満洲は清朝が倒れた時(1911年)から、支那人が流入するようになって、
満州事変の時(1931年)には、満洲人300万に対し、支那人は十倍の3000万になっていた。

日本は満州国の建設に努めたが、鉄道も電気などもすべて支那人のために整備してやったようなものだ。
これを戦後、支那が侵略だと言い、賠償金(経済協力)を取ったのだから、盗人猛々しいとはこの事だろう。