1945年8月20日、樺太・真岡郡の郵便局で電話交換手を務めていた9人の乙女が、
ソ連軍侵攻に際して若き命を断った……。

昭和20年8月15日、
玉音放送が流され、太平洋戦争の終結が宣言された。その直後、ソ連軍が南樺太に侵攻。

一説には、二週間で4200人の人命が奪われ、1700人が行方不明となったという。
一般市民が本土への避難を始める中、真岡郵便局の女子逓信員(電話交換手)12名が、
前線での通信業務を担う為に残留した。
真岡という場所は西海岸の輸送港であり鉄道の中継地でもあったので、軍事的要所とされ、
当然ソ連軍の侵攻目標ともなったのだ。

南が「ひめゆり隊」で、北は「山櫻隊」だった。
彼女達はソ連軍が侵攻してきた場合、自らの
「名誉と純潔」を守る為にと護身用の青酸カリを配られていた。
 そして8月20日のその日、ソ連軍は真岡に侵攻して来た…。