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 親と価値観を共有できるのも、昭和歌謡の持つ力かもしれない。今夏、高校ダンス部の全国大会で大阪府立登美丘高校が荻野目洋子さんのヒット曲「ダンシング・ヒーロー」(85年)で準優勝に輝き、この曲が熱い視線を浴びた。

 新宿の雑居ビルにある「昭和歌謡BAR ヤングマン」を訪ねると、巨大な壁掛けテレビ(65インチ)に次々と70〜80年代のアイドル歌手らの映像が映し出されていた。

 「ファンの集いの場に」と08年、店をオープンさせた岩崎伸二さん(52)は「客層は40〜50代が中心ですが、ここ3年ぐらいで20〜30代のお客さんが徐々に増えてきました」。週末は老若男女でごった返し、往年のナンバーに合わせて大合唱になる。この一体感の源泉はなんだろう。「80年代を振り返ると、今みたいにたくさん娯楽があったわけではないでしょ? こうした中、テレビは娯楽の王道でした。『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』などの歌番組は幅広い世代に親しまれ、認知されていました。元々、世代を超えて楽しめるのが昭和歌謡なのです」

 「昭和歌謡ポップスアルバムガイド」などの著書がある音楽評論家、馬飼野元宏さん(52)は最近のヒット曲の成り立ちと比較しながら、こう指摘する。

 「自らが作り、演奏する『自作自演』が今は主流ですが、70〜80年代は違いました。強い権限を持っていたレコード会社のプロデューサーが最高の作曲家、作詞家を集めて作らせた曲を、歌唱力のある歌手が歌う。つまり、昭和の歌謡曲は『売ること』を究極の目的とした、プロ集団の仕事の結果なのです。だから、大衆の心をつかむ。サビにはインパクト、歌詞には言葉の力があり、アレンジ(編曲)が良いのも特徴です」

 インターネットが普及し、聴こうと思えば世界中の音楽に接することができるようになった。馬飼野さんは言う。「現代の10〜20代は幼い頃から多様な音楽にふれ、耳が肥えている。だから『古い』『格好悪い』と思えば見向きもしない。昭和歌謡はそんな彼らにも選ばれる力を備えているのです」

 1台のテレビを囲み、家族が同じ番組を楽しんだ昭和という時代。そこで生み出された大衆音楽が、時代を超えて歌い継がれようとしている。