貴ノ岩義司

鳥取城北高校の監督がモンゴルで行った選抜テストに合格し、16歳で日本に相撲留学した。

8歳で母を心臓病、来日してから3カ月後に父を肝臓癌で失うという不幸があったが、2007年の国体少年個人でベスト4、2008年の世界ジュニア選手権で準優勝した。
石浦外喜義監督によると「真面目な努力家」であったという。

当時の鳥取城北高校は毎年、貴乃花部屋で合宿をしていたため、この頃から貴乃花部屋とは縁があったと言える。
2008年11月、少年時代に憧れだった貴乃花が師匠の貴乃花部屋へ入門した。

四股名「貴ノ岩」の命名には美輪明宏が関係しており、貴乃花と2人で母校のある鳥取から上京した際に羽田空港のゲートで2人と偶然会った美輪明宏が貴乃花に、
「岩のようですね」と貴ノ岩の印象について声を掛けたことでその夜に師匠が四股名を決断したという。