【考古】「キリストの墓」の年代を科学的に特定 エルサレムの聖墳墓教会にある石墓、ローマ皇帝による創建時期と一致
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ナショナル ジオグラフィック日本版 2017.11.29
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112900463/
大理石の下の破片を除去する修復作業員。割れた大理石の間からのぞくのは、イエスのからだが安置されたと信じられている岩の表面。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/112900052/01.jpg
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。
しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、現代の学者たちは疑問視していた。
今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。
分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。
これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11〜12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。
新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。
2016年10月、墓を取り囲むようにして建設されたエディクラと呼ばれる聖堂の大々的な修復工事を行うため、墓は数世紀ぶりに開かれた。作業に当たったのは、アテネ国立技術大学の学際チームである。
この時、エディクラの内部で数カ所から漆喰が採取され、年代測定を行うため研究所に運ばれた。その結果は、エディクラ修復プロジェクトを率いたチーフ科学監督のアントニア・モロポーロー氏よりナショナル ジオグラフィックへ提供された。
皇帝コンスタンティヌスの代理人は、325年頃に墓の特定のためにエルサレムへやってくると、それより200年前に建てられたローマの神殿が、イエスの埋葬場所であると告げられたという。この神殿は破壊され、その下を掘ると石灰岩の洞窟壁をくりぬいて作られた墓が姿を現した。洞窟の上部は剥ぎ取られ、墓の内部が見えるようになっており、その周囲にエディクラが建設された。
墓の内部には石墓と呼ばれる長い棚が作られ、言い伝えによると十字架刑の後イエス・キリストの遺体はそこへ安置された。このように、石灰岩の洞窟を掘って棚やくぼみを作るという構造は、当時エルサレムに住んでいた裕福なユダヤ人の墓としては一般的だった。
石墓は大理石の板で覆われていたが、これは遅くとも1555年までには設置されたものと考えられており、巡礼者たちの話によれば、それよりも前の1300年代半ばごろには既に存在していた可能性が高い。
続きは>>2 修復されたエディクラを訪れるために並ぶ人々。この聖堂のなかにキリストの墓があると信じられている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/112900052/ph_thumb.jpg
2017年3月21日、新たに修復されたエディクラを訪れる人々。聖堂の床は、破損の危険性が高いと専門家は警告している。
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イエス・キリストの埋葬場所として神聖化されている石板の表面をきれいにする修復作業員。
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聖墳墓教会の改修工事中、キリストの墓と言い伝えられている場所を訪れるフランシスコ会の修道士たち。
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墓が開けられた2016年10月26日の夜、大理石の覆いを外した科学者らは、その下にあったものに目を見張った。もう一枚別の大理石の板が、元の石墓の上に直に置かれていたのだ。上にかぶせられていた大理石よりもさらに古く、表面には十字架が彫り込まれ、割れた状態で発見された。
この古い板の年代をめぐっては、専門家の間で様々な意見が出された。十字軍時代のものという意見もあれば、それ以前の1009年に教会が破壊された時には既に存在し、破壊と同時に割れたのだろうという学者もいたが、ローマ時代と予想する者はいなかった。
ところが最新の分析結果から、板はローマ皇帝コンスタンティヌスの命により4世紀半ばごろに設置され、漆喰で固定された可能性が最も高いことが示された。聖墳墓教会の歴史を研究する人々にとっては、うれしいサプライズである。
1999年にこの墓の歴史について独創的な研究を発表したマーティン・ビルド氏は、「測定結果は、コンスタンティヌスの時代にぴたりと一致します。大変意義のある発見です」と述べた。
1年間に及んだエディクラの修復作業中、エディクラの壁の内部に墓の大部分が残されたままになっていることもわかった。洞窟の南側の壁から取られた漆喰は、一部が335年、別のものは1570年と特定された。前者はローマ時代に工事があったことを示すもうひとつの物証であり、後者は記録に残されている16世紀の修復工事を裏付けるものだ。墓の入り口から採取された漆喰は、11世紀のものと特定された。これも、1009年に教会が破壊された後に再建されたという記録と一致する。
漆喰の年代測定は、光刺激蛍光線量計(OSL)を使い、2カ所の研究室でそれぞれ独自に行われた。OSLとは、石英の堆積物が最後にいつ光にさらされたかを特定する技術である。モロポーロー氏とその研究チームは、この結果を次号の考古学専門誌「Journal of Archaeological Science: Reports」に発表する。 キリストならブッダと一緒に立川で暮らしてるらしいよ 青森はローマだった!?
それともローマが青森なのか・・・? 俺もスレタイみて青森だと思ったわ
青森のが時代一致したらすげーロマンだったのにな >>11
すべての道はローマに繋がってる
つまり青森もローマの一部なんだよ! そろそろキリストが白人だったという幻想はやめれ、当時の分布人種的にはアラブ系のはずだから >>1
日本にあった!とかホルホルしてた恥ずかしいミンジョクがいたな… イエスの時代(1世紀)は、青森はまだ弥生文化の時代だったのでは 青森県の旧・戸来(へらい)村で「ナニャドヤラ」を歌う。 >>14
そんな幻想ないですから
イエスはユダヤ人と聖書に明記されてます 結局、四世紀だか三世紀からある古い物と解っただけで西暦30年だか33年だかに死んでるイエスさんの墓だとは特定出来て無いってこと? キリスト教的には、遺体があったらまずいんじゃないの? コンスタンティヌス帝がキリスト教を国教として認めなかったら、とっくに消えてる宗教だもんな。 青森の墓は 偽物だと確定してる。
竹内文書が明治時代の紙を使った偽書と確定していて 青森の墓を「発見」したのは当の竹内という自称学者 夏にヨルダンへ行ってイスラエルにも渡って聖墳墓教会も見て来た。
エルサレムの旧市街を歩き回ったけど中々楽しいね。 >>35
そんなのダメ出ししなくても皆分かっていると思うがw >>25
現在のユダヤ人と
当時のユダヤ人が一緒だとでも? 死体が無い時点で存在そのものが捏造
そもそも周辺の説話を継ぎ接ぎして作り上げた架空のキャラクター >>1
キリストは韓国人ニダ
キリストの墓はソウルにあるニダ >>36
いいなあ。
俺も行きたいが、貧乏なのはさておき、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもない
のに行って観光してたら怒られないかという心配もある。
そのあたりどうなんじゃろ? >>35
でも、ユダヤ人が日本に来て、日本人の文化の元になったという日ユ同祖論があるからなあ。
同じユダヤのイエスが東方に逃げてきたのも否定できない。 青森県新郷村戸来(へらい)のあれじゃないのかw
ナニャドラヤ〜♪ >>30
何を当たり前の事を…
ヘブライ人がいつか白人になったんだ >>37
つっても元はもっと前のユダヤ教の分派でしかないし、
そのユダヤ教だってウリガット神話から最高神エルの我儘な嫉妬に応える形でエルのみをあがめる宗教からスタートしてる
根っこの歴史自体は古い キリストの棺 : キリストの墓
http://nazo108.sblo.jp/article/95081065.html
キリストの棺
HV制作/エルサレムにある二千年前の墓所で石灰石の棺が見つかり、科学分析の結果、
この墓にはイエスと家族が葬られていたのではないかという。この番組は、ジェームズ・キャメロンの指揮の下、
壮大なスケールで、この考古学史上最大の発見を独占的に明らかにする。文書、古代DNA、法医学、
考古学の様々な視点から分析。特筆すべき発見は、イエスとマグダラのマリアの間にユダという名前の
息子がいたらしいという新しい証拠である。
こっちとは違う墓なのかな? 懐かしいな、俺はここに行ったことあるよ
置かれていた大理石はやたらピカピカで
時代の流れを感じるものではなかったが、あれはやっぱりレプリカだったかな
でも欧米人の人達はみんな泣いて触ってたわ >>32
コンスタンティヌスの時代の記録にあるキリストの墓とみなされていた墓そのものである可能性が高いということで、キリスト教の起源や伝説がどこまで史実であるかを研究する上では重要
実際にキリストの墓であるかどうかは不明だがそれはまた別の話 our father in heaven
我の過ちを許したまえ
あーめん >>48
>そのユダヤ教だってウリガット神話から最高神エルの我儘な嫉妬に応える形でエルのみをあがめる宗教からスタートしてる
初耳
