長州藩の麒麟児高杉晋作も
肺結核が進み遂に立てなくなると
諸隊の隊長たちが集まって善後策を相談。

高杉晋作に後継者に誰を託すのかと一同雁首を並べて
問いただすと後は(村医者の)大村益次郎に頼めとの事。
大村の後は誰に頼めばいいのだろうと再度、
問いかけると山田市之允(山田顯義)が良かろうとのご神託。
山田は当時22歳。身長148aの小童。

山田の後は誰が宜しかろうといわれると
高杉晋作は「そんな先のことまで僕にわかるわけはなかろう」と
言ったという。

高杉晋作の目に狂いはなく、大村・山田の2トップは
戊辰戦争を終わらせたばかりでなく、
国民皆兵制度(徴兵令の前身)、日本軍隊誕生に向けて大車輪の活躍。
遂に日本軍隊を誕生させました。