http://yomiuri.co.jp/science/20171228-OYT1T50132.html

 今から200年前の1817年(文化14年)12月29日、八王子に多数降り注いだ「八王子隕石いんせき」とされる小石について、国立極地研究所(東京都立川市)などは28日、分析の結果、本物だとの決め手は得られなかったと発表した。

 今後、隕石に関する情報提供を八王子の旧家などに呼びかけ、現物の発見を目指すという。

 八王子隕石は当時、町の中心部に長さ約1メートルのものを含め、多くの破片が落ちたと記録されている。一部は江戸幕府の天文方が調べたが、散逸したという。

 ところが、1950年代、京都の土御門つちみかど家で約0・1グラムの小石が見つかった。「隕石之事」と書かれた紙包みの中に、八王子隕石について記載した紙に挟まれていたため、現物とみられた。ただ、1866年(慶応2年)、京都に落ちた曽根隕石(約17キロ・グラム)のことを書いた紙も一緒に入っていたため、違う可能性もあった。

 今回、極地研の山口亮准教授(隕石学)らが最先端の技術で解析した結果、小石は曽根隕石と鉱物組成や岩石組織などがほぼ同一で、曽根隕石である可能性が高まった。しかし、曽根隕石は隕石では最も多いタイプのもので、八王子が曽根と同じ種類だったとしたら、小石が八王子隕石の可能性も十分にあるという。

 長年、八王子隕石を調査している八王子市こども科学館「コニカミノルタサイエンスドーム」の森融さんは、明確な結果が出なかったことを惜しみつつ、「今後のさらなる詳しい分析や新たな発見などによって、八王子隕石と決定づけられることに期待したい」と話している。

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