【科学】「出雲と東北類似」「下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中」「中国南部は稲作発祥の地」 日本人のルーツ探る
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DNAの分析からわかった縄文人のルーツ
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斎藤教授が考える日本列島への人の流れ
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■分岐2万〜4万年前か
2003年に人間の全遺伝情報(ゲノム)が解読された後、様々な国の人たちのゲノムが解読されていった。一人ひとりのゲノムの違いは0・1%に過ぎない。しかし、そのわずかな違いを比べれば、私たちの祖先を探ることもできる。
◆福島の縄文人骨分析
「そんな方法があるのか」。福島県立博物館で考古学を担当している専門学芸員・高橋満(47)は、今も驚いている。地元の遺跡で出土した縄文人の骨について、2年前、DNAを調べることによって意外なルーツが明らかになった。
遺跡は三貫地貝塚。太平洋に面した福島県北部にあるこの遺跡は、明治時代に発見され、縄文人の骨が100体以上も出土した。国内有数の縄文遺跡だ。
長い間、発掘調査が続けられ、1988年に報告書が出された。この縄文人たちは木の実やシカ、イノシシを食べ、墓を作っていたという。だが、一体どこから来た人々なのか。それはわからなかった。
◇
骨は東大の博物館に保管されていた。国立遺伝学研究所教授の斎藤成也(60)は、その数の多さに注目していた。借りてきた男女2人の奥歯の細胞核から微量のDNAを採取した。
最新の分析装置でゲノムを解読。中国人、ベトナム人、南米の先住民など、いろいろな民族と比較した。
その結果、三貫地の縄文人のゲノムは、中国人やベトナム人のそれとはかけ離れており、太古にアフリカからアジアへ渡った人々から2万〜4万年前に分かれた集団の子孫であることが判明した。
がっしりした体つきに彫りの深い顔。全国各地で出土した骨などから、縄文人は、北東アジアや東南アジアの人々に近い存在と考えられてきた。見直しが必要だという。
後に渡来した弥生人らと混血が進んだため、三貫地の縄文人のゲノムのうち、現代人に受け継がれたのは12%だという。斎藤は「様々な古代人のDNAを調べれば、日本人の起源をより詳しく解明できる」と語る。
◇
ただ、今回はまだ、「三貫地の縄文人が古い時期に枝分かれした」ということがわかっただけだ。男女2人のDNAを調べたに過ぎない。
高橋はDNA分析には期待している。将来、三貫地の縄文人の全員の骨を調べれば、もっと多くのことがわかるだろう。親子関係や婚姻関係が明らかになる可能性もある。ムラの構造がわかり、関東や西日本など他の縄文人たちとの関係にも迫れるかもしれない。
「考古学は土器や石器から当時の社会を考えていく。いつ作られ、どこへ運ばれたなど物の流れはわかるが、人間の姿は見えにくい。DNA分析で、古代社会をより豊かに復元できる可能性がある」と考えている。
◆「出雲と東北類似」で新説
日本人のルーツに関して、ほかにも様々なことがDNAからわかり始めている。
出雲弁と東北弁が似ていることは昔から知られてきた。同じズーズー弁。松本清張の小説「砂の器」でも取り上げられた。斎藤が島根県出雲市出身者らのDNAを調べたところ、出雲の人々はDNAも東北の人と似ている可能性が高いことがわかった。
この結果から、斎藤は日本人の起源に新説を唱える。日本人の祖先は、縄文時代までに列島に来た狩猟民と弥生時代以降に渡来した稲作民が考えられてきた。新説では、この二つに加え、縄文後期〜晩期に渡ってきた集団を想定。この集団が、後から来た弥生人らに押され、出雲や東北へ移り住んだとみる。
このほか、日本人に多い「下戸」に着目した研究もある。アルコールは、肝臓で毒性物質になり、酵素の働きで分解される。この酵素をうまく作れない「下戸遺伝子」を持つ人は飲酒後、頭痛などに悩まされる。
北里大准教授の太田博樹(49)によると、下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中している。感染症予防に関係があるらしい。感染症を起こす寄生虫は、血液中の毒性物質の濃度が高いと増殖しないという。
中国南部は稲作発祥の地。お酒の文化も広まった。ある時、感染症が流行。下戸遺伝子を持つ人たちが生き延び、子孫が稲作とともに日本へ渡った――。そんな可能性があるという。
(敬称略)
読売新聞 2018年01月12日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO032251/20180112-OYTAT50003.html >>159
三内丸山遺跡の土器や装飾品との関連を指摘されているのは興隆窪文化(ウラル語族)で、黄河文明より先行する文化。
遼東から内モンゴルにかけてのものだ。
黄河は関係がない。 ウンコ食ってる韓国人は省いてるの気づいてるか?
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(衝撃映像) 韓国人がジャンケンで負けてウンコを食べる!
http://www.youtube.com/watch?v=K5C9uhMe7eE 縄文人の遺伝子受け継いでるのはアイヌが一番なんだけど。
朝廷のあった畿内が最もかけ離れてる。 >>191
>>134の図だと関東の縄文人はアイヌと関係がないということだな。 >>184
いや、中国は原始農業も含めて数千年前からやってるわけで(下手すると万年単位)
その発展の段階も分かってる
日本からってのはさすがに無理筋 >>193
今の所そういうことにしてるってだけ
この手の分野なんていつひっくり返るかなんて誰もわからない
縄文土器にしても日本がこんな土器作れるわけないとして弥生より後の時代だと思い込んでいた人がいたぐらいだし >>193
水稲はともかく、土器の圧痕はどういうものかわかったか? >>195
それを言い出すと中国は1万数千年前になるんだわ
確実な遺構は7000年くらい前
流石に原始農耕の痕跡さえも出てこない日本を先と言うのは無理やろ 日本は水稲稲作がいきなり始まるような形だから技術がそのまま流れ込んできたと言うのが自然だろうな
発展段階がなくていきなりゴールにいる感じ
まぁもしかしたらどっかで大昔の農耕の跡が出るかもしれないとは言い切れないけど
土器についてはそれこそ1万数千年の古さがあるんだしやっててもまぁ不自然ではない なんか韓国が起源主張すんのはいつもだけど
中国がマネすると、そこまで落ちぶれたのかって印象持っちゃうな >>196
いや、お前のこの「縄文時代に農耕の痕跡がない」という言葉に対してのものだが、自分が言ったことも忘れたのか?
176 名無しさん@1周年 2018/01/13(土) 16:57:06.86 ID:mGRTd5ov0
>>172
農耕の痕跡もないから無理やな
流石に >>199
昔から日本で最古のプラントオパールが見つかった直後に中国でそれより古いのが見つかったアル
って絶妙なタイミングで都合よく出てくるからな 良渚文化は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから
紀元前2200年ころにみられた。
良渚文化は稲作都市文明を形成していた。1000年ほどの繁栄を経て、
洪水でこの文化は崩壊する。
wikiより抜粋
4000年前にこの一団が日本に渡ってきたとしたら面白そう
苗族は日本人と顔立ちも似ているし >>202
手塚治虫の火の鳥の世界では常識の世界なんだがw >>200
プラントオパールの発見は農耕の痕跡とは言えない
それがどうやってできたものかその過程が不明なんだからね
せいぜい「もしかしたら可能性があるかもしれない」程度の話
で、それを農耕の痕跡とか言い出すと上でも書いたけど中国は万年前になる
仮にこれが捏造だとか言ったとしても、中国は他に確実な痕跡が見つかってるんで比較できない 中国は黄河文明がすべての起源とか思ってたけど長江文明の方が古いことが分かったからな
その調査が始まってそんなに長くない
もっといろんなことがこれからわかるかも知らんな >>204
日本は縄文時代はサトイモが主食だったらしいからな
米作に向いていなかったのかね? >>208
そんなこたないと思うけどね
稲作が伝来したら手早く広まってるわけだし寒冷で乾燥した半島よりもずっと稲作に適してるかと思う 日本人の顔は京都に近づくほど平たい雅顔が増えて外に離れると掘りが深くなる 神話だと
出雲族が農耕で
南方から来た海神族と
争う話だった >>209
いや、上海との比較だよ
朝鮮なんてどうでもいいわw >>17
それ納得。
ミャオ族で画像検索すると、普通の日本人っぽい顔立ちが多いね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F%E6%96%87%E6%98%8E
弥生系の日本人のルーツらしいね。
土着の縄文系と弥生系の混血が今の日本人って事か。 顔や体格なんてもんは生活習慣で幾らでも変わるから
いつも言い出す「縄文顔」とかナニイッテンダお前と言う話だな
稲作が伝わって生活習慣が激変してるんだからそりゃ顔も変わる
江戸時代の将軍と町人は「同じ町の同じ時代にいる」のに別生物レベルで人相が違う
将軍は良いもの食ってるから平安貴族みたいな長い顔してる
町人は固い物ばかり食ってるから四角い顔してる
硬い物しか食えないで歯がすり減ったら死ぬとかやってた縄文時代の人と弥生時代の人の顔や体格が違うのなんて当たり前だろうと >>204
土器の圧痕の話をしてるのにどうしてプラントオパールがどうとかになるんだ?w まあ古代中国南部とは交流があったってことでしょ
呉越戦争のときか、もっと前なのか >>210
まあたしかに近畿特有の顔はある
あの何とも言えないのっぺりした顔 これが専門家の話。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=3889
>第5回 縄文農耕と人口アレルギー
>日本の考古学も最近は、土器や石器ばかりでなく、微細な植物遺物の検出にも努めるようになり目覚ましい成果
>をあげている。なかには、栽培植物がたくさんあって縄文時代に農耕があったことは否定できなくなってきた。国際
>シンポジウムで外国の研究者から、これほどの証拠があるのに、なぜ日本の考古学者は後ろ向きなのかと問い詰
>められたことがある。
>なかでも、ヒエは北海道・東北地方で、野生から栽培へのプロセスが明らかにされ、ほかにソバ、ダイズ、アズキ、
>アブラナ類(ダイコンやカブ)、シソ、エゴマなどもあって農耕の条件の1つである「作物複合」が出来ていたらしいの
>だ。さらに興味深いのは辻誠一郎さんがマメ類も日本で栽培化された可能性があると言っていること。すると縄文人
>は自力で農耕を始めたわけだ。わたしはそれは焼畑農耕だったと考えている。 >>216
おう、失礼
だがどの道おなじ
農耕の痕跡が皆無だからそれがどうやってそこに付いたのか分からない
そして圧痕の話ならやっぱり中国が万年単位で古い物が出てる 縄文人 ← X人 ← 弥生人
確かにこうすると色々氷解するよな
気がする 昔の研究で下戸密度は大和朝と同じく関西を中心に放射的に広がってるんだけど、
本来なら外来人(北九州倭人)で稲作と関連するとしたら、北九州が中心で広がるべきなんだけどね。
東に移住したんじゃないかといわれる北九州東部の遠賀川土器使用人と関連してるのかもしれん。
まぁ、今の北九州で北九州倭人の特徴の長身の人はあまり見ないわな。
長身で印象的なのは紀州と熊本か? >>221
大豆は日本が最古級だ。
紀元前3000年前の満州からシベリアとされていたが、それより古い圧痕が日本で出た。
しかも野生種よりも大きなものだ。 >>219
縄文顔の自分は島根鳥取や関東東北の人にモテて、関西人にはモテなかったがそういう事か。 アフリカの低緯度地域等のマラリア流行地域特有の遺伝病に鎌状赤血球症をいうのがある。
鎌状赤血球症があると赤血球の酸素運搬能力が低下するが、マラリアに対する耐性があり
マラリア流行地域では生存に有利だ。
そこからの類推で、下戸遺伝子が感染症予防に関係があるのではと考えたのだろうが
見当違いだな。
マラリアは現在でも年間2〜3億人が感染し、数十万人が死亡しているから、
鎌状赤血球症遺伝子を維持する圧力になっている。
下戸遺伝子は、正確に言えばアルデヒド脱水素酵素ALDH2)欠損体質だ。
ALDH2欠損体質の人は、アルデヒドを分解できない。
アルコールの飲むと、血中のアルデヒド濃度が上昇して悪酔いするので、アルコールを飲めない。
俺もALDH2欠損体質で、奈良漬け1切れを食べても気分が悪くなるので、アルコールは一口も飲まない.。
アルデヒドの血中濃度が高いと生き残るのに有利な病気があるとは思えないし、
かりにあったとしても、下戸は最初からアルコールを飲まないので、アルデヒドの血中濃度が上がることもない。 <丶`∀´>:「ウリの遺伝子は人よりウニに近いと科学的に証明されたニダ」
ローマ法王:「韓国民は霊的に生まれ変わる事を望むwww」 記紀によると、畿内には先住民Aと外からやってきた支配者Bがいた。
BはAの妹と結婚して、AとBは仲良くやっていた。
ところが、Cが先住民を殺戮しながら畿内に迫ってきた。
BとCは死闘を繰り広げたけれど、Cが「自分は天の孫だ」といい証拠を見せると、
支配者だったBは、あくまで戦おうとする義理の弟の先住民Aを殺して、Cに国を譲った。 >>224に補足
更に6000年前の土器に野生種のツルマメの圧痕が見つかった。
双方とも山梨県内の遺跡で、日本列島内で大豆が品種改良された可能性がある。 >>41
日本から伝わったが定着しなかったんだよね >>223
和歌山も熊本も平均身長高くないし福岡県は全国
でもチビを争ってるけどね
日本に来た渡来人は、中国で戦国時代に負けた国の人々らしいな。
国を追われ、長江を船で逃げると、海流に乗ってしまい、日本へ辿り着く。
稲のDNAも一致してるのでほぼ間違いないんだとか。
戦に負けて少数になった人々なので、縄文人とは戦わずに共存を選んだ。
500年にも及んだ中国の戦国時代、数年おきに数十人が流れ着き続けて、
無数の稲作の集落が日本にできた。それがの本の基礎である。 台湾は下戸が多いが、朝鮮半島は少ない。日本は関西を中心にして下戸は多い。
南から島を渡りながら日本本土に来た人たちがいる。 >>236
福岡とか北九州の古墳時代の人骨は俗にいう縄文系の人骨を示しているんだよね。
だから、外来人が来たとしても限定的だったろ、という見方をしている。
また佐賀とか長崎などの西北九州は弥生期も縄文系人骨で通っていたらしい。 >>226
日本では、神事や法事で酒を飲むことが多いし、日本料理でも酒が入ってるのが多い。
たぶん昔から、ひとが集まると酒を飲まされたんだよ。 >>226
遺伝形質にはそうなるべき理由なんてものは要らんので。たまたまそうなってるだけ。 >>214
むしろ中国から来た江南人と縄文人の混血が弥生人で、つまり現日本人。 成りすましのすり替えババアが地獄に堕ちますように
地獄を維持するババアの手下どもが崩壊します様に >>3
大阪土人だけを日本人と限定するならば
それ正しい
だが、日本人は大阪土人だけではないから
それは間違い >>245
Y染色体D系統が多い日本語、チベット語、アイヌ語はSOVだよ。
水稲との関連が推測されるY染色体O1b系統はオーストロアジア語族であることが予想されSVOになる。 http://style.nikkei....10C11A1000000?page=2
「もともと人間の耳あかはすべて湿型だった。ところが、数万年前に中国北部やモンゴルの周辺で
遺伝子の突然変異に伴い乾型の耳あかが生まれ、周辺地域に広がった」
「弥生時代以来、日本に移り住んできた渡来人が乾型の遺伝子を運び込んだ」と新川さんは見る。
もともと日本の先住民だった縄文人は、白人や黒人らと同様に湿型ばかりだった。
そこへ、渡来人が高度文明や技術、専門知識などとともに乾型の遺伝子も持ち込んだらしい。
図5と表6は、日本国内の耳あかの乾型と湿型の勢力分布を示したものだ。
新川さんらと共同で県立長崎西高校が調査した都道府県別の乾型遺伝子出現率(対象1963人)をもとに作成した。
最も高いのは京都、次いで岐阜、大分、愛媛、福井……。逆に最も低いのは岩手、次いで沖縄、広島、宮城、山梨……。
調査を見ると、「乾型は西日本で特に多い」というざっくりした傾向が浮かび上がる。
詳しく言うと「乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。
乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。
世界の乾型・湿型遺伝子の出現率 ★中国北部・韓国 乾型100%
http://i.imgur.com/MhW3OVJ.jpg
図5 日本国内の乾型遺伝子の出現率
http://i.imgur.com/nMDz1XH.jpg
表6 都道府県ランキング ★渡来人のメッカ京都府 乾型98%
http://i.imgur.com/EXxdFrC.jpg 記事による4400年前に朝鮮半島から来た渡来人とは、DNAから推測するに中国人の
Y染色体ハプロタイプO2で、3000年前に来た渡来人は、中国長江流域から稲作をも
たらしたO1B2の民族ということか。
朝鮮人の直接の先祖が、朝鮮半島に来たのは、約4000年前ということだから、あまり
日本とは関係ないようだな。
縄文人の主体のD1Bを父親に持つ日本人が、現在30〜40%いるにもかかわらず、その
遺伝子が12%しか日本人に受け継がれてないのは、縄文人の方が支配階層だったと言う
ことかな。 >後から来た弥生人らに押され、出雲や東北へ移り住んだとみる
これは正しくない
正確には出雲から東北にかけて日本海側で交易が盛んだったと言うのが正しい >>250
そういうこと
我々の話している言語が日本独自の言語であり
宗教観も文化も日本独自のものと言うことは
支配層が縄文人だったという証拠である うちの真上ホバリング騒音じいさんが夏とか書いてあるTシャツ着てればいいの
近衛家の方がいいかもしれんが 近衛の方が古い 卑弥呼出した部族だから
まああんな騒音じいさんのイワシの頭も信心からの権化みたいなもんだから
とっとと京都に帰っておじゃる丸やってればいいんだよ プリンでも食わしとけ
檀家・氏子総代の仕事しないから天命尽きちまったんだよ
うちは200年前に廃業したからしらねーぞ 勝手にやってろ >>248
これに対する反論には全くなってない
(1)記紀を書いた渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった >>245
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった たった12%
http://sp.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=1
斎藤 成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、
遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。 世界で日本人と同じ特殊な遺伝子を持つのはブリヤート人なのだが、彼らは酒豪らしい。
かれらが樺太から島伝いにやってきたなら、顔つきからみて、半島から渡ってきた人と混血して誕生した弥生人なんてのはいないのだと思っている。日本から半島に渡った奴らが大陸の奴等と交わってできたのが朝鮮人だろう。 何故、北からきた、ブリヤート人の片割れの縄文時代の日本人の祖先の一つが蔑ろにされているのだろうか?
彼らの顔つきをみてると縄文人というよりは弥生人なんだが 一般的には下戸は畿内とその周辺に多く
酒豪は東北と九州南部に多いけどな。
遺伝子全般でいえば、日本人に最も近いのが
朝鮮人だ。
朝鮮や蒙古の人が酒が強いかどうか知りたい 遺伝子の話だと、スカンジナビア半島に起源を有する遺伝子が縄文人の遺伝子に認められたってのが印象的だった
縄文時代の時点で人類は世界中を旅していたんだな
全然歴史に残ってないけど想像すると面白い 親の親で2の2乗の遺伝子、10代さかのぼると1024人、20代前だと100万人の遺伝子
2000年前というと100代くらい前 >>149
出雲文化じゃなくて出雲大社が縄文と結びついてんやろ。なぜ、出雲大社を作ってくれといったかは謎やけど。 >>255
日本人の殆どが縄文人のDNAを持っていてその割合の平均が12%って事やぞ
それでも東アジア人と大きく異る人種なんだよな
核DNAでの結果の分布図
(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20171214/20171214-OYT8I50004-L.jpg
斎藤成也教授は去年のインタビューでこう答えてる
>これまで日本人は大陸からわたってきたと考えられていたため、遺伝子が東アジアの人たちと近いと考えられていました。
>ところが調べてみると、東アジアの人たちは遺伝子が似ているのに、日本人はそれとは違うことがわかりました。
>そこで、その違いをもたらす原因を縄文人の影響だと仮定し、縄文人のDNAを分析したところ、やはりその原因が縄文人にあったことが分かったのです。
>さらに日本人の中でも、沖縄の人たち、アイヌの人たちはさらに違いが大きいことも分かっています。
これは去年放送された動画
〔サイエンスZERO〕日本人のルーツ発見!〜”核DNA”が解き明かす縄文人〜〔Science Zero〕
https://www.youtube.com/watch?v=KDGX0yZD_Bc
http://yonta64.hatenablog.com/entry/zero/2016-0403-%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84
>縄文人はアジア特異集団
>日本人は大陸と縄文人のハイブリット
>日本人はアジアでも特異な人種
これが核ゲノムでの結論
結局Y染色体の結果を裏付けする形に 江南人の墓制は甕棺墓制なんだが福岡県でも筑豊から東では出土していないんだな
おまけに出土した甕棺墓も数が限定されているし、現在の日本語も大陸とは
繋がりを見ない訳、渡来した江南人よりも在来の縄文人の数が多かったから
縄文人が江南人の文化を上手に取り込んだと言う事だろう。 注連縄があるから縄文なのかね?
まぁ縄だけどさ
それ言い出したら全部の神社そうじゃね?
ついでに心御柱の事ならこれも大体の神社に該当すると思うし
出雲大社が縄文文化だと言う意味がやはり分からない 最古の水稲の遺構が出てきた菜畑では縄文土器と新しい土器や稲作の道具が「併用」されている
この事から「ヤヨイジン」とか言う謎の民族が日本を支配とか主導したんじゃなくて縄文人が新技術を導入しただけの事
何故かジョウモンジンとやらがヤヨイジンとか言うのに追い出されたとか思ってる人が多くて謎 >>250
12%と言っているのは核ゲノムだけど、これは父系母系双方の特徴を見るもの。
なので、縄文時代から母系ミトコンドリアDNAが複数あり東北とそれ以外で大きな差があるので、父系に
Y染色体O系統集団が多い現代人は混血が進んでいるから余計に差が出ることが予想される。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/sundaymorning10/16acindex.files/image053.gif >>254
>記紀を書いた渡来人
これがおかしいのだがな。記述者に帰化人がいるという例の学説の話なのか? いわゆる越の国に渡来人(越人)が来て
元からいた縄文人は東西に押し出されてしまったのでは 逃亡江南人は黒潮片道航路だから、縄文人に文化を伝えて同化したんだろう
後発の半島経由は往来が可能だから、半島南部から畿内までを領域にしたヤマト王権の原型になる そもそも古代から平安時代まで帰化人がどういう扱いを受けてたのか知ってたら渡来人支配者説とか思いつきもしないはずだけどな
基礎的な知識もない人がトンチキな陰謀論みたいなもんを安易に信じてるとよくわかるな >>272
「コシ」という地名が先にあって、それに「高志」とか当てて更に「越」になっただけだから。 >>268 弥生時代の定義が水稲稲作が基準になってるから、古い遺構が見つかるたびに
弥生時代の始まりが古いほうにずれていくのが日本の学界なんだよなあw
困ったもんだ。 農耕は稲作だけじゃないのに、そちらを軽視する傾向が有るんだよな。
日本の学界って。 >>276
江南からの渡来人が増えて人口爆発したのが弥生時代の始まりなのにねw
稲作は中国でも「南方」だから
日本人のルーツは南方系大陸人説が有力
「北方」の中原以北の漢民族等は麦で
日本に来たかもしれないが農耕技術が活かせなかったはず 下戸遺伝子。
本当の下戸なんて出逢ったことも無い。 >>278
稲作をするには灌漑技術が必要だから、中国から技術移転がないと無理だった
灌漑技術が乏しい縄文人は米ではなくてサトイモや栗を主食にしていたわけ よかった
日本人にはチョンの血は一滴たりとも流れていなかったんだね 縄文人は陸稲を作って食っていた。
弥生人が持ってきた重要なもの、水を大量に使う、米の大量生産のやり方だよ。 >>276
上の方で縄文農耕の話が出てるけど道具や畑の痕跡が無いからねぇ
その辺がはっきり出てくれば縄文の解釈も大きく変わるだろうね
弥生時代は既に紀元前800年くらいからになってるな
そうなると朝鮮半島とほとんど同時期に稲作が伝わったことになる
朝鮮半島のその前の原始的な農業を考えると余りに飛躍が過ぎるんでここも「外から技術が急に持ち込まれた」のが分かる
となるとこの時期に日本と半島に向けて同時に技術の拡散があったことになるな
前800となると周の衰退と春秋時代の始まりになる
乱世を避けて中国人が移動したとかその辺も関わってるのかもしれないな 絶対かなりの越人入って来てるよな
現地の人日本人と見分けつかないもんな 逆にいえば弥生系の容姿で酒につよいやつはチョンの可能性があるね
気を付けようっと 稲のDNAから渡来人は中国南部からの移動が多いって分かってたのに
相変わらず個人の願望で朝鮮人説を押す低脳がいて困るわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています