【京都】日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士、戦中の原爆研究「F研究」に言及 京大が終戦期の日記公開
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湯川秀樹が1945年に書いた日記。8月15日には「ポツダム宣言御受諾」「大東亜戦争は遂に終結」などの記述がある=京都市左京区で2017年12月21日午後5時2分、小松雄介撮影
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日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹(1907〜81年)が、終戦期の45年に書いた日記を21日、京都大基礎物理学研究所・湯川記念館史料室が公開した。湯川が生涯を通じて公的な発言を控えていた原爆研究「F研究」に言及。広島原爆投下や時局に関する記述もあり、専門家は「第一級の歴史的史料」としている。
湯川は49年に中間子論でノーベル物理学賞を受賞した。戦時中、旧海軍が京都帝国大(現京都大)で進めたF研究を理論的に支えたことが他の史料などで知られるが、本人の記述はほとんど見つかっていなかった。
湯川の没後、遺族が38年〜48年の「研究室日誌」「研究室日記」計15冊を史料室へ寄贈。史料室は分析を順次進め、45年1〜12月に書かれたB5判のノート3冊の内容を今回発表した。
F研究は44年ごろに始まったとされるが、45年前半に会議を重ねていた様子がうかがえる。
最初に「F研究」の文字が見えるのは45年2月3日で、研究の責任者だった原子核物理学者・荒勝文策教授らと相談したと記述。6月23日には、荒勝教授ら研究者11人と学内で第1回打ち合わせをしている。7月21日には「(大津市の)琵琶湖ホテルに行く」とある。F研究は明記されていないが、京都帝国大と旧海軍の合同会議が同ホテルであった日で、湯川の参加が裏付けられた。
広島原爆投下の翌日の8月7日、新聞社から「原子爆弾」の解説を求められたが断ったと記述。一方、同9日には新聞を引いて「威力は熱線が全体で数粁(キロ)に及ぶといわれている。落下傘で吊(つる)し、地上数百米(メートル)にて爆発」と書いた。
湯川は戦争の行方に強い関心を寄せている。45年6月に大阪に空襲があった際に「(京都で)日も赤く濁る」と記し、硫黄島や沖縄戦の甚大な被害にも触れている。研究資料を避難させるため荷造りを進めるなど身辺が緊迫していた様子も読み取れる。
山崎正勝・東京工業大名誉教授(科学史)は「湯川が発言を控えた『空白期』だけに、研究の一端がうかがえる第一級の史料。戦時の軍事研究について史料保全、公開を進める機会にもすべきだ」としている。【野口由紀】
【ことば】戦時の原爆研究
太平洋戦争中、旧日本軍は極秘に原爆開発の研究を物理学者らに託した。海軍が京都帝国大の荒勝文策教授に依頼したのが通称「F研究」で、「fission(核分裂)」の頭文字を取って命名された。同じ時期、陸軍は理化学研究所の仁科芳雄博士に通称「ニ号研究」を委託した。ただ、いずれも内実は原爆製造にはほど遠かったとされる。
毎日新聞 2017年12月21日 20時56分(最終更新 12月21日 22時15分)
https://mainichi.jp/articles/20171222/k00/00m/040/105000c >>2
無いわけでもないがそれを精製する設備が日本の当時の国力じゃ夢物語だった 湯川博士はノーベル賞で得た賞金を全額寄付したんだぜ。
学生に「アメリカにどんどん留学しなさい。」ってね。
それなのに、売国奴自民党は日本人学生の留学費用を出さず、支那チョソコの留学費用ばかり出すクズ。 わ、わしはこれからピカの毒をとりさる実験を開始する んで原料をドイツから潜水艦で輸送中に米の魚雷でやられたもんだから計画とん挫したんだっけ
NhK特集で見た だからドイツから精製ウランを潜水艦を使って輸入したがアメリカに捕まって広島原爆の材料にされてしまった やっぱ原材料も自国で調達できないような国は原爆は無理だった、みたいな結論 終戦の日のラジオで原爆の解説をしたのは仁科博士のほうだったな 何か湯川はマンハッタン計画のことを原爆投下前に
知ってたがどうのこうのという話無かったっけ
その見返りにノーベル賞もらったとか 完成しないよ
濃縮に100年かかるみたいな話だったす 日本は国力がどん底の時にノーベル賞受賞したと言うのに、自称世界で一番IQの高い優秀な先進国ミンジュクは
未だに日本円で5000億円を鬼畜独裁国家に貢いで買った「平和賞(プゲラ」以外にノーベル賞無いんだってよ www >>19
↑
ごめん
5000億円じゃ無くて500億円なw 日本の原爆技術
戦前にアメリカに売り渡しノーベル賞
売国奴湯川
売国メディア
湯川は日本明るくしたと捏造 >>2 人形峠から取れる 戦後はそこで獲れたウランで国産濃縮ウランもできた
ただ仁科のサイクロトロンについては知られているけど 湯川のほうは知られてないな
最新ミリタリー関連記事.
