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【皇室】眞子さま嫁ぎ先「借金トラブル」騒動、皇籍離脱の現実…売店勤務、夫が愛人と心中も

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2018/01/26(金) 03:34:44.35ID:CAP_USER9
Business Journal 2018.01.25
http://biz-journal.jp/2018/01/post_22104.html
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 秋篠宮家の長女・眞子さまと、大学の同級生、小室圭さんの結婚式が11月4日に行われることになった。一般の結納に当たる「納采の儀」は3月4日に行われる。戦後、皇族から民間に嫁ぐのは、眞子さまで8人目。宮中から一般社会へと、まるで異なる環境に身を置かれることになる。昨年12月発売の「週刊女性」(主婦と生活社)は、小室さんの母親が元婚約者である男性との間で400万円以上の借金トラブルを抱えていると報じ、眞子さまの今後を案じる声も多いが、過去に民間に嫁いだ女性皇族の方々は、どんなご苦労をされてきたのだろうか。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏から聞いた。

「昭和22年までは旧皇室典範により女性皇族の嫁ぎ先は皇族か一部の華族と決まっていました。明治天皇の女のお子さまは4人が成人されていますが、全員皇族に嫁いでおられます。大正天皇には女のお子さまはいらっしゃいませんでした。昭和天皇には5人いらっしゃいましたが、二女の祐子(さちこ)内親王は生後半年で亡くなっていますので、成人されたのは4人です。長女の成子(しげこ)内親王は戦前の昭和18年に、東久邇宮盛厚王に嫁がれています。戦後の皇室典範で嫁ぎ先の制限は撤廃されましたが、昭和25年に三女の和子内親王が日本交通公社に勤めるサラリーマンだった、五摂家のひとつである鷹司家の平通さんとご結婚されました」

 女性皇族が民間に嫁ぐようになった背景には、皇族が減ったという事情もある。

「GHQの指令によって皇室の財産にも財産税が課され、残った財産も憲法の規定によって国に属することになりましたので、皇室は経済的に厳しくなりました。また、皇室の規模縮小の必要も生じたため、昭和22年、11宮家51名が皇籍を離脱しました。残ったのは天皇を含めて16名でした。戦前は皇族の数も多く、好ましくない方もいたようです。ヨーロッパに行ってその国の女性と同棲というか、内縁のような関係になり、『金を送ってくれ』とばかり言ってきて、『いい加減にしろ』ということで無理矢理連れ戻された方もいらっしゃったようですね」(同)

 東久邇宮も昭和22年に皇籍離脱したので、成子さまも一般国民となった。戦後の物資不足の時代の生活を「やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来る」と『美しい暮しの手帖』第5号に綴って大きな反響を呼んだ。

「和子内親王が結婚された鷹司平通さんは華族制度の廃止で民間人になっていましたが、もともと鷹司家は、公家の中でも最も格上の摂政、関白の地位に就ける五摂家のひとつです。四女の厚子内親王が嫁がれた池田隆政さんは、岡山藩主の家系で元華族。五女の貴子内親王が嫁がれた島津久永さんは薩摩藩主の家系で、やはり元華族です。元の五摂家と大名家、3つともかなりの家柄です。

 三笠宮家を見ていくと、長女のィ子(やすこ)内親王が嫁がれた近衛忠Wさんは、肥後熊本藩主の家系で、母親の実家である近衛家の養子になった方ですけど、近衛家も五摂家ですから元華族です。二女の容子(まさこ)内親王が嫁がれた16代千宗室(せん・そうしつ)さんは、結婚当時は裏千家の家元の息子で、のちに家元になりました。

 高円宮家を見ると、二女の典子女王が嫁いだ千家国麿さんは出雲大社の権宮司です。民間とは言っても、皆さん、名家に嫁がれています。両陛下の長女、紀宮清子内親王が嫁がれた黒田慶樹さんが、初めての一般家庭で育った方ですけど、親戚筋には華族に嫁いでおられる方もいます。それに、秋篠宮殿下の学習院初等科からの幼なじみで、大学まで一緒でした。小さい頃から東宮御所に遊びに来たり、卒業後も秋篠宮邸に来たりしていて、宮内庁の人間も知っていた人です。今回の眞子内親王殿下のお相手の小室圭さんについては、皆『誰その人?』という感じで、まったく知らない人でした。そういう点では初めてですね」(同)

続きは>>2-3
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2018/01/26(金) 03:34:54.67ID:CAP_USER9
■苦労をされた鷹司和子さん

 では、戦後に民間に嫁がれた女性皇族には、どんな苦労があったのだろうか。

「一番苦労されたのは、鷹司和子さんでしょう。ご主人が銀座のバーのママと同部屋で亡くなり、遺体が見つかったときには全裸だったといわれたことから、心中したと噂されました。ご主人を亡くされてから、強盗に入られ怪我をされるなどの災難にも見舞われた方でした」(同)

 孝宮和子内親王が鷹司平通さんと結婚したのは、昭和25年。「市中にはドロボーというものがいるそうだから、気をつけるように」と昭和天皇は娘に注意を促した。結婚から16年の昭和41年1月28日、銀座のバー『いさり火』の経営者、前田美智子さんと一緒に平通さんは彼女のマンションで発見された。平通氏が洋間の机とソファーの間に、美智子さんが奥の和室に、それぞれうつ伏せに倒れていた。外傷はなし。

 警視庁による発表は、ガスストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒死。ガスストーブが原因だという発表に異議を唱えたのは、東京ガスだった。刑事が部屋に踏み込んだ時に、ガスはなんの匂いもなく燃え続けていたからだ。東京ガスはストーブを会社に持ち帰り、総合研究所で検証した。不完全燃焼は起こらなかった。広報室長は「絶対に事故ではないと思う。このままでは営業妨害だ」とまで言った。

