【歴史】特攻隊員は「志願して死んでいった」のか 上官は「必ず死んでこい」と言った★11
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フィリピンの基地から出撃した陸軍特攻隊「万朶隊」の佐々木友次伍長機(写真=佐々木友次氏提供)
http://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/3/-/img_e3d9945330f46f3b3a849d808c7ff0ea35857.jpg
「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」人がいます。名前は佐々木友次。作家・演出家の鴻上尚史さんは、92歳の佐々木さんに5回会い、その証言を著書『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)にまとめました。鴻上さんは取材を通じ、「志願して死んでいった」という話は、特攻を「命令した側」の見方だったのではないか、と考えました――。
■「命令した側」が作り上げた特攻隊のイメージ
佐々木友次さんの人生を知ることは、特攻隊を理解していくことでもありました。
調べれば調べるほど、「特攻隊とはなんだったのか?」という質問は成立しないと考えるようになりました。
特攻隊は「命令した側」と「命令された側」があって、この両者をひとつにして「特攻隊とはなんだったのか?」と考えるのは無意味だと思うようになってきたのです。
「特攻隊は『志願』だったのか、『命令』だったのか?」という今も続く論争も、この二つの視点を明確にしなければ、意味がないと考えるようになりました(佐々木友次さん達『万朶隊』(※)は明確に「命令」でしたが)。
※編注:佐々木さんは日本陸軍の特攻隊『万朶隊』の第一回出撃隊に選ばれた。
『神風特別攻撃隊』という戦後、ベストセラーになった本があります。大西瀧治郎中将の部下であり、海軍の特攻を命じた中島正、猪口力平の二人が書いたものです。
英語にも翻訳され、世界に「カミカゼ」のイメージを伝えました。「積極的に自分から志願し、祖国のためににっこりと微笑んで出撃した」という、今も根強いイメージです。
それには、第2章で紹介した関行男大尉が海軍第一回の特攻隊長に指名された時の様子が描写されています。
深夜、寝ているところを士官室に呼ばれた関大尉に対して、所属部隊の副長である玉井浅一中佐は、肩を抱くようにし、二、三度軽くたたいて、現在の状況を説明し、
「『零戦に250キロ爆弾を搭載して敵に体当たりをかけたい(中略)ついてはこの攻撃隊の指揮官として、貴様に白羽の矢を立てたんだが、どうか?』
と、涙ぐんでたずねた。関大尉は唇をむすんでなんの返事もしない。(中略)目をつむったまま深い考えに沈んでいった。身動きもしない。―一秒、二秒、三秒、四秒、五秒……
と、かれの手がわずかに動いて、髪をかきあげたかと思うと、しずかに頭を持ちあげて言った。
『ぜひ、私にやらせてください』
すこしのよどみもない明瞭な口調であった」
陸軍の『万朶隊』のように、いきなり体当たりを命じられてはいません。
これを「志願」という人もいるかもしれません。けれど、厳しい階級社会の軍隊において、中佐という二階級上の上官から「涙ぐまれながら」「どうか?」と言われて断るのは本当に難しいと思います。
ところが、1984年、戦後40年近くたって、この夜のやりとりが猪口・中島の書いた嘘だと判明します。
のちに、僧侶になった元副官の玉井氏が、関大尉の中学時代の同級生に対して、「関は一晩考えさせてくれ、といいましてね。あの日は豪雨で、関は薄暗いローソクの灯の下で、じっと考え込んでいました」と証言していたのです。
また、『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(神立尚紀 文春文庫)には、同じことを猪口参謀が大西中将の副官だった門司親徳氏に戦後、話したと書かれています。
「一晩考えさせてください」と答える関大尉に、玉井中佐は、編成は急を要する、できれば、明日にも、敵機動部隊が現れれば攻撃をかけねばならない。と、重ねて、大西長官の決意を説明し「どうだろう。君が征ってくれるか」とたたみかけたのです。
そして、関大尉は、「承知しました」と短く答えました。
これは、「志願」のふりをした「強制」です。いったん、ふりをするだけ、余計に残酷だと感じます。
■『神風特別攻撃隊』の多数の欺瞞
『神風特別攻撃隊』では、他の隊員の志願に関しても、嘘が書かれています。
初めて隊員達に特攻の志願を募った時を、猪口参謀は次のように描写しています。
続きはソース
http://president.jp/articles/-/24135
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515645641/ 2018/01/09(火) 20:08:44.20 コスパがいいって言い張るやつは自分が実際に特攻に行けないとねw
自分はいかないけど、誰かの命のコスパよくしてって、ありえんわww 特攻の損害がでかすぎて、財務相は急きょ赤字国債を大量に刷る羽目になった 老害ネトウヨが良く言う
中国が攻めてきたらサヨク(若者)のせいだからサヨク(若者)が行けみたいな感じかなのかも知れないな
まあ別に反対はせんがミモノだな カミカゼキラーのVT信管はバカ高いからあまり撃ってなかった
そのおかげでピケットの駆逐艦がボロボロ
アメリカの駆逐艦乗りは「俺達は空母の盾かよ」と不満ぶちまけて反乱寸前まで行ったから艦内での飲酒を解禁して憂さ晴らしさせてる
おかげで駆逐艦の風紀が乱れまくり 日本は欧米列強と比べても、「植民地人の軍事利用」には概して消極的であった。
イギリス軍は東南アジアの戦線において、インド人兵士やグルカ兵(ネパールの山岳民族)を
最も危険な最前線に投入して戦局を組み立てたが、日本軍はそのような体制は構築しなかった。
昭和18年10月、鹿児島県の南部に位置する大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所に入校した光山(卓庚鉉)は、
この地で航空兵としての基礎的な訓練課程へと入った。
そんな彼が、休みの日曜日になると頻繁に訪れるようになったのが近隣の「富屋食堂」であった。
知覧駅からほど近い商店街に面して建つ富屋食堂は、昭和4年(1929年)に女主人・鳥濱トメが開いた店である
光山はトメを実母のように慕った。普段はもの静かな照れ屋で、
一人でいることの多かった光山だが、トメとはとりわけ親しくなった。
トメの夫・義勇は南薩鉄道のバスの運転手だったが、二人の間には長女の美阿子、
次女の節子という二人の娘があった。当時、美阿子は17歳、次女の節子は13歳だった。
光山はこの二人とも程なくして仲良くなり、共に連れ立って近くの麓川の土手などをよく散歩した。 終戦時に国のトップが責任取らなかったせいで
未だ敵国、未だ敗戦国だもんな
ドイツなんかは全部ナチのせいで終わりだけど
責任取らなかった日本はマトモな軍備も出来ないし
事あるごとに金せびられる 特攻が効果的だったのは間違いないだろうな
アメリカ以外の海軍なら壊滅してる
だが作戦としては狂ってると思う >>126
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ 昭和19年(1944年)7月、栃木県宇都宮市の教育隊へと転属。
トメたちとも別れることとなった。その後、光山(卓庚鉉)は茨城県の鉾田基地へと移動。
そんな転々とした営為の中でも、光山はしばしばトメに、「知覧のおばちゃん、元気ですか」
などと綴った葉書を寄せた。
昭和19年10月、光山は陸軍少尉を拝命。順調な昇進だったが、翌11月、そんな彼を思わぬ不幸が襲った。
京都にいた母親が逝去したのである。死に目にも会えなかったが、父親から伝えられた母の遺言は、
「文博はもうお国に捧げた体だから、十分にご奉公するように」という内容のものだった。
やがて、父もまた同じ気持ちであることを知った光山は、特攻を志願。
折から海軍が始めた特攻に、陸軍が続いた時期であった。周囲の戦友たちも、次々と特攻を志願していた。
上官の一人は、光山が朝鮮出身であることから、その覚悟の有無を改めて彼に確認した。
しかし、光山の決意は固かった。上官は光山の強い意志に心を動かされた。
こうして光山の特別攻撃隊への配属が決定した。 >>122
ミサイルはナチスの無線誘導ロケットの進化系だろ
特攻の進化系はテロリストの自爆自動車 >>131
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに計画的に戦争してた】の一言で常に完全論破できる。
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
バイキングかよwwwwwwwww >>126
責任とって死刑、そして賠償金など日本は支払ってるぞ >>131
特攻とテロの違いはわかってるばずなのに。
知らないのなら勉強してこい。 >>131
ナチの技術が優秀?
西部戦線に1000万人の兵士を動員しときながら惨敗したのに?
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ こんなに勇ましいクソガキだらけなら徴兵制復活も間近だな
一々志願するまでもないし良かったな >>134
特攻とテロリストが同じとは言ってない
しかし、ミサイル開発で参考にされたのはドイツの誘導ロケットで
テロリストの自爆自動車の参考にされたのは特攻なのは間違いない >>131
ドイツ空軍のフリッツXは母機が敵艦上空を旋回しながら手動で爆弾を操作する
日本軍の桜花以上の罰ゲーム仕様
母機があまりにバタバタ叩き落とされたから使用禁止になったお笑い兵器 >>135
大戦時の日本の技術で一つでも
後世の技術発展の基礎になったものってあんの? 昭和20年(1945年)3月、光山(卓庚鉉)は一旦、三重県の明野教導飛行師団に転属。
同月29日、明野教導飛行師団の主導により、14個隊もの特別攻撃隊が編成された。
その内の一つである第51振武隊の隊員の中に、光山の名前はあった。
隊長は荒木春雄少尉、総員12名である。
第51振武隊は山口県の防府飛行場を経て、知覧飛行場へと前進。
光山はこうして再び知覧の地を踏むこととなった。当時の知覧はすでに「特攻基地」と化していた。
光山は最初の外出日に早速、懐かしき富屋食堂を訪れた。
「おばちゃーん」
店の引き戸を開けて入ってきた光山の姿に、トメが驚く。
「まあ、光山さんじゃないの」
以前、朝鮮人とうち開けた光山を トメは温かく彼を迎えた。光山の相貌は以前よりも逞しくなっているように見えた。
そして、トメはすぐに光山が特攻隊員であるという事実を悟った。
何故なら、この時期に知覧に戻って来るのは、特攻隊員ばかりだったからである。
トメの推察と不安は、光山から発せられた次の言葉によって裏付けられた。
「今度は俺、特攻隊員なんだ。だから、あんまり長くいられないよ」
約半年前に実母を亡くした光山にとって、トメの存在はより大きなものとして感じられたであろう。
久しぶりとなるお気に入りの「離れ」に通された光山は、そこで大きく伸びをして寝転がったという。
以降、光山は富屋食堂に毎日のように顔を出した。
特攻隊員の外出は、せめてもの温情として、かなり自由に認められていた。 有事の際は、ここの国士様が大好きなアイドルの写真を持って童貞のまま特攻してくれるから、
安心だな。 バカだな〜お前らw
核兵器を最初に作ったのはドイツだぞw
これ教養の初歩なw >>142
お前はアイドルとかアニメキャラのために死ねるの?頭おかしいだろお前
2ちゃんねる>>142みたいなガチヲタがいるから怖い 「強制ではありませんが必ずやってください」
日本の組織って今も昔も変わらんな。 40年経って誰も確認できなくなってからこれが事実だと言う。
嘘クセェ >>143
作れてないぞ
完全に行き詰まってたところにイギリス軍に重水工場壊されて完全に詰んだ >>145
ニートが組織を語るなよ
まずバイトぐらいやってみろ >>147
おまえ少しは勉強しろよw
アホ丸出しやんw >>140
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍 >>146
国のため家族のために
喜んで志願したとかいう方が嘘臭いわ >>142
アイドル()のために死ぬとかアケカスらしい発想だな 貴様と俺は同期の櫻(笑)
貴様ら好きな特攻兵器を選べ!
桜花!梅花!剣!夕号!神龍!桜弾機!ト号!
回天!震洋!海龍!伏龍!
成りすまし朝鮮人がよく使う偽名
青木・青山・秋本・秋山・新井・岩田・岩本・飯田・飯島・伊東・伊藤・小川・
岡田・岡本・金田・金村・金本・金山・金岡・木村・木本・木山・木下・工藤・
熊谷・小林・近藤・佐藤・高山・徳山・徳田・徳永・富永・豊田・中村・中山・
馬場・林・東・平田・広瀬・福田・福本・福永・藤原・藤井・星山・前田・
松山・松田・松浦・南・森本・安田・安原・山田・山本・吉田・和田・渡辺・
西原・松原・水原・金子←NEW!! >>152
>>142みたいな赤の他人のアイドルのために死んでくれるキモブタもいるんだから家族のために死ぬ人ぐらいはいるだろ(適当) https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2427 特攻隊員になった朝鮮人
知覧特攻平和会館の敷地内には多くの慰霊碑が建つが、
その中には「アリランの鎮魂歌碑」という石碑もある。
アリランの歌声とほく母の国に
念ひ残して散りし花花 >>25
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとってナチカス相手の西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ >>158
だから何だよ?
はやく徴兵制度復活させようぜ >>144
二十歳前の神風特攻隊員は、高峰秀子の写真を機内に持ち込んで、散ったんだぜ。童貞ネラーも、
AKBの写真でも胸にしまい込んで突撃してくれるんだろう。馬鹿だから、高価な機体なんて
充てがわれないだろうけどなw >>160
凸でオナニーしたんかな。今見ても可愛いからな。ワシのアイドルやで。 外国の少年兵とか見ればっわかるように、10代のガキってチンコいじりしかやってない
バカだから煽てればサクッと死んでくれるんだよ
20過ぎると未練がありすぎてなかなか死んでくれない どんなに美化しようとしても、こんな糞みたいな作戦ってあるかよ。作戦立てた老害ジジイから
先に逝けよ。当時の若い飛行機乗りなんて、日本の輝かしい未来を担う最優秀層だぞ。 >>137
特攻から無限誘導弾構想だよ。無線誘導できないから特別攻撃な。お前の言ってるのはドイツの無線誘導弾技術で開発した言う話やろ >>115
兵士だけじゃなくて金もヤバかった
零戦がドル換算で3万ドル、それに対してアメリカの駆逐艦は1000万ドルだから
零戦300機撃墜しても元はとれないのでコスパが良すぎる作戦だった >>168
アメリカの水兵も輝かしい最優秀層でそいつらを何倍も倒したからコスパ的にセーフ ヒトラーもムッソリーニも死んで責任を全うしたな。マッカーサーに土産を持って挨拶に行ったんは誰やったけ? 誰がやる気満々だったかわかりますか?
日本は日本人にこれを隠してるだろ?
昭和の天皇陛下がやる気満々だったんだよ
東京大空襲受けても尚な アメリカの公式記録では、ドイツ軍が殺した米兵は事故死も含めて27万人で
日本軍が殺した米兵は同じく15万人だったはず
ドイツ軍の方が強かったのは間違いない >>171
捨て身で北朝鮮に行って、キムをヤッて来てよ。貴様の価値は限りなくゼロだから、核戦争回避出来るし
コスパ人類史上最高だ。 そりゃ軍隊なんて全て断れない命令しかないだろ
アホちゃう >>174
ナチの西部戦線での死傷者と捕虜は1000万人だぞ
キルレ酷すぎ >>174
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍 今の日本人も死ぬまで働くんだし、あんまり変わってないな・・・ >>174
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな >>170
国民の「自殺を命令する国家」に対する信頼は地に落ちたのだからコスパは悪いよ
>>171
水兵て殆どは下っ端兵士じゃん >>174
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1〜3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands - which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
ナチは強力なMe262やパンターを使ってもチハや38式の弱っちい日本軍の1/3の消耗率しか与えられなかった
日本軍にヤクトパンターやパンツァーファーストがあればナチの10倍の消耗率の損害を米軍に与えていただろう
ナチは作った兵器を全て日本軍に無償譲渡すべきで だった 特攻のえぐさは、終盤は集団自決を強いる
作戦に変化したこと。
海軍の桜花と陸軍の桜爆機。
5〜6人で搭乗させることで、
逃亡や虚偽の故障で帰還するのを妨げるのが目的だった。 >>181
どんなコストの計算仕方してるんだこのガイジは >>176
芙蓉部隊や343空のように上からの特攻命令を拒否した部隊も存在する
両部隊とも特攻を検討した事もあったが「通常攻撃が出来るうちは反復して少しでも敵に損害を与える攻撃をするべき」って考えだった >>183
桜花は大西の航空特攻の開始より先に志願と開発始まってたろ
適当なレスすんなよ無知野郎 ヒトラーな、あいつも天皇陛下と同じで敗戦濃厚下でもやる気満々だったんだよ
ドイツは将軍が何人もヒトラーに謀反してっただろ
日本で謀反した軍人がいるかい?w >>184
駆逐艦の沈んだなんだは戦時だけの話
特攻は「国のために戦いたくない」という国民を戦後数十年に渡って生み出した
だからコスパ最悪 >>183
それに桜花母機は特攻隊員扱いじゃねーよ
あと陸軍のト号機は軽量化で装備外しまくったから搭乗員も必要最低数の3人なんだが
適当なレスすんなよ無知野郎 成仏しろよお前ら
今となっては本人たちの気持ちを聞く術はない
どうあがいても真実は知り得ない 本土決戦に備えて、18前の予科練では、朝から晩まで自爆訓練してたんだぞ。作戦立てた
ジジイは芸者遊びする中。本土自爆作戦に備えて戦闘機は5000機が温存され、桜花は
800機が10代の若者たちとともにスタンバイしていた。木製特攻モーターボートの震洋は
6000隻だぞ。アホにもほどがある。 >>188
なんかガイジの理屈は理解不能だな
まあ理解したらこっちもガイジなんだろうが 今の日本の政治家もカミカゼ・アタックとかバンザイ・アタックを国民に強要しそうだと思わんかね?
進歩がないよ
右左関係なくな
左の連中の馬鹿の一つ覚えの護憲論もバンザイ・アタックと何ら違いは無い
脳みそが無いんだよ >>193
いや、理解できなきゃガイジだよ
地雷や機雷を無差別にばらまきまくったら確かに外国の軍は防げるかもしれない
が、戦後の復興は絶望的になるだろう
特攻はそれと同じ >>192
芸者遊びできる余裕があったのか
こりゃ本土に来たら勝ってたな >>194
大丈夫だよ
お前らみたいなバカチョンモメンが日本のために死のうなんて思わないことは誰でも知ってるから
そんな無駄な努力はしないだろ >>191
一つ確かに言えることは、無駄死にだったってこと
アメリカに奴隷にされると思って戦って死んだのに、アメリカにはそんな気なかったんだからね >>197
それがバカチョンモメンなら日本人の殆どはバカチョンモメンなんだよな
アンケートであったろ
国のために戦うって答えた日本人は主要国の中で最低
これが特攻がもたらしたもの
国に対する不信 >>196
沖縄戦もそうだよ。あれだけの数の皇軍を見ることなんてなかったから、沖縄島民も絶対に勝てると安心して
アメリカ軍上陸までドンチャン騒ぎ。侵攻した皇軍将兵も、連夜芸者遊び。結果は、ご存知の通りだが。 特攻による米海軍の損害のトータルコストはエセックス級空母10隻分と航空機5000機相当だったらしい >>187ヒトラーは人間。天皇は神。ステージが違うんだよ。 >>200
第32軍は飛行場作りと作戦変更の陣地構築で芸者遊びしてる暇なんてねーよ
八原の著書読んでみろ
なんでその手の基地害ってありもしないことを自信満々に偉そうに語るんだよ >>202
人間のやることなら反省も出来るが神のやったことなんて反省のしようがないからな
神が間違うわけはないんだから
ドイツは次は勝つ方につけるかもしれないが日本は無理だろう
反省しないから >>203
飛行場作りは遅れに遅れて予定通りに進まなかったじゃん。嘘ついてんのはどっちやねん。 のぶおは頭が悪すぎる。お前が自演、成り済ましをしまくってることくらい
バレバレなんだよ。バレバレで白けてるのにいつまで続ける気だ。 >>205
無知のくせに偉そうだなw
陣地構築を優先してたら大本営が飛行場を優先しろと横槍入れてきて飛行場完成させたら第9師団抜かれたから
部隊配置を全面的に入れ換えて陣地構築のやり直しをした
だから米軍上陸寸前まで穴堀してたんだよ
知ったかぶりすんなよ恥ずかしい >>192
お前は陸軍のマルレと海軍の特殊潜航艇と地上発射型回天の存在は知らんのか? >>208
昼、穴掘りして、夜、遊んでたんだよ。兵隊様は、たいそうモテたからな。でもまあ、戦争ってのは
目前に迫らないと実感しないものだよ。目の前で人が死んで、初めて自分の置かれている状況を知る。
ある意味、しょうがない。特攻隊員だってそうさ。片道の燃料だけ積んで飛び立って、飛行中に自分の
置かれている現実に気づくのさ。それまでは、たいそう勇ましいんだけどな。 志願か強制か、何故どちらかに決めなきゃいけないのよ
馬鹿じゃねーの? >>200
あと侵攻ってなんだよ
お前にとって皇軍は敵だったかも知れんが
第32軍の1/3は沖縄県民で成り立ってたんだが
沖縄県民が沖縄県を侵攻()すんのか? >>210
昼夜突貫工事で穴堀してたんだよ
沖縄県民も協力してな
司令官の牛島がそんな沖縄県民を見て給料を増やしてやってくれと経理に命じたそうな >>206
なんで石野機は爆装してなかったの?
特攻機じゃなくて直掩機だったという説もあるみたいだけど >>213
それにしても、戦中の日本人は穴掘りが上手いな。もの凄いノウハウもある。ここに、今では教えられない
隠された日本近代史のヒントもある。何はともあれ、発進した後に直面する絶望としては、回天の方は凄い
な。意気揚々と乗り込んだんだろうけど、大海原で小さな潜望鏡を通して何を想う。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています