土佐系の膨大な数の維新殉難者の中で
明治の中頃に明治政府から正四位を受けたのは
龍馬の他には、武市、中岡、吉村の3名だけ。
他は一段、二段落ちる位階になってる。
そういうのを見ても、明治あたりの時点で、それなり
には評価されてはいる。