【古代】弥生土器にシカ描く 豊作のシンボル? 大分・四日市遺跡
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http://www.sankei.com/region/news/171115/rgn1711150006-n1.html
大分県玖珠町の四日市遺跡で、シカや矢尻が描かれた約2千年前(弥生時代中期)の土器の破片2点が見つかり、
県立埋蔵文化財センターが発表した。
弥生時代にシカは豊作のシンボルだったとされ、角や尾などを写実的に表現。
同センターは「2つの土器をセットにして農耕の祭祀に使ったのではないか」としている。
シカを描いた土器はつぼ型で、口の部分に2頭を線刻していた。
いずれも縦横約6センチで、1頭は枝分かれした角に、胴体を斜線で埋めていた。角の形状から5歳以上の雄とみられる。
もう1頭は胴体を横線で描き、角か耳のような描写があった。
この土器と同様、口の部分に鋭い直線で矢尻を描いた土器片も確認した。
計八つの矢尻がつぼの中心に向かって並ぶ構図で、途中で割れているため、さらに続いていた可能性がある。
いずれも昨年の調査で発掘され、整理作業の中で絵画土器と分かった。
四日市遺跡は弥生時代中期の大規模な集落跡で、稲作もしていたとされる。
土器は形などから北部九州で作られ、持ち込まれたとみられる。
今回の土器片は、同センター(大分市)で12月15日から来年3月11日まで開催する「話題の資料展」で公開する。 おれ馬を描くワ、おまえはシカなッ
「ふたりあわせて縄文バカどぇ~す」
って感じのお笑いがあったんだと推測 害獣を食う獣なら兎も角 鹿が豊作のシンボルというのは ピンとこないな >>8
こういう円周上の配置って、干支かと思っちゃう おまえらほんとの馬鹿だな、
「倭人の祭祀考古学」ぐらい読めよ。
このシカは、「土地の精霊」だってよ。 >>11
たくさん畑にメシがあると寄ってくるってことじゃね? 日本の在来馬は古墳時代に百済から贈られたものなんだな。 >>19
東北地方の日本海側を含む「オホーツク文化圏」が馬や傀儡子の渡来に関係している
朝鮮半島は関係ない
おまえのような馬鹿に言っても理解できないことだがな >>19
その古墳時代に百済に住んでいたのは倭人、古代中国人、扶余族。 423 :名無しさん@1周年:2017/02/13(月) 23:09:01.83 ID:AyrQhzNs0
民族ごとに、動物の扱いの癖というのはある。
縄文人…犬を可愛がる。猪をわりと尊重する。鹿を食う。
弥生人…犬を食う。猪を食う。鹿を崇拝する。
遺跡から伺える縄文人の傾向と、アイヌ文化がほぼ同じなのは注目すべきポイント。
万物に霊が宿るとするアイヌだが、鹿だけは「気にせずにどんどん狩って食うべき動物」だった。
あのアイヌが、鹿だけは「食い物(yuk)」と呼び捨てする。 古代は九州が日本の中心だからな
その程度のものはあるだろうさ >>43
史記に記載された趙高の故事を言ってるのか? 趙高は紀元前207年に死んでいるが
この土器は二千年前が正しいとすると、紀元1世紀の土器だぞ? 大分だから、子供の落書きを太古の壁画と言い張ってた事件をまた繰り返してんじゃねーのか? 西暦に入ってしか、人が定住していない
つまり、うましか さんだね >>48
西暦に入ってからという言い回しはありえないので、紀元後と言いたいのだろうなw
だが、大分には旧石器時代(約4万年前)から人が住み着いているよ 大分は古代文明の中心地だった…
まさしくこれはウガヤ文明の証明
そうだろう!キバヤシ! >>48
ダウト、日本には太古から人が住み着いてる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています