【歴史】禁門の変のあと、高杉晋作の斬首を長州藩が検討。岩国で文書発見
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180120-00050126-yom-ent
幕末の長州藩が1864年(元治元年)7月の禁門の変に敗れた後、奇兵隊の創設者・高杉晋作
(1839〜67年)の切腹や斬首を検討していたことを示す文書が、山口県岩国市の市立博物館
「岩国徴古館(ちょうこかん)」が所蔵する長州藩岩国支藩の藩政史料から見つかった。
禁門の変後、第1次長州征討軍参謀の西郷隆盛は、長州藩に急進派藩士の処分を求めた。
当時、同藩では幕府に恭順する保守派が藩政を掌握。岩国領主・吉川経幹(きっかわつねまさ)は
幕府との調停役を務めていた。
晋作に関する文書は2点あり、一つ目は長州藩家老・志道安房(しじあわ)が64年11月9日、
征討軍の前線基地があった広島に向かう途中、岩国領に立ち寄った際の「手控(てびかえ)」。
藩の処分案が記され、晋作は「高杉和助」の名で「切腹之部」にあった。二つ目は、晋作ら
急進派7人の名が書かれた「斬首状写(うつし)」。「姦吏(かんり)と徒党を結び、上を欺き、
下を惑わし、君恩を忘れ、度々亡命すること不義不忠の至り」と晋作の罪状を挙げ、
「斬首被仰付(おおせつけられ)候事(そうろうこと)」としている。 高杉とか見た目もやってる事も朝鮮テロリストそのまま >>170
生麦事件が闇討ちってwww
小学校から勉強しなおせよ馬鹿 >>205
高杉が海外行ってたから
松下村塾の門下生たちも続々と海外に行ったと思うんだよね
その後、各分野で欧米の知識を持ち帰って日本の近代の基礎となった
伊藤博文や井上馨達当時欧米で学んだ人たちはすごいよね
ほとんど外国語喋れないのに3ヶ月ぐらいの滞在でペラペラになって帰ってくる
努力したんだろうなぁ >>13
奇兵隊がなければ長州は禁門の変、馬関戦争、長州征討で終わってたでしょう >>13
晋作がいなかったら長州は幕府に恭順してたよ
だから維新もなかった そもそもこの人やった事考えたら死罪にならんかった方が不思議。 >>60
奇兵隊の気概と長州の巻き返しは頗る評価するけど、VS日本中は言い過ぎ。
幕府軍たってほぼアウトソーシングなんだよ?
そのアウトソーシングの旗手薩摩が寝返ったんだからどうにもならんだろ
西国の大名の体たらくは言うまでもなく >>219
朝鮮人は意気地なしだから
時代や世の中の仕組みを変える起爆剤みたいなことできないだろ
明治維新の狼煙を上げてたのは高杉晋作
朝鮮人なんて一生レイプされた〜とか言っとけば良いんだよ
女子供も守れなかったんだなww >>56
ただの反抗期だからこいつらは
ただその反抗期を生んだ歴史的背景というのは面白い >>141
バカにするけど、みんな最初は司馬遼太郎の本で興味を持つんだよ
そしていろんな作家の本を漁るようになる
そして一通りの知識を得たら、今度は司馬の批判をするようになる
彼を批判することでいっぱしの歴史通になった気分を味わうんだよw 吉田松陰って、やっぱり教科書に載せとかないと駄目だなw
歴史的な出来事の表層的な事象と登場人物だけ追っていても、
まったく歴史を理解したことにはならんぞ
事象が起きた精神的なバックボーンが判らず、
その時代の人材がどういう思想、行動範囲によって育って行って
結果的に、長州討幕派が勝利したかって理解できねえじゃん >>221
禁門の変には参加しなかった。
高杉らの尊攘派(正義派)の多くが京都に兵を進めたが尊攘派の頭の周布政之介が時期尚早だと止め、高杉もそれに賛同していた。
ただ、禁門の変の後に周布や高杉らは家老の椋梨藤太の保守恭順派(俗論派)から睨まれていたから斬首が検討されたんだろ。
斬首はしなくて、最後は正義派と俗論派の戦いで敗れた椋梨が斬首された。 下関市の東行庵の記念館と萩市の記念館とで展示品の保管などで争ってたけど、決着ついたの? 一つだけ言っておく。
「花神」の雅俊は背の高さからして違和感があったが、雰囲気はよかった。
しかし、顔は稲垣潤一の方が近い。 吉田松陰は数ある弟子たちの中で
久坂の才、高杉の識、佐世(前原)の誠を高く評価していた
久坂は突っ走って早く死に、高杉は自分の仕事をし終えて病没し
前原も新政府(特に木戸)のデタラメに怒って辞職し後に反乱死
こうして維新の果実は二流人物たちが食べることになった
更に江藤、木戸、西郷、大久保が死に板垣は辞して戻らず大隈も追われ
三流人物たる伊藤、山縣、松方が元老優遇の詔勅を受けることに >>234
高杉晋作はギリギリの戦いをやり長州を一本化して倒幕の礎を固めた功労者。
なのに、血を一滴も流さない坂本龍馬とかいう奴よりも下に見られるのが悔しいわな。 切腹斬首の命令がでても、高杉晋作なら藩政主流派にクーデターおっぱじたろ 龍馬が世に名前が出るきっかけになったのは土佐の新聞に連載された小説「漢血!千里の駒」で、これを書いた作家坂崎紫らんは坂本家近くに住み坂本家の人間と親交があったらしい。
この小説がベストセラーになり龍馬がまるで維新の立役者になったように祭り上げられた。
土佐も維新の功労藩だが、薩長土肥の中で一番蔑ろにされたからせめて小説で一矢報いた形にはなったw
昭和になり司馬遼太郎が竜馬が行くを書きモデルの龍馬が再びクローズアップされてヒーローになったが、歴史に残ることをやったという確かな証は殆どない。 >>148
山口県の無様なところは良くも悪くも現代日本の悪いところを凝縮している気がするぜ
県民は歴史に興味を持たずよそから捏造で叩かれても放置して
事なかれ主義の為政者が調べもせず謝罪をしたことが拍車をかけて
慰安婦問題がごとく会津との対立が深刻化したり
明治入った頃は周辺を圧倒していたのに
自分を差し置いて広島県や福岡県といった近隣を支援しつづけて
八幡製鉄所や大本営といった官立事業を誘致をしたのに全く感謝されず
経済面で完全に落ちぶれた様は中国や韓国へ技術支援して出し抜かれた様に似ている
日本もノーテンキなお人好し外交のままでは山口県のように衰退してしまうぞ >>238
親指の動脈斬られてるし第二次長州征伐にも高杉の援護しとるがな 坂本龍馬の資料って政府の機密文書の中に閉ざされてるんだろ? >>234
高杉は久坂が作った長州の尊王攘夷の機運に疑問をもってて
避けようとしてた感じがするな >>13
戦前は維新三傑が圧倒的人気だった
糞司馬や戦前否定の風潮で脇役の高杉や、まともな事蹟が皆無の足軽郷士坂本なんかがもちあげられるようになった >>247
三傑といっても桂(木戸)はそれほど汗流してない。
薩長同盟成立時の頭だったからに過ぎない。
それほど魅力ある人間とは思えない。
戦下手な乃木希典が明治天皇に殉じただけで持て囃されて児玉源太郎が歴史の脇役にされるようなもので、おかしな歴史の評価は多い。 高杉晋作が生きていたら、伊藤博文と山縣有朋なんて出る幕なかったよね(´・ω・`) 高杉や久坂は京都御所を襲撃して天皇を砲撃したわけで、
日本史上最悪の朝敵。
長州の反日テロリストを美化した時点から日本はおかしくなった。 榎本武揚を大河ドラマでやったら面白いのに。
イケメンだし人生の浮き沈みや功績文句なしでしょ。 長州藩の麒麟児高杉晋作も
肺結核が進み遂に立てなくなると
諸隊の隊長たちが集まって善後策を相談。
高杉晋作に後継者に誰を託すのかと一同雁首を並べて
問いただすと後は(村医者の)大村益次郎に頼めとの事。
大村の後は誰に頼めばいいのだろうと再度、
問いかけると山田市之允(山田顯義)が良かろうとのご神託。
山田は当時22歳。身長148aの小童。
山田の後は誰が宜しかろうといわれると
高杉晋作は「そんな先のことまで僕にわかるわけはなかろう」と
言ったという。
高杉晋作の目に狂いはなく、大村・山田の2トップは
戊辰戦争を終わらせたばかりでなく、
国民皆兵制度(徴兵令の前身)、日本軍隊誕生に向けて大車輪の活躍。
遂に日本軍隊を誕生させました。 狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html
時々は日本軍隊創立者の
大村益次郎と弟子の山田顯義の事を
思い出してあげてください。
私は日本最強の軍人は山田市之允だと思うけどな。
鳥羽伏見、北越、五稜郭、佐賀、西南戦争と
出ずっぱりで唯の一度も負けなかった。
スイスイと勝ったことが悪かったのかな。
今じゃぁ歴史の塵の中に埋もれちゃってる
山田が前線に出ると3か月かかる戦いも3日で終わっちゃう。
高杉晋作が遺言で後継者に推挙した
山田市之允は用兵の天才だ!!
なんでも鑑定団 愛のエメラルド >>254
日テレの年末時代劇スペシャル「五稜郭」で知ったが、大河で取り上げても面白いかもな。 元治元年(1864)甲子7月19日京都蛤御門の変で敗れた長州藩は
慶応三年(1,867年)丁卵十二月十一日、諸隊総指揮官山田市之允に率いられ
再び入京。京都の地に現れる。「防長勤王史談」に記載されている当時の模様を下に掲げる。
(前日の)長州兵の入京(毛利内匠の小部隊)は夜半に相成り、格別人目には触れざりしが、
十一日奇兵隊其の他の入京は白昼のことにて、四年来初めての入洛なれば、
市民至るところに於いて、
弾薬袋の一字三星の紋を見て、長州ぢゃ長州ぢゃと人皆仰天し、涙を垂れて拝むものあり、
こわ(怖)やのこわやのといふものもあり、諸藩邸の人々は一目見て、奥に走り込む模様、
随分一時震動の勢いにつき、二条城に於いては長軍対戦の用意致し候由、
後に相聞きたり・・・・・・・云々。
山田市之允入京し、京都御所を拝して、かつて蛤御門に敗戦した往時を
思い浮かべて涙潜然、すなわち賦して曰く。
三軍來踞承明門
要表真誠訴宿冤
鳳詔方降紫宸殿
壮夫揮涙拝天恩
読み下し
三軍來踞す承明門。
要を表して真誠宿冤を訴う。
鳳詔まさに降る紫宸殿。
壮夫涙を揮(ふる)って天恩を拝す。 日本軍隊を誕生させたのは高杉晋作が期待した
大村益次郎、山田顯義の2トップで間違いないんだが
アットイウマニ山縣有朋、西郷隆盛・従道兄弟、
大久保利通に(日本軍隊を)乗っ取られてしまいました。
でもね、日本軍隊を誕生させたことの証明書が東京九段坂の靖国神社に
残っています。大村益次郎の銅像がその証明書なのさ。時の内務卿
山田顯義が発起人になってこの銅像が完成しました。 日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 1
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/joke/1501510625/
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 2
https://tamae.5ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html >>258
山田の大河も面白そうだけどな。
まあ、先行きの楽しみにとっておけばいい。 高杉晋作って背がとても低いのをコンプレックスにしていて、
座った写真しか撮らせなかった人だろ(´・ω・`)
西郷、大久保、小五郎、龍馬みたいな巨人だらけの志士の中では、
やはり肩身が狭かったのかな? >>13
辞世の句が好きです
面白きこともなき世を面白く
住みなすものは心なりけり >>262
だな。
尊攘派(正義派)が不利な状況にも関わらず決起して保守恭順派(俗論派)を倒して長州を一本化したのは高杉。
その時、伊藤博文も命を惜しまずに参戦。
それがなければ以後の長州は維新の功労藩になれなかったわな。 >>144
安政の大獄で吉田松陰の首をハネてよかったな
明治まで生きていたら日本はイスラムみたいになっていただろw 激しい銃弾の飛び交う中、着流しを着て三味線を弾きながら歩いているんだこの人。 今の山口県には岩国城と萩城があったけど
それぞれ周防と長門だったのに何故か一国一城の令で岩国城は壊されたんだよな
だから岩国市民としては萩に少なからず恨みがあるのよ >>29
江戸後期の武士とか弱いでしょ
百姓の鍛え抜かれた根性と腕力
白兵戦でも素手でも百姓のほうがつええわ >>265
下の句は看取った尼が書き足したとかなんとか ただ長州の場合は他藩と比べても罪人に対しても、若い高杉みたいな連中に対してもかなり生ぬるい
ところがあるからな。薩摩は逆だな。高杉が薩摩に生まれていたら、間違いなく腹切らされて歴史に
名を残すこともなかったに違いない。 >>132
山口ー周防国、長門国
広島ー備後国、安芸国
島根ー出雲国、石見国
いずれも旧国境越えて合併してる自治体があるからなあ。 >>12
池田屋の変で幕末の志士が新撰組局長にかけた言葉は? >>7
まあテロの準備を全くしていなくても
支配者と相反する思想を持っていたらテロリスト認定されて処断された例はいくらでもあるからな
それは吉田松陰しかり幸徳秋水しかり >>273
看病に当たっていた野村望東尼(のむら もとに)が下の句を付けたとされてきたようだが、一説では死の数年前に高杉がすべて詠んだとも言われていて定かではないようだ。
辞世の句が合作というのもおかしいしな。
晩年に詠んだ歌でこの歌が一番彼に相応しいから辞世の歌にされたのかも。
面白くもない世を面白く生きたんだろな。 >>271
あれは毛利輝元のせいだからな。
長府藩に城がなくて岩国領に城があると色々まずかったらしいが。 当時は火付け盗賊集団の頭領みたいな感じだったんだろうな
おかしな歴史観を日本人に植え付けた連中が英雄のようなイメージを作ったけど >>283
だから高杉は参加してないよ。
あんたは知らないで書いてんだろ。 高杉は身分が高かったからな。
責任を取って当然の立場。 >>281
チョンは長州の得意技だもの
もっとも岩国は長州じゃないがな 椋梨藤太率いる保守恭順派にとっては尊攘・急進の連中は目の上のたんこぶだからだろ。
幕府から急進派の連中の首を差し出せといわれたからおたずぬ者扱いにした。
だが、やがて高杉は功山寺で決起し形成を逆転させて保守恭順派を駆逐、藩の実権を掌握した。 高すぎは下関の人だと思ってたよ。さっさと殺されれば日本はもっと良くなってた。 で、こいつは具体的に何をした?
中央集権やら悪政してただけやろ
色々と美化されてて違和感 >>93
井上って、元就の代で粛清されてた家老格だっけ? 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するものなし。」
伊藤博文がこう高評価してたが、破天荒すぎな人物にしか思えん >>233
そうだよね
事情というものを説明する意識が抜けてるんだよね往往にしてさ
事情=WHY だから 一番重要なのに >>296
高杉の足跡を知らないからだろ。
歴史小説を少し読んだぐらいじゃ、龍馬は偉大な維新の功労者とかいう人になっちゃうよ。 蛤御門の変質者
これ分かる人は30年前京都周辺に在住していた人 高杉と伊藤らが決起しなかったなら後の薩長同盟はなかったんだから、高杉の功績は大きいだろ。
維新を前に亡くなったから新政府での活躍はなかったが、生きていたら西郷らは長生きしていたかもな。 20年位前に萩に行ったときにたまたま、「晋作のいとこの孫」っていう婆ちゃんに出会った。
ムチャクチャやったんで家は大変だったそうな。
ただ、それに見合う事を成し遂げてくれたんでムチャクチャ尊敬してるそうな。 >>302
萩なんて、吉田松陰に先生付けて呼ばないだけで発狂する土人だからこんなのでも尊敬するんだろう >>303
安倍晋三は父晋太郎(元外務大臣)の一字もらったんだろ。
父晋太郎はその父(元山口県議)から名付けられた。
おそらくは高杉晋作の一字をもらった。 >>306
事実としてそれが原因で安倍晋三は武田鉄矢を恫喝し
芸能界から消そうとした 命を狙われた高杉は九州、現在の福岡市中央区平尾の野村望東尼の家に隠れ住んでいた
伊藤博文は別府のヤクザの親分に匿われていたと記憶しているが。 >>295
一族30数人皆殺し。ただし井上一族にもいろんな人がいて、一人だけ元就に対する忠誠心があつい
奴がいたから、そいつだけ殺されなかった。その末裔が元勲井上馨で長州の中でも一番たちが悪くて
国の財布と自分の財布の区別がつかなかないほど悪いやつ。まあたった一人生かしておいただけでも最後
はそうなってしまうわけだから。元就の判断はやはり賢明だったのかも… 奇兵隊作ったのはイギリスで傀儡
高杉晋作は利用されただけのマヌケ クーデター組織作りたかったのはイギリスで
イギリスの下僕が晋作だろ
バカ過ぎ 逆賊であり逆臣でもある天下の大悪人が高杉
こんなのを持て囃すのはまさに勝てば官軍 奇兵隊の兵器はイギリス製で反英の組織なら売ってないだろ >>255
晋作が一番頼りにしてたのは山形狂助じゃないの?
晋作自身が、自分と山形は切り離せない関係だって歌に詠んでいた気が?
まあ山形に限らず晋作とつるんだ伊藤や聞多が明治の元勲になるわけだから、
晋作が美化されるのは仕方ない 西国大名をダマすために偉大な人物像を
作ったのもイギリス東イン会社だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています