度目の来日日程が6月初旬に組まれた。
しかし、このときはフィリピン南部ミンダナオの治安情勢が悪化し、ドゥテルテ氏はその対応のため来日自体を取りやめた。

■それから約5カ月 10月31日

 「フィリピンから日本への温かいあいさつの言葉をお伝えする以外は、口を慎まなければいけないと思っている」
 ドゥテルテ氏は2度目の来日を前にマニラで記者会見し、天皇陛下との会見についてこう語った。
30日の首相官邸での安倍首相との首脳会談後の共同記者発表では、次のように述べた。

 「明日は天皇陛下にお目にかかる栄誉に浴することになります。日比の外交60周年の年(=2016年)に、
天皇、皇后両陛下にフィリピンを訪問していただいて、大変親切な、さまざまな心遣いを示していただいたこと、心より感謝をしております。
明日は、私がいかに天皇陛下を尊敬申し上げているかということをお伝えしたいと思います」

31日午後、皇居・御所。ドゥテルテ氏は、お出迎えになった天皇陛下が差し出された右手を、直接ではなく、まず一礼してから握った。

 会見は約25分行われ、本紙既報の通り、天皇陛下が「先の大戦では多くのフィリピンの人たちが犠牲になりました」と述べられると、
ドゥテルテ氏は「両国は川の流れのように過去を乗り越え、今日の協力関係を築いてきました」と応じた。

 ドゥテルテ氏は会見冒頭、手を膝に置き緊張した様子だったが、徐々に打ち解けた雰囲気に変わり、
御所を後にする際には、見送られた両陛下に何度も頭を下げる場面もあったという。

 「スーツ姿で、きっちりとして控えめだった」「腕まくりをしたり、ガムを噛んだりしなかった」

 フィリピンメディアもドゥテルテ氏の態度や服装についてわざわざ伝えた。
 帰国し、地元ダバオに戻ったドゥテルテ氏は記者会見し、天皇、皇后両陛下との会見の感想を語った。
ちなみにこのときのいでたちは、スーツではなく、革ジャン姿だった。

 「これまで多くの偉大な指導者たちの住まいや宮殿を訪れたが、こんなに簡素な宮殿は初めてだった。本当に小さな住まいだった」

 こう振り返ったドゥテルテ氏は「簡素」の一例として「応接室には1枚の絵画も飾られていなかった」と紹介した。
 両陛下の控えめで謙虚なお姿も強く印象に残ったようで、「その立ち居振る舞いは陛下の称号にふさわしい」とも語った。
フィリピンメディアは「ドゥテルテ大統領が日本の天皇、皇后のシンプルなライフスタイルと控えめな態度に畏怖」と伝えた。