http://yamatotakeru999.jp/index.html
★新素材が切り開く光学迷彩の可能性
★イージスアショアに巡航ミサイルとAAM
リア充になってきたミサイル陣
★最新巡航ミサイル 導入へ加速! >>16だがこの話だった
http://blog.goo.ne.jp/kaodaisuki2007/e/1eaeeba65997afce84426415b01bce02
・・・戦時中、日本で1日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱1つの大きさで戦艦1つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。
そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しがし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。
それが一応のまとまりをみたとき、これを1つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。
ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。
日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。・・・ >>16
これ
広島に原爆が落とされることを
学者仲間のアメリカ人から聞かされていたとかいう疑惑
この資料で裏付けられたりしないのかな 戦前のオタク少年たちに原爆は未来兵器としてよく知られた存在だったらしい
雑誌や小説で紹介もされていた 何年か早ければ…
と思ってたけど全然そこまで届いてなかったのね クライン・ニーシナの公式にその名を残す仁科博士には、日本人たちはかなりも冷たい態度を取りつづけてはいますね。
やはり原爆研究のリーダーであったことがモンダイなのでしょうか?
理論的にはフェルミyはハイゼンベルクのものよりも、日本の7ニーシナのものが最高の威力を発揮する原子爆弾になったと思いますよ。 この記事を過去いや当時に伝えたらどうなるんだ?
やばい好奇心が先に立つ・・ >>23
なるほどどおりで
湯川にはどうにも天才臭がしないとおもた 日本が完成させてても、時期的に本土決戦の自爆兵器にしかならなさそう。
沖縄が被爆者になっていたかも。
それか武蔵・大和級が原爆抱いてや太平洋艦隊に特攻か。 超スケールのマンハッタン計画と比べれば、日本の研究なんておママゴトみたいなもんだ。
到底実用化はおぼつかなかったろう。 原子爆弾の危険性を知った昭和天皇が「人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」と研究の禁止を通告していました。
そして最終的には終戦を待たずに研究禁止となっています。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110814/1313268734
(参照)
お? >>35
陸軍の二号研究で2千万円
マンハッタン計画が当時の換算で100億円以上
比べること自体虚しい
なお風船爆弾のフ号作戦は原爆研究をはるかに超える数億の予算を投じられており
陸軍の風船爆弾への期待の大きさが伺える >>39
ジェット気流はたしかまだ知られてなかったんでこそっとやったんじゃね? >>38
仁科博士自身が陸軍に対して、アメリカでさえ今戦争中に完成させるのは
不可能と説明してるから、予算を貰える訳が無い この京大が今では左翼の巣窟になっているは皮肉だね。テレ朝の玉川さん、京大OBとしてコメント期待してますよ。 >>41
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ 仁科研究所が「ウラン溶液(沸素)」で沈殿濃縮やってたと聞いたな
で、あと一歩と言うところで空襲警報が鳴り避難、解除で研究所に戻ったら溶液が無くなってた、と 日本がやってたウラン濃縮法は、アメリカはさっさと見切ったんだっけ?国力が違った。 >>23
いやいやこういうヨタじゃなくて
アメリカの友人から「広島は危ないから行くな」とさり気なく警告を受けたって話 >>47
広島は第一目標なだけだから警告するなら
新潟小倉長崎にも行くなと言わなきゃ意味ないんじゃないか
そもそも物理学者が投下対象がどこかなんて知ってるというのも不自然で、伝説じゃないのかなあ >>46
いや、濃縮方法に「比重」を使った点は一致した
だがアメリカは沸化ウランを気化させ拡散濃縮+遠心分離を用い時間短縮も成し得た
仁科研究所はあくまで重力頼みの「濃縮実験」に対しアメリカはメカニカルな方法を採用、同時に躊躇なく兵器化した
ここが違ったね 北朝鮮興南で仁科Fチーム原爆成功1945年
ググると出てくるが?
>>49
熱拡散法という方法でウラン235を分離し、その濃度を高めることにした
http://ironna.jp/article/1803 仁科博士って独創的な研究何もしてないし、あんなのがボスでアメリカに勝てるわけない 売り渡したというか
進捗状況伝えた可能性があるだけちゃうん?w またこれ見てる奴歴史勉強しなおさなきゃだな
それに比べ新人類は気楽でいいよねw 理論物理学は一応世界最先端いってたからね、仁科研とか(´・ω・`)
湯川秀樹、朝永振一郎、んでカミオカンデに繋がってると思うと原爆研究も全く無駄ではかなったかな、と。 >>34
>大和が原爆抱いて
それをしたのが漫画のジパング >>59
香ばしいなお前は
久々に「香ばしい」と使いたくなるほど香ばしいなw >>30
原爆は弱者の兵器
基礎工業力なんて関係無い
その証拠に弱小国の北朝鮮が既に独力で
広島型原爆を上回る水爆(?)を完成させた 原爆はひとりの天才が作ったというよりか、理論上は当然出来ることが分かってるものを、
いかに実現させるかっていう国家プロジェクトだから。
国力がなければ出来ない。
湯川が世界から劣っていた訳じゃない。 >>1
>「F研究」
ウラン235分離濃縮も満足にできなかったからなあ…
歴史にifは無いっていうけど、それこそが日本のifだったわけで >>50
>ググると出てくるが?
ブログがソースw サイクロトロンがあったのが、日米独だけだったのが
1941年以前の状況
たった4年で原爆完成なんて、だれも予想できなかった
核とかに関して言えば日米独はそれほど
技術的差異があったわけじゃない
アメリカは濃縮ウラン作るのに電磁石で
ウラン原子一個一個精製するという
とてつもない力技をやってる
遠心分離法が出来たのは戦後
馬鹿でかい電磁石を数百個並べて同時に稼動できる
力技を行使できなかったのが日独・・で
ヤッチャッたのがアメリカ
いちおう、朝鮮半島の大田に核研究所を移転してる途中だった
その工事請負したのが、かの田中角栄
んで大田には韓国の核研究所が建ってるわけだ >>39
実は風船爆弾は日本側の予算より
アメリカの風船爆弾対策費の方が何倍も掛った
人的被害云々のみの観点では、
通商破壊を軽視した旧海軍と変わらんよ 日本の原爆技術を戦前に売り渡してノーベル賞
吐き気する売国奴がこいつ
こいつが日本に被害与えた
典型的な穢れのなりすましネーム 研究所員の両親が広島住で、湯川から、遠方に移せと教えられて、
助かった、と言ってたな。
湯川は、米軍が原爆をもったことも、広島に落ちることも知ってたのは、確実。
多分欧米の核技術者と連絡を取っていて、情報が入ってたんだろう。
入ってれば、出てる。日本には作れないと伝わっていた。 いや湯川どころか米軍は投下の数日前から新型爆弾を広島に落とすとビラやラジオで警告してるから
ゲンの作者がビラの話を書いている (-_-;)y-~
やっぱり海軍が関わっていたのか…
予科練ジジイは、二階の女が気になる「櫻」ってよく言うてた。 (広島への)核爆弾投下は、無警告とすることが米の作戦会議で決定していた事項なので、
警告のビラがあったなどというのは戦後の米軍の流したデマなのだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています