■初期(関西援交シリーズ1〜14)
生活苦から手軽に金儲けの出来る方法がないかと主犯・遊佐隆が思いついたのがビデオ販売。
1997年から他人が撮ったビデオをコピーして販売していた。
やがて顧客からの「誰も見たことのない新作はないのか?」というリクエストから、自ら撮影をすることを決意。
1999年12月頃からモデルを募集して撮影・販売を開始。
自らが撮影と男優を務めた。
2003年5月までに60本以上のビデオを販売していたが、このことが奥さんにバレて離婚の危機になる。
「もう2度とビデオ販売には手を出さない」と約束し、離婚を回避。
この時までに撮られた、ほとんどのビデオを業者に権利を販売譲渡(なにわ書店に230万円で売却。遊佐手記2より)したが、未成年少女モデルの14本(1本例外あり)を手元に残し、「関西援交シリーズ」と名前を変えて売られることになる。

■中期(関西援交シリーズ15〜)
「ビデオは撮らない」と約束した遊佐だったが、以降も生活のためビデオの作成を続ける。
自らはプロデュース兼カメラマンとなり、代わりに男優を募集。
2003年6月から常連顧客の中から松本征二(通称:ロボ)、ネット募集で豊島衛(通称:シミ爺)を男優として採用。
それまで非合法ビデオとしては珍しい、カメラマンと男優といった複数スタッフの撮影により演出の幅が広がる。
そのクオリティから当初は「業者(プロ)によるヤラセ(実は未成年ではない)ビデオ」と言われたこともある。
実際には小学生のモデルも4人おり、低年齢化が進んだ。
以降、ほぼ週1ペースで新作を販売。

■後期(上玉援交シリーズ)
インターネット(93ねっと)で販売していたが、他の業者によるコピー販売が目立つことから顧客を会員制として販売。
管理が徹底されていたため流出した作品は少ない。

■逮捕
出演していた少女の学校に「これはそちらの生徒ではないか」という問い合わせがあり事件が発覚。警察が本格捜査に乗り出した。
その内容と規模から背後に暴力団等の組織が関与していると思われ捜査は慎重に行われたが、実際は数人の小グループの犯行だった。

2005年3月8日、児童福祉法違反により主犯格3人が逮捕。
後に児童ポルノ禁止法違反、強姦容疑でも再逮捕。
同年の7月には、児童福祉法違反の容疑で楠本が逮捕