>>435
しかも鉄砲記にもジャンク船に乗って中国に行こうとしたら
日本に着いちゃったって記述だろがw

中国人がたまたま船に乗り込んでいただけw

鉄砲記の話まで捏造してすげーなw さすがクソ中国人ww 嘘の度合いが違う
すげーホラ吹きw

新旧世界発見記
>1542年、シャム王国のドドラに停泊していた船の船長・ディエゴ・デ・フレイタスの下から
>3人のポルトガル人が脱走し、ジャンク船で中国へと出航した。
>3人の名はアントニオ・ダ・モッタ、フランシスコ・ゼイモト(ポルトガル語版)とアントニオ・ぺソトで、
>北緯30度あたりにある寧波に進路を取った。しかし、嵐に見舞われ陸から離れてしまったところ、北緯32度で東に島を見つけた。
>その名は日本であり、まさに物語で語られる富貴の島ジパングそのものであるらしく、金銀と豪華なものが溢れていた。

鉄砲記
>天文12年8月25日(1543年9月23)に、100人ほどの外国人が乗船した大きな船が種子島の西岸にある西ノ村に来着。
>その服装も初めて見るものばかりで言葉も通じなかった。
>乗船者のなかに中国人の儒生「五峯」という人物がおり、村の織部丞が砂上に杖で漢文を書いて筆談したところ、
>乗船者が南蛮の商人であることが判明した。
種子島の島主である種子島時堯が「佗孟太(アントニオ・ダ・モッタ)」と「牟良叔舎(フランシスコ・ゼイモト)」というポルトガル人から
鉄炮2挺を買い求めた。
>火薬の調合法を家臣の篠川小四郎に学ばせた 。
>うち1挺を紀州根来寺の杉坊(すぎのぼう)に譲った。

>その後種子島から関西や関東にも鉄炮が広まった。
>翌年別のヨーロッパ人から鉄炮の鋳造法も刀鍛冶の八板金兵衛に学ばせた