ソースは? 普通に生まれ、生涯を終えたのなら、西暦85年くらいで人生を終えるが
時間をジャンプした場合、もっと短くなるね
伊勢津彦がニニギの時間に現れている為、大半を紀元前1世紀ころで人生を費やした場合
伊勢津彦が半分以下になったと思われる まあ、見た目新しそうだったし
この下に何があるのかはしらんけど 世界各地で涙を流す血を流すマリア像があるけど
バチカンが正式に奇蹟認定してるのは秋田の教会のマリア像
1体だけ。
豆な。 >>20
イエス一行が渡来して開発したんだから、当時の青森の文化の程度がどれほど低くても問題ない。
>>28
年代がわかっても、イエスの墓とは断定できない。DNA鑑定しようにも、比較する血縁者のDNAがないからな。 >>43
嘆きの壁へ行く前にはセキュリティゲートがあってチェックされる。
タンクトップに短パンとかで行くと怒られるかな。あとボール紙で出来た帽子が置いて
あって一応それを頭に載せて祈りに行く。
男女別に別れていて女の方が沢山いた。
イスラムの聖地である青のドームには嘆きの壁の横のモロッコ門から行く。
ここはムハンマド昇天の地。中に入ろうとしたら止められた。
ムスリムしか入れないらしい。
あとそこかしこに銃を持った軍人が警備している。 >>64
でも、骨が出て来たら大体の出身地は分かるよ。
青森なんだろ? スレタイに地名ないから普通に青森の話かと思った
>>35
現地の人も誰も本当だなんて思ってないし起源を主張してるわけでもない
多分昔宣教師みたいな外人が来ただけだろ
青森の地で客死したのを弔ったのが年月経って話がイエスの墓になった位のもんだ
ロマン溢れる話じゃないか、ナニャドヤラ >>66
なるほど、ありがとう。
「〇〇教徒は入れない」だったら仏教徒フリーパスかと思ったが、
実際は「ムスリムしか入れない」式なのね。
まあ、そうだよなあ…w 大体、イエス・キリストって実在したの?
実在したとしても神じゃなくて1人の人間なんでしょ。 >>41
マリア像が例の民族衣装を着ていて吹いたw
彼女も男の子のママだもんねw >>76
本当に
聖書を読まずにしたり顔で語る人ばっか。 >>76
>埋葬地を神聖視している時点で聖書と噛み合わない
まあ遺体は消え失せ、イエスは弟子達の見てる前で天に昇っていったからな。 >>43
無宗教だからこそ客観的に見れて楽しいってのも有るだろ
周りは気にしてないよたぶん ヨーロッパ人が1000年以上も言い伝えを歪曲しないで伝えられるとは思えないもんなw >>51
教会へ入ってすぐの所にある処刑されたイエスをまず安置したと言われる石だね。
参拝者が触るからピカピカなんだよね。
熱心な信徒は額を付けて祈ったりしていたな。 ホーフブルク宮殿所蔵のロンギヌスの槍もぜったいパチもんやろ。
刑場で働いてるようなローマ軍のぺーぺーの槍が
現代まで残るはずがない。 海外のドキュメンタリーとか見てると聖書の話なんかをクソ真面目に研究してたり遺跡探してる人っているじゃん
ノアの方舟をどっかの山で探してたりこうやってキリストの墓とされてるもの調べたりロンギヌスの槍だの聖遺物とされてるもの調べたり
よくやってられるなと思う >>14
創造主は最後の審判の席を白いヤギと羊を審議する席とした
黄色い動物や黒い動物はそもそも審議に掛けられる資格すらない
あなた方には裁判を受ける資格すらない >>90
ロンギヌスの槍は宮殿の所有じゃないしな
それも別物だな >>94
俺もイザナギが禊をした「橘の小門の阿波岐原」にこだわって探しているから、
そういう気持ちはよくわかる。たぶん無駄な労力なのはわかってるけど、
ロマンなんだよなあw >>36
危険なイメージがあるけど大丈夫なもんなんだ >>17
竹内巨麿か。経歴を見れば見るほどわけ分からん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています