【フランス】粉ミルクのサルモネラ汚染、10年以上継続か 仏研究所が指摘
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2018年2月2日 16:34 発信地:パリ/フランス
【2月2日 AFP】フランスの乳製品大手ラクタリス(Lactalis)製の粉ミルクがサルモネラ菌に汚染され、乳児数十人が食中毒を発症した問題で、仏パスツール研究所(Institut Pasteur)は1日、同社製品の汚染が10年以上前から続いており他にも被害者がいる可能性を指摘した。
ラクタリスの粉ミルク汚染は昨年12月、フランスとスペインで少なくとも38人の乳児がサルモネラ菌感染により体調を崩したことから、当局が世界規模での製品回収を命じる騒ぎとなった。
パスツール研究所によると、全く同じサルモネラ菌株が原因で2006年〜16年に少なくとも25人が食中毒になっており、感染経路をたどると、今回汚染が発覚したフランス北東部のラクタリスの工場が菌の出所とみられるという。
ラクタリスは、仏北西部クラオン(Craon)の工場にあるミルク乾燥用の蒸発タワーでサルモネラ菌が検出されたにもかかわらず、粉ミルクそのものから検出されたわけではないとの理由で発表せず、隠蔽(いんぺい)していたとして猛烈な批判にさらされている。このため、同工場では以前から汚染が起きていながら見過ごされていたのではないかとの懸念が出ていた。
問題の工場については、ラクタリスが買収する前年の2005年に子ども146人にサルモネラ菌感染による食中毒を引き起こしていたとの指摘がある。
パスツール研究所のフランソワグザビエ・ベイユ(Francois-Xavier Weill)氏はAFPに対し、「2005年と2017年に起きたサルモネラ食中毒の菌株は全く同一だった」と説明。「唯一考えられる仮説は、問題の工場内に菌が残っていたというものだ」と述べた。
一方、ラクタリスのエマニュエル・ベニエ(Emmanuel Besnier)最高経営責任者(CEO)は1日、05年と17年の大規模感染を引き起こしたサルモネラ菌がクラオンの工場で検出された同一株だったことは認めつつ、粉ミルクから見つかったわけではないと強調した。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3160929?act=all 中国人が安全な粉ミルクを求めて買い占めしてるのにカワイソス ■牛乳の歴史
日本人だけでなく西洋人自身も、ヨーロッパではずっと大昔から牛乳が飲まれてきたと思っているが、それは事実ではない。ヨーロッパで牛乳飲用が始まったのはわずか150年ほど前(1850年ごろ)のことである。
それ以前には、牛乳はバターとわずかなチーズを作るために搾られていたに過ぎない。
歴史的に眺めると、彼らはずっと長い間ほとんど牛乳製品とは無縁で生きてきた。だから、酪農業界は真実の牛乳の歴史を無視し続けてきたのである。
いかなる言語でも、ヨーロッパあるいは近東で牛乳の歴史について書かれた書物はない。これは不思議なことだ。パン、肉、魚、野菜などの主要な食物について書かれた本はいっぱいあるのだから。
19世紀の後半になって牛乳が飲まれるようになってから、ドイツで牛乳が科学的に研究されるようになった。その頃に牛乳に関する研究所も創られたが、牛乳の歴史を研究するものは誰もいなかった。
実際、語るに足るほどの牛乳の歴史はなかった。牛乳はヨーロッパで主要な食品とみなされていなかったからである。
その歴史をたどろうとしても資料があまりにも少ない。牛乳業界のパンフレットを眺めると、ヨーロッパでは古代からずっと牛乳が飲まれていたというような印象を受けるが、事実は異なる。
ヨーロッパ人はずっと長い間ほとんど牛乳製品と無縁で生きてきた。だから、経済界は食物の歴史、なかでも牛乳の歴史を無視し続けてきたのである。
さらには、ヨーロッパで牛乳の歴史を研究しようとするものは「牛乳批判者」という烙印を押されるようになってしまった。
最近になって、中世にラテン語で書かれた牛乳(バター、チーズ、ホエイ)の歴史に関する書物がヨーロッパの図書館で発見された。
これらの書物は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語に翻訳されることになっていたが、翻訳の資金が得られなかった。
しかし、このうちの一冊がミラノの食品科学の教授によってイタリア語に訳され、さらにドイツ語に翻訳された。この教授の結論は「中世では牛乳は健康に有害であるという考えが広がっていた」というものであった。
第一次世界大戦が終わった1920年代から30年代にかけて、政府と業界が牛乳は万人にとってよい飲み物だという宣伝を強力に繰り広げるようになった。
この宣伝で牛乳の飲用が広まった。ヨーロッパで牛乳・乳製品の消費が今のように多くなったのは1950年以降のことである。 バターが作られだした当初は皮製の袋に生乳を入れて木に吊るし、それを棒で打って揺すって作っていたと見られる。
その後バターはケルト、ヴァイキング、ベドウィンといった牧畜の盛んな諸民族へと伝わっていった。
バターは古代ギリシア時代にスキタイから地中海世界に渡り、ブトゥルム-ウシのチーズ-と呼ばれた。
野蛮人の食べ物と見られたこと、オリーブオイルが普及していたこと、チーズと違い保存性が無いことなどから、髪や体に塗る薬、化粧品、潤滑油として、ごく一部で使われていた。
南ヨーロッパでは中世になってもバターはほとんど知られておらず、イタリアの料理書にバターが登場するのは15世紀になってからのことである。
ピレネー・アルプス以北のヴァイキングとノルマン人の征服を受けた地域からバターは定着し始め、14世紀にかけてオランダ、スイスへと広がったが、
ノルマン系ではない貴族にとっては「野蛮人の食べ物」という見方は変わらず、貧しい者の食べ物とみなされていた。
フランスで本格的に食用として利用されだすと、ようやく貴族もバターを食べ始めた。
歴史学者のジャン・ルイ・フランドランは14世紀から17世紀のヨーロッパにおけるバター・オイル圏を画定しているが、
現在でもヨーロッパでは「オリーブオイルが主流の地域」と「バターが主流の地域」がはっきりと分かれている。
基本的に、バターを保存しやすい寒冷な土地でバターが普及していると見てもいい。それ故、スカンジナビアでは少なくとも12世紀頃にバターの輸出が始まった。 >>1
日本は、卵かけご飯がご馳走なのに
サルモネラ菌の心配が無い >>1
ラクタリスもそうなんだが、ラクタリスになってからの自殺者が異様に多すぎて怖いっす… >>15
心配がないってのは大嘘だし、なんとなくで実現できてるもんでもないから 「謝ったら負け」の文化なのは知ってるけど、時々謝罪したくなさ過ぎて
珍回答になってて、言ってる自分が恥ずかしくないのかな >>12
雪印どころか森永なんて粉ミルクにヒ素だぞ >>20
消去法で明治のミルクが人気なのがわかるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています