>>217
それは違う
関東大震災時には流言飛語だけでなく行政機関が発信した誤った情報を元に一般民衆が自警団を組織して凶行が起きた
震災を悪用したケースを除けば特別な人間だけが凶行に走ったわけではない


【1923年9月1日の関東大震災直後に起きた虐殺・殺害事件(一部のみ抜粋)】

★亀戸事件(1923年9月2日〜5日)…東京都江東区亀戸(東京府南葛飾郡亀戸町)の亀戸署内や荒川放水路等で、陸軍の習志野騎兵第13連隊によって、
10名の社会主義者が殺害された事件や、亀戸で数十人の朝鮮人、中国人、日本人が、住民や軍隊によって虐殺された事件などの総称。
(京成押上線荒川橋梁の90m下流にあった旧四ツ木橋付近で、朝鮮人100名前後が虐殺されたと推定される事件と共に語られることが多い。)

★千歳村烏山事件(1923年9月2日)…東京都世田谷区南烏山(東京府北多摩郡千歳村)の烏山川の橋上で、朝鮮人労働者20名前後が乗るトラックが、
東京都府中市(東京府北多摩郡府中町)からの東行中に立ち往生したところを、千歳村自警団に襲撃され、35歳の朝鮮人(洪其白)が死亡した事件。

★大島町事件(1923年9月3日)…東京都江東区大島(東京府南葛飾郡大島町)で、陸軍の第1師団野戦重砲兵第1連隊第2中隊、
近衛師団騎兵第1旅団騎兵第14連隊、警官、住民などによって、浙江省温州からの中国人労働者が数百名も虐殺された事件。
1923年12月7日には北京政府(直隷派政権)から王正廷調査団が来日し、1924年1月31日には王希天事件などと併せた調査報告書が出された。

★片柳事件(1923年9月4日)…埼玉県さいたま市見沼区染谷(片柳村)で、自警団が日本刀や槍で、24歳の朝鮮人(姜大興)を虐殺した事件。

★神保原事件(1923年9月4日)…埼玉県児玉郡上里町(神保原村)で、千名の地元民が、粗朶や竹や小刀などで朝鮮人42名を虐殺した事件。

★本庄事件(1923年9月4日)…埼玉県本庄市(児玉郡本庄町)で、自警団や住民三千〜四千人が暴徒化し、日本刀、長槍、仕込杖、木刀、金熊手等で、
本庄警察署(今の本庄市立歴史民俗資料館)で朝鮮人86名、付近で朝鮮人15名前後が虐殺され、陸軍第9師団歩兵第7連隊などに鎮圧された事件。

★熊谷事件(1923年9月4日)…埼玉県熊谷市(大里郡熊谷町)で、自警団などが日本刀、手斧などで、埼玉県熊谷市久下の久下神社周辺で6〜8名、
熊谷市曙町の熊谷駅東側すぐの踏切付近で20〜30名、熊谷寺や熊谷市本町にあった熊谷警察署前などで数十名、計70〜80名の朝鮮人を虐殺した事件。

★妻沼町事件(1923年9月5日)…埼玉県熊谷市(妻沼町)で、秋田県横手市(田根森村)出身者が、朝鮮人と誤認されて殺害された事件。

★検見川事件(1923年9月5日)…千葉県千葉市花見川区(千葉郡検見川町)の京成電鉄検見川駅前の巡査駐在所で、検見川町の自警団ら数百名が、
沖縄県出身者、三重県出身者、秋田県出身者の計3名を針金で緊縛した上で虐殺し、3名の御遺体を花見川に投げ込んだ事件。

★藤岡事件(1923年9月5日〜6日)…群馬県藤岡市(多野郡藤岡町)の藤岡警察署留置場で保護中の新町の砂利会社等の朝鮮人労働者14名を、5日夜、
藤岡町自警団や住民らが日本刀、棍棒、鉄砲、竹槍などで虐殺し、6日夜、日野村自警団が署に連行した朝鮮人3名も藤岡町自警団が殺害した事件。
これら合計17名の朝鮮人殺害に関して、同年9月19日から容疑者が検挙され、同年11月14日、前橋地裁で35名が懲役刑などの有罪判決を受けた。

★寄居事件(1923年9月6日)…埼玉県寄居町の寄居分署で、寄居町用土(用土村)の消防団ら百名が、28歳の飴売りの朝鮮人(具学永)を虐殺した事件。

★福田村事件(1923年9月6日)…千葉県野田市三ツ堀(東葛飾郡福田村)の利根川河川敷で、千葉県野田市と柏市の自警団200名が、
香川県の行商団15名を虐殺・暴行し、幼児3名や妊婦1名を含む計9名(10名)の御遺体を利根川に投げ込んだ事件。

★王希天殺害事件(1923年9月12日)…東京都江東区(東京府南葛飾郡)の旧中川(中川)に架かる逆井橋で、陸軍の第1師団野戦重砲兵第3旅団、
第1師団野戦重砲兵第1連隊が関与し、中国人留学生で僑日共済会の会長だった王希天を、陸軍中尉が斬殺、御遺体を旧中川(中川)に投げ込んだ事件。

★甘粕事件(1923年9月16日)…東京都千代田区丸の内1丁目(東京府麹町区)の東京憲兵隊本部に、アナキストの大杉栄、内縁の妻の伊藤野枝、
息子と誤認された甥の橘宗一(満6歳)の計3名が連行され、甘粕正彦憲兵大尉らによって暴行後に絞殺され、本部裏の古井戸に遺棄された事件。