宮下牽の『海苔の歴史』には、大阪海苔問屋協同組合が1951年の結成と同時に
「巻きずしの丸かぶり」の宣伝を行い、大きな成果をおさめたという記述がある。
この「大きな成果がどれほどのものだったのかは分からないが、
海苔業界復興の旗印として、巻きずしは喧伝されていたようだ。

この当時の行事の様子を大阪ずしの老舗「吉野寿司」の大山雄一氏はこう語る。

「兵庫の寿司屋に入った1955年頃の節分の夜 出前先で仕事にあぶれた
芸者衆が巻き寿司を丸かぶりしていた。行儀悪いのになぜ女の人がこんなことを
と思ったが『いいだんなに巡り合えますように』という願掛けの意味があると教わった」

大阪の一部だけで行われていた行事は 徐々に関西圏へと広まりを見せはじめた


「現代人における年中行事と見出される意味―恵方巻を事例として―」(『比較民俗研究』23 2009)