焼香をあげる参列者ら
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 江戸時代、年貢の取り立てに苦しむ村民を救うため、命がけで幕府に減免を直訴した「浮石義民(うきいしぎみん)」と呼ばれる浮石村(現・下関市豊田町浮石)の庄屋ら5人をしのぶ法要が22日、墓のある浮石の舜青寺(しゅんせいじ)であった。住民でつくる浮石義民顕彰会(一柳(ひとつやなぎ)武知会長)が毎年、命日の22日前後に開いている。

 1708(宝永5)年に干ばつに見舞われた浮石村では、農民は長府藩の用人による年貢の取り立てに苦しんでいた。減免を求める訴えは用人や老職には聞き入れられず、庄屋ら5人は話し合いの末、10(宝永7)年7月に来藩する幕府の巡検使に直訴することに。訴えは聞き入れられたが、直訴は法で禁止されていたため5人は直ちに捕らえられ、同年12月22日に処刑された。遺体はその夜に浮石村の農民が運び、舜青寺の墓に埋められた。

 一柳会長は「300年前に、自分の命を犠牲にして村を救ってくれた人たちがいることを、後の世代にも伝えていきたい」と話す。308回忌を迎えた法要には、義民の子孫や地元小学生ら約50人が参列。焼香後、湖舟流吟剣詩舞道江湖会宗家の一木湖舟さんや妻の江舟(こうしゅう)さんらが義民の辞世の詩を吟じたほか、郷土史家の伊藤修二さんによる歴史講話などがあり、参列者は村を救った5人の偉功をしのんだ。【佐藤緑平】

毎日新聞 2017年12月26日 地方版
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