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何より、“夫婦別姓” は “親子別姓” でもあり、児童虐待の激増が雄弁に物語るように、
今でさえ、おかしくなっているわが国の親子関係が、ますます脆弱になるとの懸念は大きい。

  また、欧米キリスト教国とは異なり、もともと夫婦の関係性が脆弱な日本では、
  「別姓が導入されれば、夫婦の紐帯がますます細くなってしまう」との懸念もある。
  さらに危惧されるのは、“夫婦別姓導入”が『戸籍制度解体への一里塚』となる可能性である。
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日本の社会で「家族という共同体」と、その“絆”を縁の下の力持ちの様に支えているのが戸籍である。
国民の出生・結婚・死亡等の身分変動を、「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

     戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で、極めて重要な役割を担うと同時に、
     実は、 「家族の一体感」 を “維持” する機能も有している。


ところが、別姓推進派には別姓導入を、「戸籍制度改廃への一里塚」だとする考え方が根強く存在する。
そうした人々は、今の戸籍制度が家族単位である点を、戦前の家制度の残滓と捉え、
戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。

    この意味では、別姓導入によって「家族の絆」が弱まる恐れがあるだけではなく、
    “夫婦別姓導入”は、初めから『家族制度の解体』を意図した策動とも言えるのだ。
  【日本政策研究センター 研究部長 小坂 実】  http://www.sei☆saku-ce☆nter.net/node/263

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別姓推進派の言い分には、「選択的」だから「好きな人」がするだけ、「びっくりするようなことじゃない」、
「原則は今まで通り」という言い方をしているが、これは、きわめて“重大”な「原則の変更」である。

夫婦別姓は『婚姻・家族制度』の重大な“改変”であり、『家族単位から個人単位』への“移行”を意味している。
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現行法のもとでの婚姻は、“結婚する二人”が「同一の戸籍」を“作る”という行為から始まる。
事実上は、「一方の戸籍に他方が入る」という形を取り、戸籍に入る側は姓を変え、二人は“同一姓”となる。
この婚姻制度は「夫婦二人を基本単位」として、それを中心に家族単位を形成するという思想に基づいている。


    現行法の思想は、『家族単位思想』である。 この制度のもとでは、新しい単位を作る行為には、
    それなりの“覚悟”を必要とし、それを壊せば、それなりの“不利”を被る。

  不利とは、たとえば「離婚をすれば姓が変わる」、「結婚しないで子を産めば非嫡出子になる」など。
  これらは、「家族単位を守る」ための、いわば「社会としての防衛策」である。

      しかし、“別姓法案”は、「姓の決め方」を“個人単位”にすることを意味しており、
      したがって、“婚姻制度”のきわめて「重大な原則的変更」を“意図”するものである。

  それは事実上、『事実婚』を認めて、それに法律的な保護を与えることを意味する。
  そうなれば、結婚も離婚もきわめて安易にできるようになり、離婚率を上昇させるように作用する。
  これをもって、「びっくりするような変化ではない」と見せかけるのは、驚くべき“偽り”である。


       「家族単位」か「個人単位」かという違いは、国家制度としても、
       子供の養育をめぐっても、きわめて「重大な違い」をもたらす“大変化”である。
       これらをもって、「原則は同じ」というのは、“大ウソ”と言わざるをえない。

       “別姓制度”が、「個人単位思想」を基にした“変革”であるという意味では、
       “別姓制度”は、『家族制度』と『婚姻制度』の根本的な“破壊”を意図している。

  【元東京女子大学 文理学部 教授 日本ユング研究会 会長  林 道義】  (91347)
   http://www007.upp.so-net.ne.jp/☆rindou/kazoku2-1.html