【科学】「出雲と東北類似」「下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中」「中国南部は稲作発祥の地」 日本人のルーツ探る
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DNAの分析からわかった縄文人のルーツ
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180112/20180112-OYTAI50001-L.jpg
斎藤教授が考える日本列島への人の流れ
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180112/20180112-OYTAI50003-L.jpg
■分岐2万〜4万年前か
2003年に人間の全遺伝情報(ゲノム)が解読された後、様々な国の人たちのゲノムが解読されていった。一人ひとりのゲノムの違いは0・1%に過ぎない。しかし、そのわずかな違いを比べれば、私たちの祖先を探ることもできる。
◆福島の縄文人骨分析
「そんな方法があるのか」。福島県立博物館で考古学を担当している専門学芸員・高橋満(47)は、今も驚いている。地元の遺跡で出土した縄文人の骨について、2年前、DNAを調べることによって意外なルーツが明らかになった。
遺跡は三貫地貝塚。太平洋に面した福島県北部にあるこの遺跡は、明治時代に発見され、縄文人の骨が100体以上も出土した。国内有数の縄文遺跡だ。
長い間、発掘調査が続けられ、1988年に報告書が出された。この縄文人たちは木の実やシカ、イノシシを食べ、墓を作っていたという。だが、一体どこから来た人々なのか。それはわからなかった。
◇
骨は東大の博物館に保管されていた。国立遺伝学研究所教授の斎藤成也(60)は、その数の多さに注目していた。借りてきた男女2人の奥歯の細胞核から微量のDNAを採取した。
最新の分析装置でゲノムを解読。中国人、ベトナム人、南米の先住民など、いろいろな民族と比較した。
その結果、三貫地の縄文人のゲノムは、中国人やベトナム人のそれとはかけ離れており、太古にアフリカからアジアへ渡った人々から2万〜4万年前に分かれた集団の子孫であることが判明した。
がっしりした体つきに彫りの深い顔。全国各地で出土した骨などから、縄文人は、北東アジアや東南アジアの人々に近い存在と考えられてきた。見直しが必要だという。
後に渡来した弥生人らと混血が進んだため、三貫地の縄文人のゲノムのうち、現代人に受け継がれたのは12%だという。斎藤は「様々な古代人のDNAを調べれば、日本人の起源をより詳しく解明できる」と語る。
◇
ただ、今回はまだ、「三貫地の縄文人が古い時期に枝分かれした」ということがわかっただけだ。男女2人のDNAを調べたに過ぎない。
高橋はDNA分析には期待している。将来、三貫地の縄文人の全員の骨を調べれば、もっと多くのことがわかるだろう。親子関係や婚姻関係が明らかになる可能性もある。ムラの構造がわかり、関東や西日本など他の縄文人たちとの関係にも迫れるかもしれない。
「考古学は土器や石器から当時の社会を考えていく。いつ作られ、どこへ運ばれたなど物の流れはわかるが、人間の姿は見えにくい。DNA分析で、古代社会をより豊かに復元できる可能性がある」と考えている。
◆「出雲と東北類似」で新説
日本人のルーツに関して、ほかにも様々なことがDNAからわかり始めている。
出雲弁と東北弁が似ていることは昔から知られてきた。同じズーズー弁。松本清張の小説「砂の器」でも取り上げられた。斎藤が島根県出雲市出身者らのDNAを調べたところ、出雲の人々はDNAも東北の人と似ている可能性が高いことがわかった。
この結果から、斎藤は日本人の起源に新説を唱える。日本人の祖先は、縄文時代までに列島に来た狩猟民と弥生時代以降に渡来した稲作民が考えられてきた。新説では、この二つに加え、縄文後期〜晩期に渡ってきた集団を想定。この集団が、後から来た弥生人らに押され、出雲や東北へ移り住んだとみる。
このほか、日本人に多い「下戸」に着目した研究もある。アルコールは、肝臓で毒性物質になり、酵素の働きで分解される。この酵素をうまく作れない「下戸遺伝子」を持つ人は飲酒後、頭痛などに悩まされる。
北里大准教授の太田博樹(49)によると、下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中している。感染症予防に関係があるらしい。感染症を起こす寄生虫は、血液中の毒性物質の濃度が高いと増殖しないという。
中国南部は稲作発祥の地。お酒の文化も広まった。ある時、感染症が流行。下戸遺伝子を持つ人たちが生き延び、子孫が稲作とともに日本へ渡った――。そんな可能性があるという。
(敬称略)
読売新聞 2018年01月12日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO032251/20180112-OYTAT50003.html 日本人への縄文人の影響は、形質人類学者の予想よりかなり低かったね。 毎度毎度
「ヤヨイジンとかいう謎の民族がジョウモンジンとか言う謎の民族を駆逐した」
「耳垢が乾いてるとヤヨイジンとか顔が濃いのがジョウモンジンとかいう謎の理論」
この意味不明なネタを叫び続ける奴だらけだな >>129
西日本、近畿は朝鮮人と言っている奴はその辺りのものが都合がいいらしい。 >>130
>>1にある12%は縄文時代の東北の骨と現代の東京在住者の核ゲノムの比較だからね。
ただ、同じ縄文時代だと東北と関東ではミトコンドリアDNAの構成に違いがあることがわかっている。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/sundaymorning10/16acindex.files/image053.gif
この図では関東縄文人は東北縄文人と北九州弥生人双方の特徴を持ち、現代日本人に近い。
核ゲノムは父系母系双方の特徴を見るので、東北の縄文時代人と関東以西の現代日本人で差が出るのは当然だな。 縄文人の影響はたった12%。それも関東人で。
西日本人は0%かもね。 古い人種は地形的に隔絶した辺境の山岳地や離島に残りやすいが、
関東はそれとは正反対の平野であり古い人種が残りやすい要素は皆無。 最近も北朝鮮からボロ木船で漂流民がいっぱい来てるが、
到着してるのは東北日本海側だろ。
東に朝鮮から人が来なかったというのは完全なウソ。 出雲と東北は、どっちも朝鮮系だったというのが真相だろうな。 >>7
下戸が多い地域は限られてるからな。まあ、うちのおじいちゃんも下戸で、なのに無理やり飲んでは吐いてたけどな。 >>10
逆逆。下戸が多いのは渡来人で関西に多い。酒が強くて有名なところ(九州、四国、多分東北も)にはほとんどいない >>135
縄文人なるものが>>134のように複数の遺伝子集団がある。
また、西日本にもY染色体D系統は存在するので0%にはならない。 >>140の話だと渡来人と言っていたものの一部は縄文時代にいた可能性がある。 >>143修正
>>140
>>1の話だと渡来人と言っていたものの一部は縄文時代にいた可能性がある。 中国南部・朝鮮南部・日本の関係は、農耕・儀式・神話の類似性が指摘されてきた。
文化人類学と農学のオーヴァーラップするところ。
環東シナ文化圏という概念もある。
それは稲作以前のサトイモ類の栽培により、南太平洋とも共通点である。 >>124
古事記読んでないのか。出雲は縄文人にとって特別な場所やろ。出雲大社が縄文人のだめの社と言う事を知らんのか? 出雲も東北も、大和朝廷成立以降、周辺化された地域だよね。
古いタイプの日本犬も残っているくらいだもの。
人間も似ていても、腑に落ちるな。 >>127
関西から関東に移住したけど、文化のギャップが半端ない。ケンチョナヨ精神に溢れてる関西を懐かしむ日々 何故かいつも出雲を縄文に結び付けたがる人が謎
出雲の文化が明確になるのは弥生時代中期からやで
よく銅鐸を出雲文化みたいに言ってる人もいるけどあれも出雲が放棄したもんだからな
銅鐸が始まってるのは畿内から 縄文の東北は暖かかったからな
三内丸山遺跡とか仰韶文化との関係とかも指摘する人がいるし 下戸の俺は何らかの感染症に強いのか
感染症の種類教えて欲しい記事だ 「日本人」はどこから来たのか
歴史 は権力者に都合よく創られる
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/
縄文時代の終わり頃から続々と侵入してきた稲作民たちの中には、
自分たちを天照大神以来の皇統を受け継いでいる天孫、すなわち
天津神(あまつかみ)の子孫であると主張した人たちがいました。
しかし実際は先住民を次々と征服し、自分たちの王朝を打ち立てた
侵入者(インベーダー)でした。
ヤマト王朝を建国後、万世一系と称する天皇制の皇統譜(こうとうふ)を
作成し、それを『日本書紀』、すなわちヤマト王朝の自分たちに都合のいい
歴史をつくり上げて、「正史」としたのです。歴史とは必ずしも「本当に
あったこと」の記述ではなく、その時々の権力が自分たちに都合よく創り上
げるものなのです。
ヤマト王朝すなわち天皇制国家が生まれたことにより、先住民族に対する
抑圧と差別が始まりました。天孫族は、自分たちとは異なるルーツをもつ
人々を「化外(けがい)の民」とし、国家の支配体制から差別し排除しまし
た。
そうした先住民は「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれ、各地の山中で自給自
足の生活を送りました。さらに、最後まで抵抗したアイヌの人々を住んでい
た土地から追い出し、賤民としてあちこちに分散させました。
そして、律令制によって天皇制国家を法制化し、公地公民制と
身分制度を確立したのです。東北地方の「蝦夷」と南九州の「熊襲」
(ヤマトに降伏後、「隼人」と呼ばれる)は反乱を起こしましたが、
圧倒的な力の差によって押さえつけられました。このようにして、
律令制にもとづく天皇制とは民族差別の制度化のなかで構築された
ものなのです。
私が大きな問題だと思うのは、研究がどんどん進んでいるにもかかわらず、
未だに天皇家を「神」とつながる特別な血筋であると考える人たちが少な
くないことです。また、日本という国や日本民族が多様なルーツをもつ人々
によって成り立っていることも驚くほど知られていません。 かつて東北に追われた原住民であった蝦夷を組織化し、征東大将軍紀古佐美
の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、鉄武器を奪って田子の浦まで攻め
込んだ阿弖流為という王が東北にいた。
その後、大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂らと12年に渡
って戦ったが、最後には制圧されて蝦夷は滅びた。
阿弖流為は今の大阪府の杜山まで連行され朝廷に謁見後、斬首、さらし首に
されたが、東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きなが
ら埋められ惨殺されたとされている。
その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった者らに踏み
つけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりである。
つまり『根』(死)の国へ追いやるための土かぶせの『蓋』ということである。
踏んづける恰好をする踊りに坂上田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時の
エピソードを表現している。 日本海ルートがあったわけだから特に不思議でもない
そもそも弥生時代でも出雲はそのルートを使ってる 最後の集団が長江文明の人達と理解してたんだけど、その辺どうなるんだろうなぁ… まあ、天皇家が朝鮮人なのは間違いねーわな。
邪馬台国の時は全身に刺青いれて、服は布きれで、文字も持たず、鉄器も持たず、
呪術で民衆を治めてたような国が、
たった150年で、馬に乗り、鉄器を製造し、文字を持ち、刺青を一斉にやめ、
そして朝鮮を支配する、 上でも書いたけど三内丸山が黄河文明との関係を指摘されたりしてるし
南方由来かどうかはなんとも 結局下戸遺伝子を持つ集団ってどれなのよ
〇縄文時代までに列島に来た狩猟民 (縄文系)
〇縄文後期〜晩期に渡ってきた集団 (後から来た弥生系に押しやられ東北と出雲へ移動)
〇弥生時代以降に渡来した稲作民 (俗にいう弥生系) 縄文系の目 二重まぶた(平行型)
弥生系大和民族の目 一重まぶた 二重まぶた(末広型) >>12
そのアフリカってのを発見したのも学者なんだが…… >>161
日本に先行する水田が無いから流石に無理やなw 人類学者は、畿内の人のことを「近畿朝鮮人」と呼んでるんだぜ。 日本人でも西郷どんがアルコール強くて
羽生結弦が下戸ってイメージだよな >>19
してないよ
むしろ朝鮮民族ってのはいないって結論になった
DNA的にはたんなる日本人と中国人のハーフらしいぞ 東京とか関東にコケシそっくりの貧相な顔の男女が一定数いるけどあいつらが縄文人系なんだろうな 中国南部からなら台湾、フィリッピン、沖縄が近いんじゃないの。 日本人のルーツに朝鮮が絡んでないのはおかしいニダってホロン部が必死な件についてwww >>162
縄文末期(弥生早期)に北部九州で混血→弥生前期の温暖期に水稲と共に各地に拡散→中期には水稲が青森県に到達
因みに応神天皇は酒が好き。 古代中国の春秋戦国時代破れた国の人間が日本に逃げのびてきた
ソースは墨攻 日本や中国、シンガポールなど10カ国・地域、90人以上の科学者の共同研究。アジア太平洋地域
の約70民族・集団の約2千人を対象にした。人のDNAの塩基配列の中には、個人によって微妙に
違いがある場所(SNP、スニップ)がある。このうち特徴的な約6万カ所を選び出し、それぞれを
比較、分析した。
その結果、インドから東南アジア、中国、韓国、日本人へと枝分かれしていく遺伝学的な関係を表す
系統樹ができた。この系統樹は、言語学や地理学上の関係とよく対応していた。移動ルートは共通の
祖先がアフリカからインドを通って東南アジアに入り、その後大陸を東アジアや北アジアに移動し
たり、南の島々に渡ったりしたと考えられた。
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery/daieryA/nihonjinnososen/nihonjinnososen.html
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery/daieryA/nihonjinnososen/clip_image001.jpg 縄文農耕なんて証拠何にもないよ
ただプラントオパールが見つかったとか、三内丸山で栗を栽培してた(っぽい)だけ
ちゃんとした痕跡なんて一つもないよ >>182
その日本に対してだけ異常に高いハードルを中国に当てはめれば
中国にちゃんとした痕跡なんか何一つないことになる >>159
三内丸山遺跡の土器や装飾品との関連を指摘されているのは興隆窪文化(ウラル語族)で、黄河文明より先行する文化。
遼東から内モンゴルにかけてのものだ。
黄河は関係がない。 ウンコ食ってる韓国人は省いてるの気づいてるか?
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| ( ・∀・) うんこあげる
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(衝撃映像) 韓国人がジャンケンで負けてウンコを食べる!
http://www.youtube.com/watch?v=K5C9uhMe7eE 縄文人の遺伝子受け継いでるのはアイヌが一番なんだけど。
朝廷のあった畿内が最もかけ離れてる。 >>191
>>134の図だと関東の縄文人はアイヌと関係がないということだな。 >>184
いや、中国は原始農業も含めて数千年前からやってるわけで(下手すると万年単位)
その発展の段階も分かってる
日本からってのはさすがに無理筋 >>193
今の所そういうことにしてるってだけ
この手の分野なんていつひっくり返るかなんて誰もわからない
縄文土器にしても日本がこんな土器作れるわけないとして弥生より後の時代だと思い込んでいた人がいたぐらいだし >>193
水稲はともかく、土器の圧痕はどういうものかわかったか? >>195
それを言い出すと中国は1万数千年前になるんだわ
確実な遺構は7000年くらい前
流石に原始農耕の痕跡さえも出てこない日本を先と言うのは無理やろ 日本は水稲稲作がいきなり始まるような形だから技術がそのまま流れ込んできたと言うのが自然だろうな
発展段階がなくていきなりゴールにいる感じ
まぁもしかしたらどっかで大昔の農耕の跡が出るかもしれないとは言い切れないけど
土器についてはそれこそ1万数千年の古さがあるんだしやっててもまぁ不自然ではない なんか韓国が起源主張すんのはいつもだけど
中国がマネすると、そこまで落ちぶれたのかって印象持っちゃうな >>196
いや、お前のこの「縄文時代に農耕の痕跡がない」という言葉に対してのものだが、自分が言ったことも忘れたのか?
176 名無しさん@1周年 2018/01/13(土) 16:57:06.86 ID:mGRTd5ov0
>>172
農耕の痕跡もないから無理やな
流石に >>199
昔から日本で最古のプラントオパールが見つかった直後に中国でそれより古いのが見つかったアル
って絶妙なタイミングで都合よく出てくるからな 良渚文化は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから
紀元前2200年ころにみられた。
良渚文化は稲作都市文明を形成していた。1000年ほどの繁栄を経て、
洪水でこの文化は崩壊する。
wikiより抜粋
4000年前にこの一団が日本に渡ってきたとしたら面白そう
苗族は日本人と顔立ちも似ているし >>202
手塚治虫の火の鳥の世界では常識の世界なんだがw >>200
プラントオパールの発見は農耕の痕跡とは言えない
それがどうやってできたものかその過程が不明なんだからね
せいぜい「もしかしたら可能性があるかもしれない」程度の話
で、それを農耕の痕跡とか言い出すと上でも書いたけど中国は万年前になる
仮にこれが捏造だとか言ったとしても、中国は他に確実な痕跡が見つかってるんで比較できない 中国は黄河文明がすべての起源とか思ってたけど長江文明の方が古いことが分かったからな
その調査が始まってそんなに長くない
もっといろんなことがこれからわかるかも知らんな >>204
日本は縄文時代はサトイモが主食だったらしいからな
米作に向いていなかったのかね? >>208
そんなこたないと思うけどね
稲作が伝来したら手早く広まってるわけだし寒冷で乾燥した半島よりもずっと稲作に適してるかと思う 日本人の顔は京都に近づくほど平たい雅顔が増えて外に離れると掘りが深くなる 神話だと
出雲族が農耕で
南方から来た海神族と
争う話だった >>209
いや、上海との比較だよ
朝鮮なんてどうでもいいわw >>17
それ納得。
ミャオ族で画像検索すると、普通の日本人っぽい顔立ちが多いね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F%E6%96%87%E6%98%8E
弥生系の日本人のルーツらしいね。
土着の縄文系と弥生系の混血が今の日本人って事か。 顔や体格なんてもんは生活習慣で幾らでも変わるから
いつも言い出す「縄文顔」とかナニイッテンダお前と言う話だな
稲作が伝わって生活習慣が激変してるんだからそりゃ顔も変わる
江戸時代の将軍と町人は「同じ町の同じ時代にいる」のに別生物レベルで人相が違う
将軍は良いもの食ってるから平安貴族みたいな長い顔してる
町人は固い物ばかり食ってるから四角い顔してる
硬い物しか食えないで歯がすり減ったら死ぬとかやってた縄文時代の人と弥生時代の人の顔や体格が違うのなんて当たり前だろうと >>204
土器の圧痕の話をしてるのにどうしてプラントオパールがどうとかになるんだ?w まあ古代中国南部とは交流があったってことでしょ
呉越戦争のときか、もっと前なのか >>210
まあたしかに近畿特有の顔はある
あの何とも言えないのっぺりした顔 これが専門家の話。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=3889
>第5回 縄文農耕と人口アレルギー
>日本の考古学も最近は、土器や石器ばかりでなく、微細な植物遺物の検出にも努めるようになり目覚ましい成果
>をあげている。なかには、栽培植物がたくさんあって縄文時代に農耕があったことは否定できなくなってきた。国際
>シンポジウムで外国の研究者から、これほどの証拠があるのに、なぜ日本の考古学者は後ろ向きなのかと問い詰
>められたことがある。
>なかでも、ヒエは北海道・東北地方で、野生から栽培へのプロセスが明らかにされ、ほかにソバ、ダイズ、アズキ、
>アブラナ類(ダイコンやカブ)、シソ、エゴマなどもあって農耕の条件の1つである「作物複合」が出来ていたらしいの
>だ。さらに興味深いのは辻誠一郎さんがマメ類も日本で栽培化された可能性があると言っていること。すると縄文人
>は自力で農耕を始めたわけだ。わたしはそれは焼畑農耕だったと考えている。 >>216
おう、失礼
だがどの道おなじ
農耕の痕跡が皆無だからそれがどうやってそこに付いたのか分からない
そして圧痕の話ならやっぱり中国が万年単位で古い物が出てる 縄文人 ← X人 ← 弥生人
確かにこうすると色々氷解するよな
気がする 昔の研究で下戸密度は大和朝と同じく関西を中心に放射的に広がってるんだけど、
本来なら外来人(北九州倭人)で稲作と関連するとしたら、北九州が中心で広がるべきなんだけどね。
東に移住したんじゃないかといわれる北九州東部の遠賀川土器使用人と関連してるのかもしれん。
まぁ、今の北九州で北九州倭人の特徴の長身の人はあまり見ないわな。
長身で印象的なのは紀州と熊本か? >>221
大豆は日本が最古級だ。
紀元前3000年前の満州からシベリアとされていたが、それより古い圧痕が日本で出た。
しかも野生種よりも大きなものだ。 >>219
縄文顔の自分は島根鳥取や関東東北の人にモテて、関西人にはモテなかったがそういう事か。 アフリカの低緯度地域等のマラリア流行地域特有の遺伝病に鎌状赤血球症をいうのがある。
鎌状赤血球症があると赤血球の酸素運搬能力が低下するが、マラリアに対する耐性があり
マラリア流行地域では生存に有利だ。
そこからの類推で、下戸遺伝子が感染症予防に関係があるのではと考えたのだろうが
見当違いだな。
マラリアは現在でも年間2〜3億人が感染し、数十万人が死亡しているから、
鎌状赤血球症遺伝子を維持する圧力になっている。
下戸遺伝子は、正確に言えばアルデヒド脱水素酵素ALDH2)欠損体質だ。
ALDH2欠損体質の人は、アルデヒドを分解できない。
アルコールの飲むと、血中のアルデヒド濃度が上昇して悪酔いするので、アルコールを飲めない。
俺もALDH2欠損体質で、奈良漬け1切れを食べても気分が悪くなるので、アルコールは一口も飲まない.。
アルデヒドの血中濃度が高いと生き残るのに有利な病気があるとは思えないし、
かりにあったとしても、下戸は最初からアルコールを飲まないので、アルデヒドの血中濃度が上がることもない。 <丶`∀´>:「ウリの遺伝子は人よりウニに近いと科学的に証明されたニダ」
ローマ法王:「韓国民は霊的に生まれ変わる事を望むwww」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています