日本基督教団の歴史

1941年6月、国内33のプロテスタント教派が合同して設立
プロテスタント団体はもともと満洲事変以前から「基督教国粋主義」を掲げており、
1940年10月には右翼顔負けの「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」を開催
「プロテスタント諸教派が合同して兵士を慰問、支那の宣撫に当たる」と決議するほどで
設立に際しては政府の圧力も強制もなかった
戦時下では出征壮行会の音頭を取ると共に他教派や仏教などの粗探しを行い
「無教会派は無政府主義者」
「カトリックは米英と内通している」
「あの寺の住職が厭戦的な講話をした」等
異教潰しに奔走、大日本帝国も盟邦独逸と同じプロテスタントを国教とすべしと主張した
(ローマカトリックのイタリアについてはなぜか無視)

戦後は一転して占領軍にすり寄り他教派や仏教、とりわけ神道が戦争に協力したと告げ口
終戦直後に「神道指令」=神道抑圧政策を引き出してもいる
その後もGHQに「米国もプロテスタントが建国しました」と宣伝しに行くが
マッカーサーから「私はカトリックだ。諸君はローマ教皇を敬わないそうだな」と叱責され遠ざけられる
終戦の混乱期に朝鮮人信者による小教派乗っ取り、復員軍人による教団批判などが相次ぎ
現在のような団体へと変貌を遂げていった