【大阪】大阪の中3女子と千葉の男性、山中で練炭自殺か
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大阪府千早赤阪村の金剛山で23日午後、林道に停車した乗用車内で若い男女が死亡しているのが見つかり、大阪府警富田林署は24日、うち1人について、大阪市此花区の中学3年の女子生徒(15)と発表した。 もう1人は運転免許証から千葉市の20歳代の男性とみられる。車内で練炭を燃やした跡があり、司法解剖の結果、死因はいずれも一酸化炭素中毒。同署は2人で自殺を図った可能性があるとみて接点などを調べる。発表によると、運転席に男性、助手席に女子生徒がいた。遺書は見つかっていない。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00050007-yom-soci >>1 死にたいなんて口にも出しちゃいけない例だなw まぁ、自然淘汰だから仕方無いww これは親からしたらつらいな。 中学生ひとりじゃこんな死に方出来なかったろうに。 アベチョンノミクス効果wwwwww 晋三万歳万歳万歳 >>4 朝鮮半島にある山と一緒にすんな 帝国海軍の戦艦金剛はこの山から取った名前だぞ、それに今の海上自衛隊イージス艦こんごう もこの山の名前 ある程度経緯を書いてやらんと残された人のモヤモヤが消えないからな 次回からは気をつけるように >>10 おそらくそうだろうな。ハイパーでぶすの可能性大。 死体を市中でさらしものにしろ 腐った生卵も前においとけ >>5 そりゃ若い世代には 自殺以外に死因なんてほぼないから 当たり前 >>14 お先真っ暗なので一足先にさいなら!しっかり税金払えよ! (・∀・)ニヤニヤ >>1 二人の恋は清かった〜 神様だけがご存じよ〜♪ 百億つんでもいずれ死ぬのにもったいないことするなよ つらかったろうけど、その歳までよく生きてくれた。ありがとう。 >>26 って事は「ハゲふたりづれのカツラがずれる」でOK? 鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ (2015年時点) ド ト ー ル グループ エ ク セ ル シ オ ー ル カ フ ェ 、星 乃 珈琲 赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を もみ消しにかかってる cvhっj >>32 事件性がある 行政の指示 遺族の希望 このどれかに該当しない限り解剖しないんだって >>31 んで 妊娠してた事発覚して 被疑者死亡のまま書類のみ検察送致 自殺した奴は、腐乱死体になるまで晒し者にすれば 少しは減るだろ いかにセックスやってても死んじまうのはうらやましくない。 >>1 ここって、ライブカメラのあるところじゃないか? 最後に二人で写ってるかもな。 こういうとき女性の体内に男性の体液が残ってないかとか、 性交の有無は調べないのだろうか。 >>46 好きな女とやったまま死ねるなんて いい死に方ジャマイカ 俺はそれが出来ずに息絶えたから それだけが心残り >>51 こんなとこに居ないでアチコチ覗いてこいよ 金剛山って昨年だかにNHKの24hでやってたライブカメラあるあの山か 10年前のお前ら「きちょまんが…」 10年後のお前ら「きちょ若が二人も…」 なにこれ? 同行者募集とかにヴァ関西のガキが参加したってことか? これマジで止めとけよ。 ガキとだと、犯罪者にされるぞ。 つーかこいつ本当に千葉か?? こんな土地勘のない聞いたことない山なんかイカないだろうに 大阪と千葉の特徴はすぐキレる民族ってことか(笑) ただ観光地としては大阪の方が上だし千葉は影薄い存在 東京コンプも含めて爆笑 今も堂々と「東京」を名乗っている施設。 東京ディズニーランド ららぽーとTOKYO-BAY 東京ドイツ村 東京歯科大学 東京ベイシティ交通 伊藤ハム東京工場 かつて「東京」を名乗っていた施設。 新東京国際空港→2004年4月1日、成田国際空港に改称 東京パン屋ストリート←閉店 ハードロックカフェ成田東京店←閉店 >>23 大卒公務員 妻は専業主婦 年304万円の年金 国民年金 年77万円の年金 公務員から集めたお金で公務員の年金は払えない いろんな年金をまぜまぜして集めたお金で公務員に年304万円をあげてる 今でも年金制度は破綻、将来的に年金制度は廃止されるか消費税を大増税して国民からお金を奪い公務員の老後の保障(年304万円)を貢ぐようになる >>1 これは未成年者誘拐罪が引き起こした悲劇では? >>1 なぜ児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者は恣意的な定義や思い込みを繰り返し、言葉遊びに興じる事を選ぶのだろうか? 彼らの話を聞いていると、彼らの主張の根底には現実世界の全てを自らの精神が作り出した空虚な観念、 幻想と解釈し、どのような法や概念も自分で作り出し変化させる事が出来るに違いないなどと言う 虚無主義的な考えが有る事がわかる。 