0507名無しさん@1周年
2017/12/12(火) 16:02:44.81ID:mo/chaOo0毎日新聞では
「富岡盛彦氏(富岡八幡宮宮司、元神社本庁事務総長)」と紹介されていた
一方朝日新聞のデータベースを検索したら富岡盛彦について
「鹿島神宮宮司、神社本庁事務総長などを歴任した」と紹介されていた。
1932年4月17日朝日新聞東京夕刊1頁によると「宮司異動(16日)」の内容として
「官幣大社礼幌神社宮司 富岡盛彦」(これが同一人物なのか不明)
1933年3月7日朝日新聞東京朝刊7頁に
「『鹿島立』の語源 強く正しい国民性の表現 後七時半講演 富岡盛彦」とあり、
富岡盛彦氏の講演内容が長く紹介されている。
1943年7月10日朝日新聞東京朝刊3頁
「滑空始翔地に記念碑」
>航空決戦へ澎湃と盛り上がる強国の熱病に応へ
>鹿島神宮宮司富岡盛彦、男爵奈良原三次、
>航空局航空官榊原茂樹、文部省体育官松辯二ほか八氏が発起人となって
>今月末茨城県鹿島郡軽野村理想郷八光台に
>「大日本滑空始翔之地」記念碑を建設することとなった
まあ割と国家神道の中心にいた人なのは間違いないが、
富岡八幡宮宮司となる前から「富岡」と名乗っているから、
まったく富岡八幡宮と無関係の人間とも思えない
鹿島神宮宮司から富岡八幡宮宮司なら、「左遷」とみなせなくもない