毎日新聞 2017年12月1日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20171201/ddm/005/070/013000c

 「門前の小僧」ふうに言うとアラビア語の単語は基本的に三つの子音から成り、実に多様に変化する。つる草が絡み合って広がるような趣で、アラベスクとはよく言ったものだ。

 帝政ロシアの時代、英語で言うとk、f、rを含むアラビア単語を追放する動きがあった。「ロシア人の専門官や東洋学者」が中心になってイスラム教徒の言葉狩りをしたらしい。

 なぜkfrか。ロシア側はこう考えた。アラビア語で不信心者などをカーフィルと言い、そのように宣告することをタクフィールと言うように、三つの子音は宗教上芳しからぬ言葉に使われる傾向がある。だから自分たちがイスラム教徒から侮辱されないためには、その種の単語を検閲して一掃すればいい、と。

 そこで「思想」(フィクル)という普通の単語も削除の対象としたそうだが、冒頭述べたようにアラビア語の変化は多様なので「大騒動の末に幕を閉じた(失敗に終わった)」という。

 20世紀初頭、日本を訪れて伊藤博文や大隈重信らに面会したイスラム教徒、アブデュルレシト・イブラヒム(1857〜1944年)が著書「ジャポンヤ」(第三書館)にそう書いている。

 もちろんロシア批判なのだが、ロシア側には別の狙いがあったかもしれない。背教だ異端だと言われるのは誰しも不愉快とはいえ、特にイスラム教徒同士だと往々にして激しい抗争に発展する。むしろイスラム社会の治安対策を念頭に置く言葉狩りだったろうか。

 現代イスラム社会も他者を背教、異端、不信心などと批判することを戒めている。過激派組織「イスラム国」(IS)などは異教徒、異宗派の人々を容赦なく殺しているが、エジプトにあるスンニ派の総本山「アズハル」はISを非難しても異端、背教などとは言わない。

 「人を殴るな」と言って殴るのと同じだからだ。そこにイスラム教の寛大さを感じるが、IS系の過激派は徹底的に不寛容であることがイスラムの務めと考えているようだ。エジプト・シナイ半島のモスクを襲撃した、IS系とされる武装集団は、スンニ派の中でも神秘主義(スーフィズム)系の信者たちを惨殺した。

 シーア派やキリスト教徒を主に狙っていた彼らは標的を拡大し、自分たちと同じスンニ派でもスーフィズム系を殺害対象にしたのだろう。ゆくゆくは日本の仏教徒も殺害対象にしようというのか。不寛容の行き着く先は孤立であることになぜ気付かないのか。(専門編集委員)