児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者はこのような物自体の本質を否定する虚無主義的な態度を根底に持っているので、 同意の上の性行為は搾取や暴力であり、同意の上で家に泊める事は誘拐である、そして暴力的な奴隷化は保護であり、 暴力により子供達の自由や権利を奪う事により彼らを保護しているなどと物事の本質的な意味と正反対の意味を 概念に貼り付ける事により言葉遊びに興じる。 彼らは初潮を迎え性的に成熟した子供と性的関係を持つ男性に何か悪い所が有るかのように批判しているけれど、 本当は物事の正当化など無意味であり、あらゆる概念や法は我々自身が作りだした空虚な観念に過ぎないのだから どのように振る舞おうと何も悪い所はないと考えているのである。 彼らは恣意的な定義により子供達と同意の上の性的関係を持つ男性を悪人として非難する。 他方で自らの主張の恣意性を批判されると虚無主義的な主張を持ち出して議論から逃亡する。 このような矛盾した態度が児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者達の特徴である。 他方でリバタリアンを始め、児童ポルノ法や未成年者誘拐罪に反対する人々はプラトン、アリストテレス以来の西洋合理主義の伝統、 自然法哲学の伝統に沿っている。これらの伝統においては、あらゆる物には一定の本質的な意味内容が最初から含意されている。 リバタリアン哲学、西洋合理主義哲学、自然法哲学において、法や権利、自由や正義と言った概念は単に人が作り出した空虚な観念ではない。 それらは人間本性に最初から含意されており、理性によって発見される事が出来る客観的真実である。qてうぇ >>1 人間の権利の概念は全ての人間は同一の権利を享受すると言う事を含意している。 しかしもし親が子供を支配し奴隷化する権利を持つならば、その時は全ての人間は同一の権利を享受する事は出来ない。 従って、親の監護権などと言うものは人間の権利として存在する事は出来ない。 児ポ法・未成年者誘拐罪等の支持者は子供達は知識や経験、判断力が不足しており、 それ故に、自己決定能力を持たないので、人間ではなく、人間の権利を享受しないと主張する事によって この明白な概念的矛盾を逃れようとする。 しかしながら、この主張は人が自由意思を持つと言う本源的事実と両立しない。 人の行動及び意思決定は彼自身の個性に基づいており、その他のいかなる外部の原因によっても決定される事は無い。 何を基準に不足或いは十分と判断するのかについての線引きの恣意性と主観性の問題を脇に置いて、 知識や経験、判断力の不足などを所与としても、それらの要素が子供達の行動にどのような影響を与えるかは それぞれの子供の個性に依存している。それらの要素は決して子供達の意思や行動を決定しない。 それ故に彼の知識や経験、判断力がどうであれ、子供達は自己決定の能力を持つ。 人は自由意思とその他の人から多かれ少なかれ異なる個性を持つので、ある子供の行動と意思決定は必ず彼自身に帰属する。 その反対、子供達の意思や精神の作用が外部の原因によって一様に決定されていると見る事は人の個性を無視した歪んだ決定論の導入である。 児童ポルノ法・未成年者誘拐罪等の支持者達の誤りは全ての人間が外部の刺激に対して 同一の反応を返す均一的で無個性なロボットの様に扱われている事である。 このような仮定を真実として前提とした時だけ、子供達の意思は外部の原因に決定され、彼等の幸福と利益は客観的に測定され比較され、 決定される事が出来る。その時だけ、ある人の幸福や利益は主観的な評価ではなく科学的な事実の問題になる。 しかし明らかにこれは事実ではない。現実の子供達はロボットの様に均一的な存在ではない。 彼等は多かれ少なかれ異なる個性を持つ。そしてそれ故に彼らの意思は外部の原因により決定される事は出来ない、 彼ら自身以外の誰も彼らの幸福や利益について直接的に知る事も感じる事も出来ない。 そして将来の何らかの時点において、ある子供の性的な行為に関する考えが変化するかどうか、 もし変化するとしてもどのように変化するかは全く分からない以上、 性的な行為に従事した子供達が将来、子供の頃の性的体験を誤りであったと考えるとは限らない。 ある子供は10代のうちに年上の男性と性的関係を持って家庭に入り子供を作った方がそうでない場合よりも 幸福な人生を送れたかも知れないしポルノ女優や娼婦の才能があってポルノに出演したり売春でもしていた方が そうでないより幸福だったかもしれない。 従って、子供と性行為に従事する男性が子供達の知識や経験、判断能力の未熟さに付け込んでいる等と言う 児ポ法カルトの主張は全く誤った思い込みに過ぎない。 また児童ポルノ法・未成年者誘拐罪等の支持者達はしばしば、性産業で働く子供達は教育を受ける機会を奪われている等と主張する。 しかし子供達の個性と関心、適性を無視した画一的な教育を全ての子どもに押し付ける学校教育は 自由意思を持つ個性的な人間を教育する為に適切ではない。それは均一的な品質の家畜を飼育する方法である。 自由意思を持つ人間に適した真に有益な本物の教育は学校の外側の現実社会において彼ら自身の個性や関心、好みに沿って 自由に生き、働き、学び、遊び、愛し合う事により受け取る事が出来る。 かくして、リバタリアンの人権理論はいかなる例外も認めずに文字通りに全ての人間に等しい権利を認める。 そしてそれ故に唯一の本物の正しい「人権」理論なのである。 リヴァイアサン中央集権国家が存在しない自然的社会、家族的社会、リバタリアン社会においては 親達は子供達が彼らの家や土地に留まる事を望む限りで、彼らの家の所有者として 子供達に彼らの家の利用ルールを定める権利を持つ事が出来るに過ぎない。 物理的に親の家から離れる事が困難な幼少期を脱した子供達は彼自身の所有者として 彼らの親の家から立ち去り、売春等をして働き一人で生きていくか、別の大人の所に逃げ出す権利を持つ。 そうする事を暴力的に妨害する事は子供達に対する本物の人権侵害であり、恐るべき虐待と搾取である。 qqqqq >>1 リバタリアンの主張は伝統的な自然法哲学に沿ったものであり、 世界的に著名な自然法哲学者や経済学者の主張を準用した 人間本性から理性により論理必然的に導き出される結論に過ぎない。 そこに目新しいものは何もありはしない。 全ての人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、彼自身の身体や財産を支配する為の 等しい権利を持つ。誰もその他の人間の身体や財産を支配する権利を持たない。 それが父親かどうかに関わらず、男性と少女達の自由意思に基づく同意の上の性的関係を暴力により妨害する事は 男性や少女の彼ら自身の身体や財産を支配する事への自然的な権利を侵害する。 それ故に児童ポルノ法や未成年者誘拐罪、監護者性交罪、淫行条例等は自然の法に反し、無効である。 そしてそれらを執行する警察や司法、及びそれを支持している立法者は その他の人間の天賦にして不可侵の自然的な権利を侵害する犯罪を犯している。 リバタリアンの主張はなにも新しい所は存在しない。それは完全に伝統的な自然法哲学に沿った結論だ。 そしてそれはいかなる例外もなしに全ての人間に等しい権利を認めていると言う点で論理的に一貫している。 他方で児ポ法カルトの後ろにはどんな伝統的な支持基盤も存在しない。 そこにあるのは恣意的な価値判断と男性の正常で自然的な性的欲求や性行為を悪しきものと見なす 病的な思い込み以外の何もない。 ewerreip >>1 浅はかな詭弁でリバタリアンを言い負かそうとするも本物の人権理論に沿って話す リバタリアンに論破されるヒューマンライツ・ナウ工作員への反駁 児ポ法カルト:子供の同意は本当の意味の同意ではない。実質的な強制だ! リバタリアン:子供自身の同意以外に本当の意味の同意等と言うものは存在しない。 お前達は子供自身の意思を無視して自分の願望を押し付けたいだけにすぎない。 児ポ法カルト: 児ポ法カルト:子供は同意する能力がない。未成年には自己責任を負わせるだけの能力が完成してない! リバタリアン:実際には子供にも同意能力や責任能力はある。 人間はみな不完全な判断能力しか持たず大人もまた子供と同様に過ちを犯す存在である。 完全な判断能力を持った無謬の人間など存在しない。 「不完全である事は子供達の同意や責任を否定する理由にはならない。」 反対に、全ての人間は過ちを犯す不完全な存在であると言う事実は なぜ子供達が彼ら自身の選択した方法で生きる事を許されるべきかの理由である。 児ポ法カルト:子供は性行為の意味を理解していない!理解していない行為への同意は無効だ! リバタリアン:言葉を覚え意思疎通を行える子供が性行為の意味を理解する事が出来ないと考える理由は存在しない。 ある子供が行われる行為の具体的な内容について説明を受けた上で同意の言葉を述べているなら、 その時はその子供は性行為の意味について理解した上で同意している。 児ポ法カルト: またもやリバタリアンの完封勝利っっっq >>1 俺が児ポ法/未成年者誘拐罪関連のスレで連中と何度もやりあって分かった事は、 児童ポルノ法/未成年者誘拐罪等の支持者の主張が黒人奴隷制の支持者やナチスのユダヤ人迫害の支持者の主張と 極めて類似していると言う事だ。 児童ポルノ法/未成年者誘拐罪等の支持者は自分達の暴力行為や詐欺行為を正当化する為に、 自分達の身勝手な思い込みに従わない他人を判断力が未熟であるとかキチガイ、精神障害等と決めつける事で だから劣ったその他の人間の自由と権利を尊重する必要は無いと言う結論を導き出す。 そして同意の上の性的関係を強姦や性被害などと言い張り、事実を捻じ曲げ嘘を平気で述べる。 そして無知で論理的思考が出来ない馬鹿な人間は、他の人間を奴隷化して搾取したいだけの詐欺師の詭弁に簡単に騙されてしまうんだね。 児童ポルノ法、児童福祉法、健全育成条例、未成年者誘拐罪、及びその他の同種の法律は現代で最も深刻かつ重大な人権侵害である。 それは子供達の自由意思と自己所有の権利を完全に否定する。それは子供達の人生を暴力によって奪い、多くの子供達を死に追いやり苦しめている。 それは子供達の人間性その物を否定し、奴隷や家畜の身分に落とすので、黒人奴隷制やナチスのホロコーストに匹敵する、 あらゆる人権侵害の中で最悪の水準の奴隷制である。 自由と正義を愛する全ての人間はこの新たな形式の邪悪な奴隷制に徹底的に抵抗しなければならない。 リバタリアン運動を支援し、不道徳で不正な子供奴隷制を打ち倒そう! nnnnn >>1 児童ポルノ法/未成年者誘拐罪等の支持者は彼ら自身の主張に責任を持つべきではないだろうか? つまり、彼らが保護と称する暴力的な干渉の結果として、多くの子供達が虐待から逃げられずに殺されたり 予測不可能な事故や災害等で死亡したり学校のいじめや親の奴隷状態を苦に自殺している事に対して 責任を取って自害するべきではないだろうか?なぜ彼らは責任を取らないのか? ある人が彼自身で選択した結果は彼自身に責任がある。 しかしその他の人間に暴力的に強制された結果は強制した人間に責任があるのではありませんか? 子供達は児童ポルノ法や未成年者誘拐罪等の干渉主義政策によって選択の自由を暴力的に奪われ、 その結果として、多くの子供達が彼の人生を強制的に歪められ、死に追いやられ、或いは一生に渡り苦しんでいる。 従って、子供達の死と苦痛の責任は全て児童ポルノ法・未成年者誘拐罪等の支持者にある。 児童ポルノ法や未成年者誘拐罪等の制定、執行等に加担した全ての人間は 数えきれないほどの子供達に対する大量殺人、暴行、誘拐、監禁を共謀した罪、 及び人道に対する罪で罰せられなければならない。 しばしば警察やヒューマンライツ・ナウ等の犯罪者は子供は責任を負う能力がないので自由への権利を持たないと主張する。 しかしながら、それを述べている警察やヒューマンライツ・ナウ等の犯罪者達自身は 「彼ら自身が保護と称する暴力的な干渉の結果に責任を取った事はない。」 少年少女諸君、【保護者を装う無責任な詐欺師】に騙されて自分の人生を他人任せにして 後悔することがないように気をつけよう。 >>1 子供達は人間である、そして人間としての全ての権利を持つ。 我々は政府に子供を補導して保護したり、児童労働を禁止したり、義務教育を負わせる事などによって、 子供達が彼ら自身の選択に従って働いたり学んだりする自由を侵害する権限を授ける全ての法律に反対する。 我々があらゆるその他の人工的に定義された人間の下位分類に向けられた政府の差別に反対する様に、 我々は全ての法的に作り出されるか是認される子供達の差別や優遇に反対する。 我々はまた夜間外出、喫煙、飲酒、その他の成人なら犯罪と考えられない子供の行為を禁止する全ての法律の廃止を支持する。 我々は更に少年法や少年裁判所制度を廃止し、子供達に彼らの犯罪の完全な責任を負わせる事を支持する。 合衆国リバタリアン党、1990 National Platform of the Libertarian Party. 合衆国リバタリアン党は全ての人間の平等な自己所有権を根本原理として奉じるアメリカで三番目の規模を持つ政党である。 自発的に性的な行為に参加する子供達は、例えそれが私達にとって個人的に不快であるとしても、そうする権利を持ちます。 若干の子供達は若干の大人達が喫煙や飲酒し過ぎるのと同じように、お粗末な選択を行うでしょう。このような事は人生の一部です。 私達が児童ポルノを違法化する時、子供出演者に支払われる価格は上昇し、親達が子供達の意に反して彼らを使用する為の誘因は増加します。 メアリー・ルワート、Libertarian Short Answers to the Tough Questions. メアリー・ルワートは合衆国リバタリアン党の政治家、倫理学者、博士研究員である。 彼女は長年に渡って合衆国リバタリアン党の全米代表委員会のメンバーであった。 一体なぜ子供達は彼ら自身の性的選択を決定する権利を認められるべきではないのだろうか? 客観的に言って、一体なぜ性的選択は彼ら自身の家族の一員との関係を含めるべきではないのだろうか? 合理的に言えば、一体なぜ彼らが選択したいと思うや否や子供達は自由意思に基づく 取引から得られる人生の果実の全てを享受すべきではないのだろうか? 全ての人が子供の性行為や近親相姦から不快感を被ると考える合理的な理由は存在しない。 リチャード・スローマン、Children’s Rights and Incest Decriminalization. リチャード・スローマンは合衆国リバタリアン党の政治家、作家である。 彼は合衆国リバタリアン党廃止主義者幹部会の議長であり、指導的なリバタリアン活動家の一人である。nnnmerew 死ななあかんほどの事があるのか? 大人が子供道連れはいかんやろ >>1 本当に遺書がなかったんだろうか。警察のゴミ共が自分たちを非難する内容の遺書を隠匿してるだけではないか? 状況的に言って明らかに未成年者誘拐罪や淫行条例により 引き離される事を恐れた若い男女の心中以外の何者でもないだろう。 >>1 児ポ法/未成年者誘拐罪支持者などによる子供の利益の主張を完全論駁する際に役立つ引用: 支払われた価格(引き受けられた費用)の価値と達成された目標の価値との差を利益と呼ぶ。この根源的な意味において、利益は純粋に主観的である。 それは行動する人間の幸福の増加である、それは測定される事も計量される事も出来ない心理的現象である。 感じられる不安の除去には程度が存在するが、ある満足がどのぐらい別の満足を上回っているのかは感じられる事しか出来ない、 それは客観的な方法で確定される事も決定される事も出来ない。価値判断は測定をしない、それは程度の尺度で並べ、順位付ける。 それは選好の序列と順序を表しているが、測定と計量を表さない。それには序数しか用いる事は出来ず、基数は使えない。 いかなる価値の計算について話す事も無駄である。計算は基数においてだけ可能である。二つの状態の価値評価の間の差は完全に心理的で個人的である。 それは外部世界へ投影出来ない。それは個人により感じられる事しか出来ない。それはその他の人に伝えたり、教えたりする事は出来ない。 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、Human Action. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 誰が本物の搾取者なのか?: 強制的な干渉は強制される個人または集団が干渉者によって強制されている事を自発的に行う事はないと言う事を意味する。 ある事を述べる様に、または述べない様に強制される人、または干渉者や第三者と交換する様に、或いはしない様に強制される人は 暴力の脅迫によって彼の行為を変えさせられたのである。それ故に強制される人は干渉の結果として常に効用を減少させられる。... 経済科学の発展以前、人々は交換と市場を他方の犠牲で一方が利益を得る物と考える傾向があった。...経済学はこれが誤りであると示した。 なぜなら市場では交換する両方の当事者が利益を得るからである。それ故に、「市場では搾取等という物は有り得ない」。 しかし利益の固有の対立の命題は暴力を行使する国家やその他の何者かが市場に干渉する時は常に真実である。 なぜならその時、「干渉者は効用を失う被干渉者の犠牲で利益を得る」からである。 マレー・ロスバード、Man,Economy,and State. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 児童ポルノ法は何を引き起こすのか?: 児童労働禁止法は労働力の供給を制限する事により、経済の生産を低下させ、これ故に社会の全ての人の生活水準を低下させる事に繋がる。... 総人口は減少しないが労働人口は減少する。 労働人口が減少する一方で消費者人口は減少しないままなので、一般的な生活水準は低下する。 児童労働禁止法は率直な禁止やある子供が雇われる事が出来る前に”就労許可証”や様々なお役所仕事を要求する形式を取るかもしれない、 そして後者は部分的に前者と同様の効果を引き起こす。児童労働禁止法はまた義務教育法により強化される。 ある子供が一定の年齢まで公立学校や国家に認可された学校に通学する様に強要する事は彼の雇用を禁止し、 成人労働者を子供との競争から保護するのと同じ効果を持つ。 しかしながら、義務教育は彼や彼の両親がその他の方法を好む時に学校教育を受け入れる様に強要し、これ故に これらの子供達に更なる効用の損失を押し付ける。 マレー・ロスバード、Power and Market: Government and the Economy. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 hjtrueyeryer >>1 ある人は彼自身にとって極めて重要な問題に関して、そしてその他の誰も彼の様に利益を持たないか、 持つ事が出来ない事に関して誰かの言葉を受け入れるか、誰かの権威に屈する義務はない。 もし彼がそうするとしても、彼はその他の人々の意見は同意出来ないとわかるので、 その他の人々の意見に安全に依拠する事は出来ない。 ...有徳や悪徳の問題は殆どの場合に何らかの単独の行為それ自体の本質的な特徴の問題ではなく、 程度の、つまり、ある行動が行われるべき範囲の問題である。 有徳と悪徳の問題はそれ故に、地球に住む様々な個人の精神、身体、状況の多様さと同じぐらい様々で、 それどころか無限である。そして長年の経験はこれらの問題の無数を未解決のままにしている。 