周辺の小・中学校では大川小より条件の悪い状態でも
山などの高台に逃げて助かったという報告も多いので
なぜ大川小だけ川に向って行ったかは疑問に残るね
その避難場所をめぐって何らかの主導権争いがあり大人に従って行動するしか
選択肢のない児童達はその政治的な闘争に巻き込まれてしまった被害者ではないのか?といった
疑念がいつまでも払拭されずに残る感じがするね

恐らく遺族側はここらあたりの疑念を払拭させるだけの真実が知りたいといったところが
一番もとめているところなんじゃないのかな