部屋のテーブルの上には、カップが1つだけ置かれていた。2人で飲み物を飲んだなら、カップは2つでなければおかしい。なんらかの薬物を2人で飲んだ心中とも考えられるが、司法解剖はされなかったので胃の内容物まではわからなかった。事故か心中かは解明されなかったが、自分とはまったく別世界の女と一緒に、その部屋で夫が死んでしまったということは、妻にとってこれ以上の衝撃はない。

鷹司和子さんが強盗に入られたのは、昭和43年8月22日の昼過ぎ。目の鋭い若い男が、「声を出すな。殺すつもりはない。金を貸してくれ」と包丁を和子さんに突きつけたのだ。和子さんの悲鳴を聞きつけてお手伝いさんが駆けつけた時、和子さんは男の手をしっかりと押さえ込んでいた。110番通報で、犯人は逮捕された。逮捕歴4回、住所不定の23歳。道を歩いていて強盗を思い立ったという。自分が格闘した相手のことを取調官から聞かされて、「天皇のお嬢さん? うーん」と頭を抱え込んだ。

昭和天皇の後を追うように、平成元年5月26日、和子さんは享年59歳で亡くなった。
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2018/01/26(金) 03:35:05.21ID:CAP_USER9
■動物園をつくった池田厚子さん

「池田厚子さんはご主人の隆政さんと『池田動物園』をつくられて苦労されたといわれていますが、経済的にどうだったのかはわかりません。動物園の売店にも立たれていたということですが、それをもって苦労されたとか、品位がないということには全然ならないでしょう。品位は、お金と一致するものではありません。先日、ある記者と話していた時に、『眞子さまが一般国民になられて、コンビニでバイトするようになったら……』とおっしゃたのですが、それはコンビニのアルバイト店員への差別じゃないですか。コンビニでバイトしているから品位がないというのは、ひどい見方です。厚子さんが売店に立っていたのは、むしろがんばっていて、いいことだなあと思いますね」(同)

池田厚子さんは現在「池田動物園」の園長である。

「ほかに特に、苦労というのは聞きませんね。島津貴子さんはプリンスホテルのコーディネイトみたいなことをやっておられて、数年前に退任されたと聞いていますが、最終的には役員になっておられました。島津貴子さんには誘拐未遂事件ということがありました。ただそれは、どこかの家宅捜索をしたら誘拐計画を書いたメモが出てきたというもので、実際に誘拐しようとして失敗したということではありませんでした。

 千容子さんは家元夫人として、がんばっていらっしゃいます。近衛ィ子さんは、ご主人の忠Wさんは日本赤十字社の社長ですし、ィ子さんも学習院女子中等科・高等科の同窓会『常磐会』の会長に就いておられます」(同)

 千家典子さんは夫の国麿氏と、ほとんど別居状態だという報道もある。

「『ほとんど宮邸にいるんじゃないか』などと、結婚して早い時期からいわれていますよね。ただ当然、住民票は出雲にあるでしょうし、高円宮邸を主たる住居にしておられるわけではありませんよね。用事があって上京し、ご実家に泊まるという程度は、社会通念上許されるでしょう。

 三笠宮家のご一家は平成26年に桂宮殿下がお亡くなりになり、平成28年に大殿下がお亡くなりになりました。典子さんにとって、叔父さまとお爺さまが相次いで亡くなられたわけです。そうすると、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一周年祭など、多くの祭祀があるわけですね。そういう時に上京されて実家に泊まるということは許されるでしょう。噂されているように、夫婦仲が悪いのどうかは知りません。それと、あくまでも法的な話ですが、離婚はできます。ただし、その場合でも皇族に復帰することはできませんし、宮邸を主たる住居にすることもできません」(同)

■意外に自由な皇族の方々の生活

女性皇族が民間に嫁ぐ時、生活は一変するわけだが、その準備はされているのだろうか。

「宮家の場合、国から支給される皇族費というプライベートマネーで雇っている私的使用人が掃除や洗濯などの家事をやっていますので、ご自分たちでやる必要はありません。ただ、女のお子さまの場合、将来どういうところに嫁がれるのかはわかりません。お手伝いさんが何人もいるような家に嫁げばいいのでしょうけれど、親としては基本的に家庭の主婦業ができるように育てるのが普通でしょう。通常の生活に支障のない程度に家事ができるように、お小さいころから教えておられるはずです。

 眞子内親王殿下も、結婚したら一般の人になるということを前提に育ってきたということを、記者会見の時におっしゃっていました。ただ実際に自分で大根やキャベツなどをスーパーに買いに行ったりという経験は、ゼロとまでは言えないですけど、ほとんどないだろうと思います。それでも戦後の皇族の生活は、我々一般庶民にかなり近づいています。服を買いに行ったり、友達と食事に行ったりというのは、世間一般の人が思っているよりも割と自由にできます。

 学習院も戦前は皇族、華族などの家柄の人が多くいましたが、今は普通のご家庭のお子さんがほとんどでしょう。眞子内親王殿下が国際基督教大学に進んだように、皇族の学習院離れも進んでいます。昔のような宮中で育って、いきなり現代の一般家庭に入ると、それはかなり苦労されるでしょうけれど、そういう意味では感覚的にそんなに驚くほどの差はないだろうと思います」(同)

眞子さまが小室圭さんと、どのような結婚生活を送られるのか。温かく見守りたい。

(文=深笛義也/ライター)
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