それどころか、それらのいずれも解決していると言われる事は殆ど出来ない。 この意見の無限の多様性の最中に、どんな人や集団が何らかの特定の行動や行動の過程に関して、 "我々はこの実験を試みて、それに関わる全ての問題を決定している、 我々は我々自身の為だけではなく全ての人々の為にそれを決定している、 そして、我々より弱い全ての人々に対して、我々は我々の結論に従って行為する様に彼らを強制するだろう、 我々は誰かによる更なる実験や調査を、その結果、誰かによる更なる知識の獲得を被らない"と言う権利を持つのだろうか? 誰がこれを言う権利を持つ人々なのか?確実にそのような人々は存在しない。 このような事を本当に述べる人々は恥知らずな詐欺師と圧制者のいずれかである、 その人達は知識の進歩を止め、そして彼らの同胞の精神と身体に対する絶対的な支配を奪う、 そして、それ故に直ちに最後の最後まで抵抗される事になる、 或いは彼らは全くの哀れみや軽蔑以外の何らか対価への権利を授けられる為には彼ら自身の脆弱さに関して そしてその他の人々に対する彼らの真の関係に関して、余りにも無知である。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 もし利益が主観的な物であるならば、社会的な法益を尤もらしく比較衡量し、公共の福祉を算出して見せる黒衣の詐欺師共の詭弁についてはどうか?: 奇妙な事に、功利主義は道徳性、善い事はそれぞれの個人にとって純粋に主観的であると仮定している一方で、 他方ではこれらの主観的な欲望は社会の様々な個人に渡って足したり引いたり、測ったりする事が出来ると仮定している。 それは個人の主観的な効用と費用は”社会全体の効用”や”社会全体の費用”に達する為に足したり引いたり測定される事が出来ると 仮定しており、それにより功利主義者が所与の社会的政策への賛成や反対を助言する事を許している。 現代厚生経済学はとりわけ”社会的費用”や”社会的効用”の概算、そして正確な定量的概算と言われる物にさえ至る事に慣れている。 しかし経済学は我々に道徳原理は主観的であると言う事ではなく、効用と費用が主観的であると言う事を、 つまり、個々の効用は純粋に主観的であり序数的である、そしてそれ故に、”社会的”効用や費用の概算に達する為に それらを足したり比較する事は全くの誤りであると言う事を正確に伝えている。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 kirtrueye >>1 子供は後悔する可能性があるので彼らの自由を奪われるべきである等と言う児ポ法/未成年者誘拐罪の支持者の致命的な自惚れを理解する為に: 人間行動の存在から導き出される別の根本的な意味合いは将来の不確実性である。 これはその反対は完全に行動の可能性を否定するので必ず真である。 もし人が将来の出来事を完全に知っているならば、彼は決して行為しないだろう。 なぜなら彼のどんな行動もその状況を変える事は出来ないからである。 従って、行動の事実は行為者にとって将来は不確実であると言う事を意味する。 この将来の出来事に関する不確実性は二つの基本的な源泉から生じる、 つまり、人間の選択行為の予測不可能性、そして自然現象に関する知識の不十分さである。 人は全ての自然現象の将来の進行を予測できるほど十分に自然現象を理解していない、 そして彼は将来の人間の選択の内容を知る事は出来ない。 全ての人間の選択は目的に達する為の最も適切な手段に関する評価と考えの変化の結果として継続的に変化する。 無論、これは人々は将来の進行を見積もる為に最善を尽くさないと言う事を意味する訳ではない。 それどころか、全ての行為者は手段を用いる時に、彼が彼の望む目標に達する様に見積もる。 しかし、彼は決して将来についての確実な知識を持たない。 全ての彼の行動は必ず将来の出来事のコースに関する彼の判断に基づいた憶測である。 不確実性の遍在は人間行動において絶えず存在する誤りの可能性を導入する。 マレー・ロスバード、Man,Economy,and State. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 我々自身やその他の人々の将来の価値判断に関する我々の予想やこれらの価値判断へと行動を適合させる為の 手段に関する予想が正しいかどうかを事前に知る事は出来ない。 この将来の不確実性は人間の状態の主要な特徴の一つである。それは人生と行動の全ての現われに付き纏う。 人は彼の支配を超えた力に翻弄される。彼は彼が彼を害すると考える物事を可能な限り回避する為に行為する。 しかし彼はせいぜい狭い範囲内でしか成功する事は出来ない。 そして彼は彼の行動がどのぐらい探し求められた目的を成し遂げる事が出来るのかを事前に知る事や、 もしそれを成し遂げたとしても、後で振り返ってみた時、彼自身やそれを見ているその他の人にとって、 彼が行動に従事した当時、彼に開かれていた選択肢の間で最善の選択であったかどうか知る事は決して出来ない。... ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、The Ultimate Foundation of Economic Science. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 全ての人はその他の人々の侵略から彼の身体及び財産を保護される事を願う。 しかし誰も彼自身から彼の身体或いは財産を保護される事は望まない、 誰かが彼自身を害する事を望むのは人間本性それ自身の基本的な法に反している。 彼は彼自身の幸福を促進する事、そして何が彼自身の幸福を促進出来るか、 そして促進するかについて彼自身で判断する事を願うに過ぎない。 これは全ての人が望む事である、そして人間としてそうする権利を持つ事である。 そして我々は皆我々の知識の不完全から多くの誤りを犯し、そして必然的に犯すに違いないけれども、 これらの誤りはその権利に対する反論にはならない。 なぜならそれらは我々が必要とし、求めており、その他の方法で得る事が出来ない知識を我々に与える事に役立つからである。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 kutyeyrey >>1 誰が真に有益な本物の教育を受け取る機会を子供達から奪っているのか?: 教育は一生続く学習過程である、そして学習は学校だけでなく人生の全領域で行われる。 子供が遊ぶか、親や友達に聞くか、新聞を読むか、仕事で働く時、彼や彼女は教育を受けている。 形式的な学校教育は教育過程の僅かな部分に過ぎない、そして本当は形式的な教育の科目、 特に高度で体系的な科目の為に適切であるに過ぎない。 基本的な科目、読み書き計算、そしてその結果は家や学校の外側で容易に学ばれる事が出来る。 更に、人類の偉大な栄光の一つはその多様性、それぞれの個人はユニークな能力、関心、 そして才能を持つユニークな存在であると言う事実である。 この領域に能力も関心も持たない子供達に形式的な学校教育を押し付ける事は 子供の心と精神を犯罪的に歪める事である。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 ...指導の最善の種類は個別指導であると言う事は明白である。 一人の教師が一人の生徒を指導するコースは明らかに間違いなく最善の種類のコースである。 人間の潜在的な可能性が最大の程度まで開発出来るのはこのような条件の下においてだけである。 一人の教師が多くの子供達を指導するクラスにより特徴付けられる形式教育は非常に劣ったシステムである。 それぞれの子供は関心と能力においてその他の子供から異なっているが、 教師は一度に一つの事だけしか教える事が出来ないので、 全ての学校のクラスは一つの統一的な型にその指導の全てを流し込まなければならないと言うのは明白である。 どうやって、どんなペース、タイミング或いはバラエティで教師が指導するかに関わらず、 彼は子供達の一人一人に暴力を振るっている。 全ての学校教育は不適切な統一性の画一的な方法にそれぞれの子供を無理やり押し込む事に関係する。 マレー・ロスバード、Education: Free and Compulsory. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 yetwetete >>1 現代の豊かな先進国の経済条件においてしか維持できない児童福祉政策を子供の権利などと主張する児ポ法カルトの不条理に関して: "権利"とは哲学的に言って、人間と実在の性質に深く組み込まれている物、どんな時にも全ての時代において保護され、 維持される事が出来る様な物でなければならない。自分の生命と財産を守る、自己所有の"権利"は明らかにその種の権利である、 それはネアンデルタール人にも近代のカルカッタにおいても現代の合衆国においても適用されることが出来る。 このような権利は時代や場所と無関係である。 しかし"仕事への権利"や"一日三度の食事"への権利や"12年の学校教育"への権利は同様に保障される事は出来ない。 ネアンデルタール人の時代や近代のカルカッタにおいて存在出来なかった様に、このような権利は存在出来ないと考えられないだろうか? 現代の産業的な条件においてだけ満たされる事が出来る物として"権利"を話すことは少しも人間の自然的権利について話すことではない。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 少なくとも千年以上に渡って、日本人は集団カルトの中で最も純粋な利他主義を教えられている。 "自分が望む様に生きる為の権利のアイディアは日本人の精神の中に入る事は出来ない。... そこでは人の時間や努力は排他的に彼自身のものと考えられる事はない。 彼が生きる権利は集団に仕える彼の意志に依存している。...個人は集団の為に完全に犠牲にされる。... 集団内の全てのメンバーは彼の仲間のメンバーの行動を注意深く監視しなければならない。... クラス活動、集団の利益、社会的影響は最重要になる。 そして生徒達が洗脳される支配的な哲学はいかなる普遍的或いは永久的な道徳的価値や基準も存在しないとする"道具主義"の哲学である。 生徒達の最も印象的な結果は"道徳的自由の恐るべき欠落"である。証拠も論理も彼らが育てられている靄まで届く事はない。... 彼らは"私はあなたに同意しない"と言うかもしれない、しかし彼らは反対の為の理由を与える事は出来ない。 彼らは全く説得されないが彼らは反論において主張を提示する事は出来ない。 言い換えると、考える事を求められた時、彼らは唯一の権威としてクラス、集団、 "社会的流行"を受け入れる様に訓練されているので、そうする事が出来ない。... ある答えは正しいか誤りであると言う本質的なアイディアは曖昧にされる、そしてその仕事それ自身が無意味なものに見えるようにされる。 このようにしてあらゆる方法において幼少期において知性と個性の開発の為に適切に向けられる 人間のエネルギーの自然的はけ口は抑えられ、蝕まれる、そして学習の目的はそれ自体で真である事を 学ぶ事でもなければこのような知識を用いて独立性を開拓する事でもなく、恣意的な権力に阿り服従する事になる。 イザベル・パターソン、The God of the Machine. イザベル・パターソンはアメリカのジャーナリスト、政治哲学者、対日研究家、文学批評家である。 彼女は合衆国の日本化=社会主義化を批判し、現代リバタリアン運動に大きな影響を与えた。 kfutryeyre >>1 日本の教育全体はまだ西洋の教育と殆ど全く反対の伝統的な方針に基づいて行われている。 西洋では、道徳的訓練の抑圧的な部分は幼少期に行われる。 我々は可能な限り早く人がしなければならない事や人がしてはならない事と言った倫理を教える事が重要であると考える。 その後に、より多くの自由は認められる。 良く育てられた子供は彼の将来は彼の個人的な努力と能力次第である事を理解させられる、 そして大部分において、彼自身の責任で行動する事を許され、必要と思われる時に時折、助言や忠告が行われる。... 西洋の教育の目的は個人の能力と個性を開発し、独立した力強い個人を作り出す事である。 日本の教育は常に殆ど反対の方針に基づいて行われている、そしてその表面的な見せかけにも拘らず、 まだ行われている。 その目的は決して独立的に行動する様に個人を教育しない事、そして集団に従属する様に、 言い換えれば、硬直した社会に適合する様に彼を訓練する事である。 西洋の教育の間の制限は幼少期の間に存在する、そしてその後に徐々に緩められていく。 日本の教育における制限はより後に始まる、そして徐々に締め付けられていく。... 学校において訓練は始まるが、最初の頃は殆ど訓練と呼べないほど非常に軽い物である。 ...存在する全ての制限は主に彼のクラスの一般的な意見により子供に行使される。... その支配的な力は常にクラスの感情である。 中等学校にもなると、生徒達は手に負えなくなる。クラスの意見は教師自身が屈しなければならないほどの力を獲得する、 そしてそれを落ち着けようとする教師の試みは彼を失職に追い込むほどである。... 学校生活を制限するのは決して個人による集団の支配ではなく、集団による個人の支配である。 その力は恐るべきものである。 意識的にせよ無意識にせよクラスの感情を害した生徒は突然孤立する事になるだろう。 ラフカディオ・ハーン、Japan: An Attempt at Interpretation. ラフカディオ・ハーンはアメリカのジャーナリスト、対日研究家、民俗学者である。 彼の著作は日本の社会構造を理解する為の重要な文献の一つと考えられている。 tetewtete 一緒にUSJに行って楽しく遊んでいれば、違う未来もあったやろうに 年金問題は本当深刻 早くベーシックインカムにすればいいのに スレタイだけみて「どうせ男性とか言いながら24歳とか若いんだろ死ね」 って思ったらほぼその通りだったわ >>5 治安が良くて医療が発達してる国なら、若い世代の死因のトップが自殺か事故になる 日本に限った話じゃない 可愛けりゃまず自殺しようと思わないという基本的大原則をお前らはいつも無視して勝手に妄想して羨ましがる癖を治せ 死ぬくらいならセックスすれば生きる良さが分かると思う 不細工だったら男は返ってくるだろう つまり美少女でやりまくって何の後悔も残さず逝ったと思う 「点と線」みたいな展開は無いかな?男女が同じ場所で死んでれば心中だという先入観が 働いてしっかり捜査されないけど実は・・・とか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる