このスレタイには根本的な認識の間違いがある。
「隣組」には、お国のためという住民参加のはっきりとした
大義名分があり、自分たち末端の国民一人一人が国を護るのだ
という前向きの動機があるのである。国家を支えるたしかな
義務感がそこにある。これこそがいわゆる民主主義だ。
町内会、自治会にはそれがない。みんなが入ってるから、なんか
わからないけど、いやいやでも参加しておこうという消極的動機
しか感じらない。あきらかに村八分を恐れている。
そういう心理がこのスレタイの文言にも投影されているのである。
趣味や住民親睦の会なら堂々とそういってやればいいのだ。
戦前からそんなものはある。
町内会、自治会はGHQの占領政策によって、日本国民弱体化
政策の一環としてマッカーサ命令で作らされたものである。
そこには前向きの動機というものがない。カービン銃をもった
占領軍兵士が、ジープに乗って命令が実行されているかを地方ま
で視察に回った。戦後体制の産物ということを言っておきたい。